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2011年私に起こったこと

私は千葉市在住、2021年3月現在58歳で 夫と娘との3人家族です。2011年12月に私は原因不明の脳委縮になりました。

3月の震災が遠因なのかも不明です。震災以降、テレビやパソコン、スマホから震災関連情報を知り続け気が塞いだのも確かです。しかしそういった人がすべて脳委縮が起こるとも考えられません。私は歯茎も4月から後退していき唾液が出にくくなり、胸やけも続きました。この胸やけは後に萎縮性胃炎と診断されました。秋には物忘れが激しくなり年末のMRI検査の結果、海馬に15%の脳委縮がみられました。海馬は記憶をつかさどる部位です。48歳にして脳委縮、しかしその検査の前に口頭テストで認知症でないという診断があり、この現実をどう受け入れれば良いのかたいへん困惑しました。

「原因は何でしょうか?」と医師に尋ねると「原因不明です」とのことでした。頑張って脳細胞をもとに戻せばいいんですよね?と言った私に医師の言った言葉は

「死んだ脳細胞は復活しません!今ある脳細胞を維持できるといいです」

原因不明と医師に言われても、自分の行動と感情を振り返ってみなければ脳細胞の維持もできないと思いました。さて、千葉市での震災被害は電柱が傾いたり停電やガソリンスタンドの閉鎖や給油量制限、店から米やパンが消える等であり、自分・家族においては命を脅かす重大なダメージは無かったのです。

この年の5月には中学生の娘と都内にも出かけましたし、引きこもっていたわけでもありません。ただ、自分の気晴らしだけのための外出には罪悪感がうっすらとありました。震災の件もしかり、そして私事では前年に17年間在宅介護していた実母を前年に特養老人ホームに入所させていたのです。毎夜5回は起こされて母をベッドからポータブルトイレに移乗する事から解放された私は、母を施設に入れて遊んで良いのかという思いがありました。狭い川にいたメダカがいきなり大海に出て戸惑っている感じでした。

母を施設に入れる決意をしたのは私の体調不良からです。腰痛のため腕で移乗を行なうと腕が痛むようになり、ついには左手で茶碗も持てず落とすようになりました。(母を施設に入れる経緯はまたの機会に詳しく書こうと思います、参考になる方々がおられると思います。)

また、震災前私は某出版社に漫画のネームの持ち込みをしていましたが成果は出ませんでした。私は20代のとき商業漫画を描いたことがあり30代半ばから40代はじめも漫画の仕事があったのですが、この頃はすっかり依頼が無くなり何とか馴染みのない分野でも漫画を描けないかと模索していました。

在宅介護が終わり漫画も成果が出ず、震災で暗い気持ちになり、虚無感があったのは事実です。色々な要素が重なり私の脳は壊れていったのでしょうか。2011年夏頃、私はだんだんと物忘れが多くなり、隣の部屋に行って、あれ私何しにこっちに来たんだっけ?ということが頻繁にありました。まあ50歳近いんだからしょうがないかなと考えてもいました。

ある日、出かけた病院で老眼鏡を失くしたと帰宅して気づきましたが、記憶から完全に抜け落ちている時間がありとても怖く感じました。また、秋に決定的な事が起こりました。2分前に考えていたことをどうしても思い出せない事がありました。これは物忘れというレベルではないと私はショックを受けました。

それから間もなく私は、ガスコンロから50センチほどの炎を上げてしまったのです。生のサンマをコンロのグリルで焼いていて、弱火にした状態でサンマの焼け具合を確認し皿に取り出し。弱火にしたままなのを忘れて取っ手を戻しました。

気がついたらコンロから50センチもの炎が上がっていました。サンマから出た油が発火したようです。すぐ玄関に走り消火器を持ってきて火を消しました。広範囲が粉だらけになりました。煙の臭いが立ち込め、消火後に換気をしました。夫も娘も私を責めることは一言も言いませんでした。情けなさで消え入りたい思いでした。(因みに後日すぐにコンロは“ピピっとコンロ”に買い替えました)

病院に行こう!脳を調べてもらおう。

結果は冒頭に記した通りです。あれから10年経ちました。物の名称がぱっと出てこないことは未だにありますが、私の脳の機能は9割方戻っているように思えます。最近の私はオリジナル曲を作ってみたり(歌唱力が向上したらレコーディングする予定!)1年前は町内会の総会計という大役をこなし(もともと算数数学が苦手なので苦難の1年ではありました)、2年前には介護福祉士の試験に合格しました。

こうして文章に起こして推敲していくと、気づくことがあります。私は在宅介護で母と一体化してた充足感、商業漫画を描く充足感、それらの過去に執着し現在の自分を肯定できなかった。現在の自分を肯定できず心が萎縮すると、脳・胃壁・歯茎と、身体の細胞が萎縮、死滅していくのです。過去に執着せず現在の自分を肯定するべきなのです、過去に何があったとしても。そして、社会情勢や災害がいかに酷くとも塞ぎこみすぎてはいけないのです。


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