障害のある子の学びの場
大阪の「ともに学ぶ教育」が変わる?
こんな記事を見つけた。
これに関しては、少し疑問に思うところがある。
この記事は、「大阪」の教育が「ともに学ぶ」「インクルーシブ教育」であったはずなのに文科省の通知で支援学級での授業時間が増え、インクルーシブが逆行する!という趣旨のものと解釈している。
他にもこの件に関する記事はいくつかあって、同じような主張であった。
確かに、ほとんどの時間を通常の学級で過ごし、ほんの少しのサポートがあれば学校生活が格段に過ごしやすくなる子はいる。できるだけ同じ場で過ごす時間をたくさんもっていこうという趣旨にも賛成だ。
しかし、その場少しのサポートの場が「支援学級」であるべきなのかは疑問がある。
文科省の手引き
特別支援教育のほとんどの資料に参考文献として出てくるこの手引き。昨年の6月に出されたものだが、内容はそれまであった「教育支援資料」と大きく変わるところはなく、さらに突っ込んだ内容や具体例を多くしたという印象だ。
これを元にして、今回の大阪での件について考えてみる。
大阪の「支援学級は」この手引きに則って運営されてきたのか?
そもそも、「支援学級」とは障害のある子が障害の種別によって設置されている学級で、対象となる障害種別も対象となる障害の程度も大まかに示されている。
今回、授業時数の件で大きく問題となっているのが、「自閉症・情緒障害学級」と「知的障害学級」の2種の学級である。
その他の「肢体不自由学級」や「難聴学級」などは、支援学級での授業時数については半数以上という基準を用いなくてよいとA市の市教委の説明にはあった。
その2つの障害種別は、学級数の急増が数年前から言われていたが、増加傾向には歯止めがかかる気配もなく、このままいけば、学校の三分の一程度の児童が支援学級在籍になるのではないかと同僚と本気で心配したこともある。
文科省の手引きでは支援学級についてはこのような記載となっている。
「支援学級数」はなぜ急増しつづけるのか。
自分なりに原因と思われる事項を考えてみた。
これは、あくまで私個人の経験と感想なので、すべての事例に当てはまるとか、その解釈が正しいと言いたいわけではない。
現場で働く者の率直な意見の一つとして捉えていただければと思う。
原因①
支援学級の入級に関して、客観的な基準がほぼない。
私の勤務する自治体では、支援学級の入級に関しては障害の状態に関しての基準がほぼない状態で、判断は市教委から「各校で適切に判断を」という丸投げ状態にある。
市教委の指導主事や管理職も支援学級の運営に関わった経験者はほぼおらず、いても1年や2年といった場合がほとんどである。
教員の支援教育に関する知識も乏しく、「漢字の書き順が覚えられないから」「九九が覚えられないから」「板書に時間がかかるから」「家庭が大変だから」「不登校だから」「暴言がひどいから」というような理由で「この子は支援学級に入れるべきです!」と言い張る人が多い。
確かに、「ある種の支援が必要」という点は否定しない。しかし、上記のような状態の児童を「知的障害学級」や「自閉症・情緒障害学級」に入級させるのは、手引きにある「支援学級」の対象となる児童の状態とは大きくかけ離れている。
確かに、LD傾向のある児童やスローラーナーと言われる定着がゆっくりな児童は実際にいるし、何らかの手立てと支援は必要だと思う。
「不登校」の児童や「家庭環境」が不安定な児童にも手立てが必要だと思う。
しかし、実際に「知的障害」があり、療育手帳がAやB1の児童は、より専門的な「知的障害」の児童のための丁寧なカリキュラムが必要であり、上記のような理由で「知的障害学級」に入級している子たちと一緒に授業をするのはかなり難しい。
手引きによると、「LD」や「ADHD」は通級指導教室の対象であって支援学級の対象児童ではないが、「LD」は知的障害、「ADHD」は情緒障害と扱われて入級しているケースが非常に多い。
原因②
どうにかして学級数を増やしたい
上にも書いたが、障害種別ごとの設置というのが形骸化しているのが現状で、管理職や指導主事からも「いかにしてクラス数を増やしていくか」といった観点で支援学級に在籍する際の障害種別を決めるように指導を受けることがある。
