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杏沙子「見る目ないなぁ」より、失恋が大人になる理由

あーっ!またやることすっぽかしてこんなことしてる、はぁ。本当にどうでもいいんですが、名前変えました。あすかの方がしっくりくるからです。

杏沙子さんの「見る目ないなぁ」、すごーーーくずきずきくる切なーい曲ですよね、、聴いてください。

わーい!やっとリンクが貼れた!だんだんnoteをつかいこなせるようになってきた。

歌詞と解釈も一応書いてみましたのでそっちも貼っておきます

縦の方が見やすいね。曲の良さは聴いてもらえばわかるかなって感じです。細かい描写とか歌い方とか本当に素敵なのです。ただ今回は歌詞の中にものすごいカラクリとかはなかったので、そこまで書くことはありませんでした。

でも一つこれを聴いてて思ったのは、この人自立してるなぁということで、この写真の最後の歌詞のところにに書いたんだけど。私の中で最近来ている「大人になるための条件」とつながるなと思ったのでここに記します。

人は誰でも、自分という人間が特別だと認めたいんですよね。いやフツーでいい、っていう考え方もあると思うんだけど、特に好きなものや人にとっては特別でありたいという気持ちは大きいと思う。サッカーでは特別になりたいとか、私だったら短歌になるけど、そういう夢中になれるものについては普通じゃいやだってなる気持ちあるよね。あと人ね。誰にでも特別と思われたら嬉しいけど、特に好きな人にはそう思ってもらいたいよね、もらえたら特別な関係になれる。

現に我々は生まれてすぐに固有名詞をつけてもらうじゃないですか。それで特別な生命体として(もちろん家庭によって様々だけど)丁寧に扱われて育つじゃないですか。そして2歳くらいのときに一人称を話すようになって、自我が芽生えて、最初は誰も自分が世界の中心であり、物事を捉えるときの全てなんですね。

でも、大きくなるにつれ、世界は自分を中心に回っているわけじゃなさそうな場面に遭遇する。自分より優れている人がいたり、天賦の才がある人がいたり、ずる賢く成功している人がいたり。気にならないものもあるんだけど、なにかこれ!これの1番になりたい!って強く願うときほど叶わない。あれ、わたしはやっぱり特別でないのかもしれないと思う。そのわかりやすい例が失恋なのかなと思います。

うまくいってるときは、これは世界にたった一つだけの愛だと思う。でも振られて、あれ、私じゃなくてもよかったのかとなる。このギャップは大きいと思います。ただ、その「自分は特別ではない」を受け入れると、世界が変わるんですよね。心構えが変わるし行動が変わる。だからこれを受け入れることで大人になれるとわたしは一つ定義しています。この曲では、(特に2番Aメロで)自分が特別でないことの必然性を語っていて、受け入れていることから、あー大人なんだなと思いました。

それから「別れの作業」について。最後のところ、「さよなら 君がいつもいた毎日と 君を好きだったわたし」、ここ、本当にさよならしているものが2つ書いてありますね、(簡単に言うと)過去の時間と過去の自分。

友達から聞いた話で、「誰かが死んだら自分の、その人と一緒にいるときに発現する部分も一緒に死ぬ」っていうのがあるんですけど、これすごくなるほどーと思っています。誰かがいなくなるということは、その人が物理的に離れると同時に、そこに付随する自分の一部も消えるということ。これは失恋も全く同じですね。相手がいなくなる悲しさは自分がいなくなる悲しさであり、消されてしまった悔しさであるんですよね。

「見る目ないなぁ」の中では、消えるのは"見る目ないわたし"なのでいいことのような気もするけれど、"見る目ないわたし"は直後に言い換えられているように"君を好きだったわたし"でもあるのでやっぱり苦いです。でもこの作業をきちんとこなすことで確実にさよならできる(近道である)ので、これをメインにもってきてるのもやっぱり大人な考え方の人なんだなぁという印象につながっています。

てことで「こっちがいい」に引き続き名曲ありがとうございます、、、自分のペースでじわじわハマっていきますね。ねむ、おやすみ。


2020.07.14

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