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ひとりだけ取り残されたような気になって

家に一人でいて、特に何もすることがない時間帯。何気なくSNSを開くと、そこにはキラキラした世界が溢れている。その人にとっては日常かもしれない出来事が、私にはまぶしく映る。

相手が知っている人なら、なおさらまぶしい。一時は同じ時間を過ごした同級生だったり、元同僚だったり。もはや他人となった彼らと自分を比べては、「私には何もない」と思ってしまう。
実際は、何もない、はずがないのに。こう思ってしまうのは、今周りにいる人・あるものに失礼だ。それでもどこか満たされないのは、人間関係づくりや、その関係を継続することが少し苦手だからなのかもしれない。

学校という場で誰かと友だちになってきた。ただ、卒業すると疎遠になることが多い。高校なら、進学する地域がバラバラに。大学なら、就職する地域がバラバラに。地元が田舎で、ずっと残る人はおろか、Uターンする人も周りには少ない。
そうやって、友だちに会うには、スケジュールを調整してお金と時間をかけなくてはならない状況ができた。それでも続く関係はある。
ただ、大きな理由もなく少しの時間だけ会えたり、くだらない話をするために電話やメールをしあったり、そういう相手がいなくなった。それが寂しい。

何かのタイミングで学生時代の思い出が蘇っては、「あの子たちの記憶に私もいるんだよね」と黄昏る。そして、「いやいまだに学生時代のことを思い出すのって私だけ?」と前に進めていない感覚に陥る。

大人になった今だからこそ築ける人間関係があると思っている。でも、職場と家の往復がメインの日常で、新しい出会いはなかなかない。どこかに飛び込まなくちゃ、やってこない。飛び込んでも、良い結果に繋がるかは分からない。

何かしても、しなくても、うだうだする日があるのなら。どこかに飛び込んでみてもいいのかもな、と思う今日この頃。

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