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24年のこと

自己紹介はしたけれど。

もっと詳しく振り返ってみよう。

未来の私のためのノートだから、

今日までの過去を振り返ろう。



小さい頃からずっと人見知りだった


特別嫌われていた記憶もないけれど、

仲良しな友達との記憶もあまりなくて、

友達が仲良く遊んでいる輪に入っていくのが

苦手だった。


走るのが遅いから鬼ごっこも苦手。

話すのが苦手だからおままごとも苦手。

でもひとりでいたいわけじゃないから、

なんとなく、工作や粘土遊びをしている

グループへ逃げていたのは、小学校に入る前まで。


小学生になってからは、

絵を描く友達が増えた。

私も漫画のようなキラキラな目の女の子を描いた。

100円ショップへいって、キラキラした

ビーズを沢山買った。

学年が上がると、編み物もするようになった。

それらを作るために、図書館へ通った。


少しずつ年齢を重ねると、

異性のことは名字で呼ぶようになった。

なんとなくそんな空気を感じつつ、

急に変える気にもならず、

下の名前で男の子を呼び捨てにすると、

何故か周りの女子には不思議がられた。


みんなはどのタイミングで切り替えたんだろう。

波風を立てるのも面倒で、周りにならって名字で呼んだ。女の子同士でも、壁ができ始めると名字でさん付けされるようになる。

同じ学年で顔も合わせるのに、少しの期間離れるだけで友達としての関係も崩れてしまうのだとこの時知った。

周りとの関係が上手くいかなくなり、本が好きになる。

本は異世界へ連れて行ってくれる。

誰かと誰かの恋愛を見せてくれたり、

私が送れなかった素敵な日常を送る人々の世界を見せてくれる。


集中しすぎるほど読み耽ることもあったけど、

現実と見つめ合うほど心が強くなかったので、

夢のような世界へ強く手を引いてくれる物語はどれも魅力的に感じた。


中学に上がっても上手くいかないことの方が多かった。

図書委員に何度か所属し、委員長にもなった。

委員長の集まりとか、文化祭の準備とかはそれなりに楽しかった気もする。

音楽を聴き始めた。

とは言っても、その時の音楽番組に

出るようなアーティストたちの曲を

聴くくらいだけど。


部活は卓球部。

両親も兄もそうだったらしい。

なんでもよかったけど、

あの部活でよかった。

ちゃんと好きな友達と一緒の部活でよかった。

今も関係がちゃんと続いてるのって本当に

ありがたい。


あの頃は勉強嫌いじゃなかったかもな、

と思ったりするけど好きでもなかったな。

好きじゃないことをわざわざやりたくなくて、

高校は、総合学科を選んだ。

普通授業は、多分私には合わないな~

と思って、勉強は諦めた。


高校。

演劇部に入る。


元々、ドラマや映画が好きだったので、

お芝居の世界に興味があった。

人に物語を見せるということが、

とんでもなく楽しい世界に見えた。


自分が舞台に立つ時、普段生きている世界とは別の世界の住人になれるのが嬉しかった。


私たちが入部した時、2年生、3年生の先輩たちの演技があまりに上手で、社会派の創作劇だったから頭が追いつかない部分もあったけど、お子様なりに圧倒されたのを覚えている。


2年に上がって、冬、関東大会の舞台に立つことも出来た。地区、県、関東と、同じ人物を長く演じることが出来てとても楽しかった。

私はかっこいい男の子を演じることが出来ていたのだろうか。

今ならもしかしてもう少し上手くできたりするんだろうか。

いろんなことを考えるけど、もう舞台には立てないから、キラキラした3年間の思い出はそっと胸にしまう。


3年に上がった時、役の上ではなく、ひとりの人間として、初めてもっとかっこよくなりたい、と思った。

最高学年、先輩として、私はどうあるべきか。

後輩にも恵まれて、顧問が居ない時期なんかも乗り越えて、大変なことは多かったけど、周りの人達に救われた3年間だった。かっこいい先輩にはなれなかったけど、可愛い後輩たちがたくさんいてくれて良かった。


