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スーパー語彙力ギフテッドのガキンチョ

「癖」という単語を聞くと、幼稚園児の頃、これが原因で喧嘩したことを思い出す。語彙力の高いガキンチョこと私と、仲の悪いもう一人のガキンチョとのバトルを。
そう、あれは忘れもしない年中の頃。私にはめちゃくちゃ嫌いな相手がいた。吊り目がちな瞳と、少しそばかすの浮いた頬。色素の薄い長髪で、長く伸ばした前髪ごとまとめて後ろに括っていた女の子。身長が近くて、いつも私の前に並んでいた。その子をSちゃんと呼ぼう。

Sちゃんとは事あるごとに喧嘩していた。なぜ嫌っていたかはもう覚えていない。しかし、Sちゃんが私の言ったことを毎度「悪口だ」と言って怒り出し、喧嘩が始まることが多かった。

夏になる頃には、私はSちゃんを見るとイライラするほどに険悪な仲になっていた。さすがに生活に支障が出ると感じた私は、いつもケンカの原因になるSちゃんの誤解癖を直そうと考えた。
そして午前中に喧嘩をしたある日、帰りの会で前に座るSちゃんの肩を叩き、努めて友好的に話しかけた。
「あのさ、Sちゃん、今日のは私も悪かったかも知れない。ごめん。でもさ、何でもかんでも私の言ったことを悪口だと思う癖、よくないよ。その癖やめた方がいいよ。」
Sちゃんはしばしの間ぽかんとした顔を浮かべ、「え?なに?くせ?」と聞き返してきた。
私は聞こえなかったのかと思い、ややゆっくり言い直した。
「だから、なんでも悪くとる癖、やめた方がいいよって」
するとSちゃんは途端に顔をしかめた。
「くせ?くさいって言ったの今?」
「は?違うよ、癖だよ、くせ」
「やっぱりくさいっていってるじゃん!」
「何言ってんの?言ってないよ!癖だってば!く、せ!」
「ほら言ってるじゃん!くせぇって!私くさくない!」
「はぁ!?だから言ってないって!」
「もういい!せんせいにいいつけるから!そしたらせんせいにおこられるから!」
顔を真っ赤にし立ち上がったSちゃんは、「せんせぇ!!」と喚きながら、前方で話す先生の元へ駆け出して行った。信じられないことに、彼女は「癖」という単語がわからず、「臭い」という単語に変換してしまったらしい。思考回路が謎すぎて当時は理解できなかった。
まじか、と思いながら呆然としていると、Sちゃんと、私の「悪口」を言いつけられた先生が怪訝な顔でSちゃんと共にやってきた。あの様子だと先ほどまでのやり取りは聞いておらず、Sちゃんのチクりで喧嘩に気づいたらしい。これで先生がSちゃんの言を信じると、私が悪かったことになり叱られてしまう。それは嫌だ。これから起こる言い合いで、先生に事情を察してもらわなければならない。私は腹を括った。Sちゃんが口火を切る。
「せんせい!ちょこちゃんがくせぇって言ってくるの!」
先生が眉根を寄せ、私を見る。よし来た。ここが勝負どころだ。私はすかさず反撃に出た。
「言ってない!Sちゃんに『なんでも悪くとる癖やめろ』って言ったの!」
「ほら!くせぇって!!」
「だから癖!『くせえ』じゃなくて、『くせ』!三文字じゃなくて二文字!
ちゃんと聞きなよ!」
「ね!!ほらせんせい!しかってよ!私くさくないのに、くさいっていってくる!」
Sちゃんは先生さえ連れて来れば勝ちだと思っているのか、私の方を見向きもせず先生にねだっていた。先生の方をちらりと見ると、このやりとりで察してくれたのか、先ほどの厳しさは消え、困ったような顔になっていた。先生にありもしない罪で叱られるのは回避できそうだった。あとはこの誤解を解いて喧嘩に勝利するだけである。
「どういう耳してたらそんな聞き間違いするんだよ!わかった、そんなに言うなら違う言葉にする!悪癖!これなら分かるでしょ!」
新たな言葉に反応したSちゃんは私に向き直った。
「なに!!へこき!?わたし、『へ』なんかこいてないもん!くさくない!せんせい!!またわるぐちいってきた!!」
