帝殺しの陰陽師〜第壱帖 蛇〜 巻之壱「蛇払い」
術師、道に迷うこと
「師匠、もしかしてアタイたち道に迷った?」
「うーむ、そうかもしれないねぇ」
「やっぱり・・・街道から逸れてるのはわかってたんだけど、自身ありげだったからさぁ」
「童よ、今の所都からは大した御用も受けてはおらぬのだ、慌てることもあるまい。道もほれ、轍が残っておる。馬車も通るのであれば往来する者もそのうち・・・」
師匠と呼ばれた男は彼が童と呼ぶ少女を連れてふたり山奥の街道を東国から都へ向かっていた、はずであった。
神宮へ参詣する人たちが多く通る街道を西へと向かっていたのだが、峠の途中で靄がかかり晴れるのを待っていたところで別れ道をあやまったらしい。
人の往来が急になくなり四半刻をすぎても人ひとりすれ違うこともなくなった。
隣を歩く童は不安がり、しきりに男に語りかける。
ところがこの男、不安も見せず地図を見改めることもなくスタスタと前へ前へと歩みを進める。
狩衣から見える肌には斑の痣、顔は竜骨の面を深く被り表情は見えない。華奢な体には不似合いなほどの荷を背負い遠目には怪しい魔物のような立ち姿をしている。
旅先で散楽を見せ、他所の地で仕入れた珍しい物を売る事を生業としているが、かつて「帝殺し」と呼ばれた陰陽師『マキビ』である。
謀略と呪詛を扱う事を許された数少ない陰陽師を呪詛師と呼ぶ。
そのひとりであったこの男は、先の帝を配流先で呪詛により命を奪い奉った咎により呪詛師としての職を奪われ都に入る事を禁じられた。
身体の痣は呪詛師たちにより穿たれた術式『穢』の傷痕である。
呪詛師たちから痣のひとつひとつに異なった咎を書き込まれ、死ぬ事を赦されぬ罰を与えられたのである。
以後、術師マキビと名乗り姿を隠すように各地を転々としていたのだが・・・
「でもなんで今更帝都に呼び出されたんだろうね。どーせ入ることができないのに」
「どうせハルアキラあたりが手を回したのでしょう。あれは出来のいい子ですから私を帝都に潜り込ませるくらい容易いのでしょう」
「ハルアキラって|陰陽寮《おんようりょう
》の偉い人?」
「そう、私とは違って内裏から頼られている。陰陽博士はあの子の血筋から選ばれるくらいだからからね。うらやましい限り」
「師匠がヤバい仕事ばっかり引き受けてるから・・・」
術師は立ち止まり童と同じ目線にまでしゃがみ、穏やかな声で童に話した。
「でもね、これは誰かが引き受けなければならない役目なんだよ。それにー」
「それに?」
「内裏に縛られていないから、私は様々な術式を学び操ることができる。呪詛師などと言う肩書きがあっては禁忌へ踏み込むこともできないからねぇ・・・」
「師匠ぉ、いい事言ってる俺ってすげぇんだぜって思ってるところ悪いんだけど、とりあえず今夜の宿と食べるだけの路銀を稼がないと・・・前の宿場でいなくなったと思ったら案の定妓楼で散財したもんだから。蝦蟇蠱が機嫌悪くして今朝から居ないんだけど!踊り手がいなくなったら散楽どころじゃなくなるんだよねぇ。師匠、代わりに踊れる?見たくもないけど」
童は術師の女癖には辟易としているようで言葉の棘を隠すつもりがないらしい。
「童はいつも私に対してはなかなか手厳しい事を言うねぇ。でも、あの子のことだからそのうち戻ってくるでしょう。それよりも心配なことは・・・」
「え?」
「あの集落にあるのかもしれないねぇ」
「あ・・・」
峠の頂から先に見えたのは小さな集落。
田畑や幾つかの家、人の姿も見える。
「でも、かなり寂れた村だねぇ」
「うむ、田畑もあまり手入れされていないようだしね」
「こりゃ芸で日銭を稼ぐのも無理だなぁ」
「村で一番偉い人にでも頼み込むしかないね」
ふたりは集落の入り口まで降りて来た。
田畑にはわずかばかりの作物が実っており、家族であろうか数人で収穫している。自分たちの食い分程度に作っているだけのようだ。
その中のひとりに声をかけると村の主の所へ案内してくれた。主は外からの客人を歓迎すると宴を用意してくれた。
主はふたりが話す村の外の話を大層喜び、その礼に屋敷に泊まらせてくれることとなった。
滞在中の世話人としてひとりの少年を紹介された。
『千早丸』と名乗るその少年が部屋まで案内してくれた。
「どうした童、あの子のことが気になるのか?」