部活と同時にもちろん学校生活も送ることになる。

2年からの選択授業、もちろん選んだのは、人間・生活科学科目群。

福祉が必修。アパレルか調理の選択。

私が選んだのはアパレル。

自由選択授業に浴衣の製作もあったのにとらなかったのは後悔してる。作っておけばよかった。

その頃は部活に必死で授業はどうでもよく思ってた。


実際に授業で作ったのはスーツとワンピース。

ミシンを買ったらまた自分で作ってみたいな。


あの頃は自分の選択は絶対に間違っていない、

と強く信じていたけれど、多分もっと視野を広く持つことで、知ることのできた世界も沢山あるのだろう。

それでも衣食住は、生活を営む上で避けては通れない道なので学んだことは無駄にはならないはず。

福祉だって、人間みんな、子供から大人になることは変わらないのだから、知っていて損にはならないはず。


でも英語からあまりにも逃げてしまって、

いざと言う時に一言も発することが出来ないのはとても困るな、と思う。

あの頃学んでおけばよかったし、

海外へひとりで旅に出る友人たちをみて

とてつもない羨ましさを感じる。



大学。短大を選んだ。

表現文化学科、文化デザインコース。

社会人になる前のワンクッションとしての選択。


部活の顧問の勧めで慌ただしく受験したそこは、

私の人生を少し明るくした。

司書の資格はずっととりたかった。

資格さえあれば、仕事を得るときに必ずプラスにはなるはずだと思ったから。

司書の担当の先生が穏やかで素敵な人で、大人も悪くないんだな、と思った。

思えば中学生くらいの頃からあまりに周りを歪んだ目で見てきてしまって、同世代のことも、大人のことも、まっすぐ見ていなかったのかもしれない。だけど、その先生は単純に図書館が好きで、それを楽しそうに私たちに伝えてくれていて、何かを好きでいることも、それを仕事にすることも間違いではないのだと教えてくれた。

短大にはこの他にも沢山の先生がいたけれど、どの先生も担当の授業は専門分野だから、その楽しさがすっと胸に届いて、中でも映画や演劇の知識を持つ女性の先生は英語も担当していたから、英語がわからないことが悔しくなった。

ゼミでは着物について学んだ。可愛らしい外国人教授は着物の魅力に触れ、その魅力を発信している。卒業して一度着物の世界からは離れたのだけど、昨年、先生のイベントに参加して、やっぱり私も着物が洋服と同じようにファッションのひとつとして普通に取り入れられる世界になるように、少しずつ動き出したいな、と思っている。

動く前に先ず自分が着たいので、鎌倉か京都で古着の着物でも手に入れなきゃな。ふつうのだとお値段的に厳しいので。


話がそれました。


短大1年の夏。さすがにお金が無いのでバイトを始める。最初は運送会社のベースで住所別の仕分け。あれは力仕事だったので今の仕事を辞めることになっても二度とやらないと思います。お中元シーズンの短期バイトで、稼げたけど、さすがに体力に見合わない仕事は周りに迷惑をかけるのであかんな、と思いました。1ヶ月半、ちゃんとやり切ったし必要な時には残業もしたけどね。夜8時からの4時間。残業する時はプラス2時間。あれはあれで経験だな、と思いました。

その後見つけたのは服屋のオープニングスタッフ。店舗も広いので一人一人とお話するようなことは無かったけど、洋服に囲まれて仕事ができたのは楽しかった。品出しとか棚レイアウト考えたりとか。

いずれちゃんと書きたいのだけど、運送会社の倉庫を除けば私にとっては初めてのアルバイトだったわけで、それがここで良かったな、と思う。オープニングスタッフで、スタートの立ち位置がみんな一緒だったこと、年齢の近い人が多かったこと、何より店長の人柄がすごくよかったこと。多分ここでの経験は一生忘れないし、店長と働けたことには感謝しかありません。

私がアルバイトをしているうちに結婚をしたのだけど、もうお子さんとかもいるんだろうか。私が辞める前に異動してしまって全くその後のことは知らないのだけど。いい家庭を築いていることを願います。願わなくてもあったかい家庭になってそうだけど。


短大2年、人並みに就活をして、服屋に。2次面接の営業部長がとにかく素晴らしい方で、「あ、ここなら続けられるかも」と思った。結果2年半でやめたけど。この方についても書きたいな。子供の時って、所詮社会なんて、個人が集まっているだけなんだから1人でなんとかしなきゃいけないでしょ、と思っていたのだけど、そんなこと無かった。正直お店の全員のコミュニケーションが円滑に出来ていないと空気も悪くなるし、辞める人も出てくるし。そして、上に立つ人がきちんと自分のことを見てくれていることの有り難さ。大人との関わり方を見直した2年半だった。マネージャーも、営業部長も、本当に、お母さんのような、お姉さんのような、先生のような、不思議な関係性でとんでもなく好きでした。2人がいればきっとあの会社の従業員は幸せなんじゃないかな。辞めてしまった私が言うことではないけど、とっても今更だけど、あのときは、本当にありがとうございました。と伝えたい。


辞めた理由は単純で「話すスキル」を付けるための勉強が上手く出来なかったから。そんなのは本当は後付でもよかったのかもしれないけど、話しかけて、購入に繋げて、というのがあまりにもストレスになってしまって続けられなかった。「なんでもう一点積めなかったの?」という言葉に対するストレス。学生のお財布から大金を出させることが本当に正義なんだろうか。自由なお金を奪うこと、着ることのないかもしれない服を無理に買わせてなんの意味があるんだろう、という悩みがあまりにも大きくなってしまって、辞めることを選んだ。

決めてからは転職活動もスムーズで夢だった写真スタジオでの勤務もしたのだけど色々あり半年で再び転職活動。

着物の着付けやヘアメイクなど、これまでの経験が活かせたり、新たなスキルが身についた部分もあるので後悔はしてないけれど、今の仕事が好きだから、辞めたこともきっと間違いではないはず。


2回目の転職。図書館で働いてまもなく1年。

まだ未来への期待もあるので、今はとにかく目の前の仕事を丁寧にしていきたい。

夏には25歳になる。


後悔の少ない人生を、これからも選んでいきたい。

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