「…はあ?」
Sちゃんの壊滅的な聴力と脅威的な連想力の前に、私の語彙力は無意味だった。「あくへき」は「へこき」へと変換されてしまったらしい。彼女の中で、私は「屁をこいて臭い」と悪口を言ったことになっていた。今なら笑えるだろうが、当時の私はあらぬ誤解に怒りが頂点に達していた。私はもはや誤解を解くことをやめ、相手への攻撃をし始めた。
「信じらんない!!なんでそんな語彙力低いの?」
「なに、ごいりょくって!」
「言葉知らないって意味だよ!バカ!」
「しらないことばつかわないでよ!バカじゃないもん!」
「なんで語彙力は知らないって分かるのに、『癖』と『悪癖』は知らないって分かんないわけ!?バカじゃん!」
「しってるし!『くさい』と『へこき』じゃん!またバカっていった!ねえせんせい!しかってよ!」
「何でもかんでも揚げ足取るなよ!自分がわからないだけのくせに!」
「足なんかあげてない!たってるから、足さげてるもん!」
「揚げ足を取るってのはそのまま意味じゃない!」
「じゃあどういういみ!?」
「細かいことで毎回悪い意味にとるってことだよ!ていうかまさにその癖をやめろってさっきから言ってるんだよ!」
「とってないしくさくない!くさくないもん!」
「とってるじゃん!!あと癖だし!バカ!」
「とってないもん!」
ここから水掛け論が始まり、喧嘩が加熱したのを見かねた先生が間に入った。私の肩に両手を置き、疲れた顔で私に向き合った。
「ちょこちゃん、今なんの時間?」
「帰りの会の時間」
分かっているなら喧嘩するなという呆れ顔で、先生は肩から手を離した。
「もう喧嘩しないで、ちょこちゃんは人に馬鹿って言ったのを謝って」
一生終わらないであろう言い合いを終わらせるべく、先生はもはやSちゃんの誤解を解くことも私を叱ることもせず、とにかく二人を黙らせることで収拾をつけることにしたらしい。腹は立ちつつもそろそろ疲れていた私は、馬鹿にしたことは確かなので謝って終わりにしよう、と思った。思っていたのだが。
この時、Sちゃんは私を叱ってもらえるとばかり思っていたようで、「なんでせんせいしからないの?わるぐちいってきたのに」と唯一の頼みを失って絶望したような顔をしていた。ここまで来て、一人だけ事情がわからないSちゃんがもはや哀れに見えてきた。しかも結局、誤解癖をやめるようにという忠告もまったく伝わらなかった。私はあらゆる無力感と疲れと苛立ちで、素直に謝れなかった。
「バカに分かってもらえるなんて期待したのが時間の無駄だった。ごめん。もう期待しないし何も言わないよ」
追い討ちをかけた私に、Sちゃんはまた怒った。涙目だった。
先生はもうやめてくれと言わんばかりに双方を制止し、無理やり座らせて前を向かせた。

私はこの後、何故Sちゃんに日本語が通じなかったのかしばらく本気で悩んだ。先生には通じたし、私も分かる。この語彙は母に使われて覚えたのだから、この喧嘩に関わった人間の中で、Sちゃんだけが分からなかったのだ。私が歳の割に賢すぎるか、Sちゃんが無知すぎるかのどちらかだと思った。


今思えば、ギフテッドの特徴の1つである「高い言語能力のせいで同年代と馴染めない」というあるあるだったのかもしれない。
そして無駄な記憶力のおかげで、15年以上経っているのにこんなことを未だに映像で覚えている。
別に診断は出ていないし、そもそも病院に行ってすらいないが、簡潔に説明できる言葉が他にないので許してほしい。診断名が付こうが付くまいが、賢すぎて浮いた過去も相手に伝わらない孤独感も変わらないのだ。

「喧嘩は同レベルの相手でしか発生しない」とはよく言ったもので、これだけ語彙力に違いがあるのに情緒は同レベルなのが面白い、というのが母の感想だった。

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