千早丸に見とれていた童を揶揄うようにマキビは笑っていた。
「ち、違うよ!同い歳位かなって・・・」
「うむ、童は大人連中ばかりに囲まれていたから。お前の郷も年寄りばかりだったしね」
「まぁそうだね、お父もお母もアタイが小さい頃におっ死んじまったし」
「あの子と仲良くなれるといいね」
「だからそんなんじゃないって!」
照れ隠しなのか、童は布団の中に潜り込んだ。
「入ってこないでよ、いくら女っ気がない村だからってアタイの寝込みを襲ってきたりしたら・・・」
「私が許さない」
「え?蝦蟇蠱!」
部屋の中にもうひとり少女が入っていた。
蝦蟇蠱は童を布団ごとマキビから離して間に座り込んだ。
「若い女を見かけない良い村、なんならずっとここにいてもいい。そうすればマキビは私の・・・」
「おかえり、蝦蟇蠱」
「探しもしなかった癖に、冷たい男」
「帰ってくるとわかっていたからね」
「なら、少しは私のことを気にかけてくれても・・・って」
「寝てる・・・」
マキビはすでに寝息を立てて眠っていた。
蝦蟇蠱はため息をついてマキビの顔に近寄り耳元で何かを囁いた後、童の布団に潜り込んだ。
狭い布団の中で蝦蟇蠱は童の背中に体を押し付けるように抱きついてくる。
「ちょっと!ベタベタしないで!暑苦しいんだけど」
「良いではないか、それともさっきの少年がそばにいてくれる方が嬉しいのか?」
「は?関係ないし!」
「ならばこのまま素直に寝ておけ、明日はここではゆっくりとできなくなるからな」
「どう言うこと?」
「明日になればわかる」
蝦蟇蠱もそう言ったあとすぐに眠ってしまった。
「ゲロガマ子ぉ・・・アンタの胸が背中に当たってるんだけど?」
童は悶々としたまま寝つきの悪い夜を過ごすことになった。
千早丸
翌朝、千早丸が三人の朝食の支度をしてくれた。
焼いた川魚、山菜や畑で採れた野菜の煮物、豆腐の味噌汁、白いご飯・・・強飯しか食べたことのない童は珍しい物を見るかのように眺めていた。
「うわっ!なんてご馳走だ。アタイこんなの戴いていいのかな?バチ当たらない?」
「出されたものはありがたく戴きましょう。残したらそれこそ罰当たりというものよ」
「蝦蟇蠱の言う通りだね、全て命のあるものだからね、日々の糧に感謝しなければ」
「あー、なんかいいこと言ってるし、わかったよ!戴きまーす」
童は初めて見るご馳走をあっという間に平らげた。
横で千早丸が笑いながらおかわりを勧めてきた。
童は顔を赤らめながら茶碗を千早丸に差し出した。
「童、どうした?顔が赤いぞ。遂に色気付いたのか?」
「アンタと一緒にしないで!」
二人のやりとりを千早丸は笑いながら見ていた。
「おふたりは仲がいいんですね」
「そんなわけない!」
二人揃って同じ事を言ったので千早丸はまた笑い出した。
「ごめんなさい・・・でも可笑しくて・・・こんなに大笑いしたのは初めてです」
「べ、別に笑ってくれても構わないけど・・・」
童は照れを隠すように茶碗のご飯をかき込んだ。
「童、蝦蟇蠱、昼にはここを発つから支度をしておきなさい」
「は〜い」
童が気を取り直していつものように元気な声を出した時であった。
グラッと横に小刻みな揺れを感じたあと大きな縦揺れが四人を襲った。
瓦が落ち、家具が倒れる。童を守ろうと千早丸が上から覆い被さる。
程なくして揺れはおさまった。
童が目を開けると千早丸の顔が間近にあったので驚いたような声をあげた。
「童・・・さん、大丈夫?」
「だ、大丈夫、だから・・・」
「うん、よかった・・・」
そう言うと千早丸は童に身を預けるようにして気を失った。
蛇の痣
「ちょ、アンタ!大丈夫?起きなさいってば!」
童が必死に声をかけるが千早丸が目を覚ます気配がない。
マキビは蝦蟇蠱に抱きつかれていたがあしらうように振り払い(拗ねられたが)千早丸の元に近寄った。
家具から調度品が落ちて後頭部に当たったのだろうか、頭から血を流している。
「気を失っているだけだが念の為だ、蝦蟇蠱、療具を」
「ここにある」
「へぇ、息が合ってるんだね」
「当たり前、マキビと私は身も心もひと・・・」
「二人とも口を動かさずに手を動かしなさい」
マキビは二人を嗜め、改めて千早丸の頭部を見てみる。
出血は止まったようだが意識は戻らない。
蝦蟇蠱に部屋に村の人間が入らないよう見張らせながら手印を組む。