クラス数が増えると担任が増える。また、場合によっては担任外教員がさらに配置されることもある。
常にギリギリの状態で学校運営がされていて、産休講師や育休講師も配置に時間がかかることもあるので、一人でも教員を増やしたいという気持ちはわかる。
でも、そのために特に対象となる障害もない児童をいろいろと理由をつけて支援学級の在籍にしたり、知的障害のない児童を知的障害学級を増やすためにあえて「知的障害学級」に入級させるということもある。
原因③
教師の専門性の乏しさ
学校現場は、非常の保守的なところで、なかなか新しい考えが広まりにくい。障害に関しても、別の記事で書いたように、「医学モデル」で捉える考え方が根強い。
「あの子が、しんどい」「あの子が勉強ができない」と原因を子どもと保護者の育て方に求めることが多い。
「その子に対する指導は適切であったか」、「指導の工夫はどうすればいいか」とこちらの対応や環境調整についての話の出来る同僚は限られている。
今のように、「支援学級」がほとんど障害のない子の大量入級で占められている場合、「支援学級」に担任を数年しても「障害」に対する指導の専門性は身に付きにくい。また、通常の学級担任も軽度の発達障害やそれらに類似すると思われる児童の指導を支援学級に任せているために、その子を含めたクラス運営という考えや実際の技術が身に付きにくいと思うことがある。
そうなると、通常の学級で手のかかる子は「支援学級」に行くべきだという発想になる。しかも、それが「本人のためです!」と善意を前面にだすので、保護者も断りにくい。ADHDは通級対象だということを知らない教員も多いため、「ADHDで服薬を始めたら支援学級に入ってください。」と堂々と言ってしまう教員もいる。
原因④
保護者も希望する
保護者の中には、何の障害の証明もなく、障害がなくても入級できて、実際にはほとんど行かないという架空在籍もできて、支援教育就学奨励費という補助金もでるので、「とりあえず、在籍させてください。行くか行かないかは本人が決めます。本人が行きたいと言えば行く、行かないと言えば通常の学級で授業を受けます。」という場合も割とある。
本当のインクルーシブって?
こんな風に、障害種別や障害の程度、ひいては障害のない子までどんどん「支援学級」に在籍し、全校児童の1割程度が「支援学級」に在籍する状態の学校がいくつもある大阪の現況を本当に「インクルーシブ教育」が進んでると言っていいのか大いに疑問がある。
私は、今まで「知的障害学級」を中心に担任を持ち、重度の知的障害の子の大きな可能性を感じてきた。(重度知的障害の児童の学習指導については、また書いていこうと思っている。)
しかし、知的障害でない子がたくさんいる「知的障害学級」ではどうしてもことばのほとんどない児童の指導が不十分になる。そうすると、「地域の学校ではちゃんと見てもらえない」と地域の学校ではなく支援学校を希望される保護者が増える。
「すべての子を地域の学校で!」というインクルーシブ教育の理念からどんどん遠ざかっていっている感じがする。
まとめ
①「すべての子が地域の学校で学ぶ」を実現するために・・・。
◆障害種別によるクラス編成(実際には療育手帳がAの児童を8人1クラスにするのは安全上問題があると思うが、、、)をある程度しっかりとやってほしい。
◆障害の程度を客観的に検証して欲しい。(手帳の提示など。自閉スペクトラム症の診断は割とだれでも出るので、それだけでは障害の程度はわからない。)
(おまけ)
余談だが父や母が介護保険を使うようになったとき、市役所から「認定調査員」という方が調査に来た。
「税金なんで、調査が厳しいです。」と言われた。
同じ税金でも、「支援学級」は何の調査もなく、根拠もなく税金がざるから流れ出ていくのに、なんだか腑に落ちない気がした。
車いすの子が入学してきた時、「エレベーター」の設置を要望したが、「予算がない」と言われた。本当に代替の利かない支援が必要な子に税金による環境整備がされず、そうでないところで税金が大量に使われているのにも疑問がある。その話はまたの機会に。
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