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少しの間、離れていた日常生活

5連休を経て、今日からいつもの日常に戻った。これまではサービス業だったから、転職した今年は社会人4年目にして初めて大型連休を体験した。希望休や有給を出さずとも大型連休が訪れるのは実に新鮮である。

しかしながら特に何をしたというわけではないので、勿体ないことをしたなとも思う。実家に帰りたかったけれど県外なのでそういうわけにもいかず...

今日から久々の日常生活。出勤の車の中であれこれシミュレーションをしてみた。
「休みの間、どこに行ったの?何をしたの?」
今日一番の話題になることは想像に容易い。
「...」
だけど私は何も答えられない。
一冊も本を読まなかったし、何か映像作品を観て人生観を変えられたわけでもないし、好みのアーティストや音楽を新たに見つけられたわけでもない。
それでも、これまで親しんできた作品を改めて噛み締め直すことはした。高校生の頃から聴き始め、青春のバイブルとなっているフジファブリックをアルバム毎に曲順通りに聞いたりして、しみじみとした。それはとても心が満たされた。
だけど、会話としては盛り上がりに欠ける。困った。

結局シミュレーションこそは一丁前にしたけれど、良い回答も思い浮かばぬうちに会社に着き、1人でぼんやりと過ごしていた時間は社会的な忙しない時間軸へと切り替わっていった。会社の中には遠方へ出かけたり、実家に帰省したり、おいしいご飯を食べたり、楽しい思い出を増やす人が多い一方で、私のように地味だけどそれなりにゆっくり休んだという人も多くて気が楽になった。正直に事実を伝えることで共感を生んで親しさが生まれるなら、正直さは大事だなと思った。

会社の年の近い女の子が以前からダイエットをしているのだけど、今日改めて見たら脚がすらっと細くなっていた。そのことを伝えたらとても喜んでいて私も嬉しくなった。そのほかは皆いつもと同じ。皆良い人。私だけがいつまでも慌てふためいて目をぐるぐるしながら仕事をしている。早く慣れて、一人前になりたいけれど、私に足りないものは全てであるように感じて手も足も出ない。落ち着け、自分。

5連休の間、ニートだった2ヶ月間の脆弱な気持ちが色々と蘇ってきてちょっと怖かった。仕事に行きたくない、仕事を出来ない自分を見られたくない、失望されたくない、社会に適応出来ていない自分が怖い。そんな気持ち。
必死に押し込めていたはずの気持ちは消えることなく、私の心の根底でいつも潜んでいることを今回思い知った。

夫が先週あたりから元気がなくて心配なので帰宅後、ハンバーグとポテトサラダとピラフを作った。糖質・脂質だらけで気になるけど彼は大好物を嬉しそうに食べてくれてこちらも嬉しくなった。あくまで私のエゴなので、見返りを求めてはいけないと分かっているけれど。食卓での楽しそうな彼の表情にちょっとホッとした。落ち着いて話を聞いてみたいけど、彼はそういうタイプでもないので様子見。

今日はここまで。おやすみなさい。


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