マキビがブツブツと何かを詠唱すると千早丸の傷口が塞がれていく。
呼吸は安定しているが眠っているかのように動かない。
「師匠・・・この子、まさか」
「いや、そうではない。童、すぐに主を呼んできなさい。出来ればこの子の親も」
「わかった!」
童は急いで村の主を呼びに行った。その内にこの少年の親も駆けつけるだろう、その間に・・・
マキビは懐から数珠を取り出した。
「唵!阿毘羅吽剣!」
詠唱が始まると床には千早丸を中心に病封じの紋章が描かれた。
「蝦蟇蠱!この少年の心を調べてくれ」
「承知」
蝦蟇蠱は千早丸の服を脱がせようとしたが肌を見た途端に大きな声を上げた。
「なに、これ?!」
千早丸の腹部から胸にかけて黒い蛇がとぐろを巻いているような痣-それが誰かに刻まれたのでなければ-があった。
蝦蟇蠱は体に描かれた蛇のような痣に触れようと指を近づけた。
「ッ!」
蝦蟇蠱は指に針が刺さったような鋭い痛みを感じてすぐに手を離した。
「マキビ、その病封じはダメ!」
「どうした?」
「この子の心の脈がどんどん弱くなっている。蛇の痣に触れようとしたら拒まれた」
「クソっ、蛇封じが裏目に出たか!吽!」
マキビは病封じの紋章を解き、深く呼吸を整えて
「唵・・・阿嚧力迦」
次に穏やかな声で詠唱した。
蝦蟇蠱はもう一度千早丸の胸に指を当てた。
「続けて」
蝦蟇蠱の指が黒い痣を優しく撫でるようになぞっていく。
黒かった痣が徐々に薄くなり千早丸の肌の色よりやや濃い色にまで戻っていった。
「もう大丈夫、心の脈が落ち着いている」
「そうか」
マキビは療具から一包の薬を取り出して千早丸に与えた。
薬の効果か、千早丸の呼吸が元に戻り穏やかに休んでいるように見える。
落ち着いた頃、童が村の主と千早丸の両親を連れて来た。
「チハヤ!」
千早丸の母親が抱き寄せる。父親も二人に寄り添い息子の無事を喜んでいるようであった。
「何があったの?」
童が蝦蟇蠱に話しかけたが、当の蝦蟇蠱はウットリと指先を見つめていた。
「後でいい?いまはこの指に残ったあの少年の肌触りを愉しみたいの」
「あ、そうですかエロガマ子」
蝦蟇蠱はフッと童に向かって笑ったあと、村の主に話しかけた。
「マキビが三人に聞きたいことがあるらしいんだけど、別のお部屋を用意してもらえるかしら」
主は少し躊躇ったあと、部屋を用意すると伝えてその場を離れた。
「私たちも少しここを離れよう」
マキビは童と蝦蟇蠱を伴ってその部屋を出た。
屋敷の庭に出てマキビは蝦蟇蠱に声をかけた。
「この村の出口は降りて来た峠しかない。悪いが先の揺れで峠がどうなっているか見て来てくれないか」
「承知」
そう言って蝦蟇蠱は姿を眩まし峠の方へ向かっていった。
「童、あの子のことが気になるか?」
「そりゃ・・・気にはなるけど」
「そんな童にしか頼めないことがある。
私はこの後村の主を交えて話すことがある。その間あの子の世話をしてもらえないかな。」
「いいけど・・・何が目的?」
「話している間も薬を与えてからの様子を知りたい。両親を連れて来たお前なら心を開いてくれるのではないか、と思ってな」
「さっきあの子に飲ませたのって・・・まさか、式神?」
「心配ない、あの子を内からよく調べるための式紙だ」
「あの子、もしかして咎を受けてるの?この村に来たのは偶然じゃないってこと?」
「それはまだわからない、そのために内から見るのだよ」
「さっきみたいなことにならない?」
「私は童が悲しむようなことはしないよ」
童はマキビの目をじっと見て、嘘はついていないと確信した。
「わかった。行ってくる」
童は駆け足で千早丸が休んでいる部屋に駆けて行った。
「さて、主たちと話す前に・・・」
マキビは懐から一枚の紙を取り出した。
「唵・・・」
囁くように紙に話しかけると掌の上で紙が玉のように丸くなり硝子玉のように透明になった。
マキビが覗き込むと部屋の中が見える。
部屋には童が座っている。
マキビは少年と両親の姿を確かめようと部屋を見回した、が・・・
マキビはニヤリと笑いながら硝子玉を見つめていた。
「なるほど、童の言う通りかもしれない。やはり私たちは偶然この村に迷い込んだのではなさそうだ・・・」
巻之壱 了
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