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【ネタバレ有】苦しみを抱える人のための『すずめの戸締り』

どうしようもないほど辛い記憶は、一体どうすればいいのか?人はいつか必ず死ぬ。ならば今生きる理由はどこにあるのか?

この映画は死ぬ事を意識するほどの傷を持った人間の、絶望感に対する向き合い方の一つの答えを提示している。
今がどんなに辛くても、人は成長した先で繋がりを得て生きていける。
それだけを信じて、今しばらくは辛い記憶に鍵をかけて前を向いて旅立つこと。それが生きることだと。

死はいつも隣にあるが、それでも生きていく。

 ラストのシーンでは、小さいすずめが、もういないとわかっている母を探し続けて泣いている。すずめはそれを見て立ちすくむ。
 すずめは過去の自分を慰める言葉を見つけられず、「どうすればいいの?」と答えを見失っていたが、これはトラウマを経験した人間の迷いそのものにも見える。
 心に深く刻み込まれた悲しみと絶望感。今を生きることが考えられない、いわば死に魅入られた状態。
 作品の中盤までのすずめも、「死ぬのなんか怖くない」「人が死ぬのは運」だと考え、生よりも死に近い場所にいた。だからこそ、常世(とこよ)に迷い込むことが出来たのだろう。
 そうした自分の過去に直面したことで迷いを見せるすずめだったが、過去に母(と思っていた自分自身)からイスを渡された事を思い出し、小さいすずめに、自分の持っている足の欠けたイスを渡す。そして自分の知る「すずめ」の将来の話をする。

 どんなに辛くてもあなたは成長して、大切な人と出会って生きていくのだとすずめは話す。
 これは、旅をして人とのつながりが出来て、草太さんという互いを大切にできる人を見つけたすずめだからこそ言える言葉だ。

 草太さんに出会って、猫を追いかけて色んな人に出会い、言葉で表せるものも表せないものもたくさん受け取って縁を結んでいった。
 草太さんと同じ時間を過ごし、共に過ごせる事を当たり前に考えるようになり、草太さんのいない世界が怖い、一人は寂しい、生きていたいと、これまではなかった感情を持つようになってゆく。
 人との出会いによって、すずめは生きることに執着できるようになったのだ。

 すずめにとって、現世への心残りこそが、死に直面した記憶を後ろ戸に御返しして、今を生きるための要石であった。

 すずめは、過去の自分を励ましたことで、小さい頃に生きていくための答えを受け取っていた事を思い出す。そして、死の世界に鍵をかけて「いってきます」としばしの別れを告げる。
 常世の存在や辛い記憶など「死」に連なる存在から目を背けて忘れるのではなく、ただそれに圧倒されてしまわないように、扉を隔てた向こう側に居てもらう。これがすずめが旅の果てに得た自分の答えである。

 最後に要石を刺すシーンで唱えられた祝詞も、こうした生への願いが唄われている。

「命がかりそめだとは知っています。
死は常に隣にあると分かっています。それでも私たちは願ってしまう。今一年、今一日、今もう一時だけでも、私たちは永らえたい。」

 この言葉は、すずめとの繋がりから、一緒にいたいと願う気持ちを手に入れた草太さんの想いであり、二人の絆の成長に心打たれる印象深い台詞だった。

死にたい友だちの話とまとめ

 私の友達は自殺未遂をした時に母親に泣かれ、それから母の想いが重しになって死ねないと言っていた。
 彼女は、母の想いを邪魔に感じている事にもまた苦しんでいた。しかし、人の生はそもそも繋がりがあるから保たれるもので、彼女が今重しに感じているのは、彼女なりの要石を手にしつつあるのからなのかもしれない。

 いつか終わるとしても、今を生きていってほしい。人はそうした繋がりで生きていける。前に向く方法を示して励ましてくれている映画だったと私は思う。
 辛い記憶に鍵をかけて遠くに居てもらうということも、過去に向き合うこともすぐには難しいかもしれないが、すずめの言葉を信じて、前を向ける日を待つのも良いのではないだろうか。


 私は初めこの映画を観るつもりがなかったので、母に予め話の流れやテーマなどネタバレを聞いてから見に行ったのだが、それをしてもなお余りある情報量と感情の嵐で涙してしまうほど感動した。
 このネタバレを見た人も、改めて映画を観ることで更なる発見があるのではないだろうか。私もまた観てみようと思う。

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