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映画ばかり

はじめて映画館に行ったのは5歳の時。浅草で上映していた東映まんがまつりの『長靴をはいた猫』でした。私には弟がいるけれど、この日は母と二人だけのおでかけだったのが嬉しくて、映画の内容は全く思い出せなくても、その日の風景は今でも覚えている。

幼少時代の浅草六区は、映画館・ストリップ・演芸場・場外馬券場などが小さいエリアに集まり、星マークでおっぱいを隠した看板と子供向けアニメの看板が隣り合っていた。昭和はセクシー看板も街の一部だった。その看板をしげしげと見つめ、『お姉さんとお母さんはどこかが違う』とその違いを不思議がるような5歳児だった思う。

母は『銀河鉄道999』が大好きで、映画化されると一緒に観に行った。機械の体に精神を入れることが当たり前になった世界で、機械の体が欲しい鉄郎は、タダで機械の体が手に入る星までメーテルと銀河鉄道で旅をするお話。

不老不死が人々の心の有り様を変えてしまうことに直面する鉄郎は、本当に機械の体が欲しいのか葛藤しながら旅を続ける。停車駅で多くの出会いと別れを繰り返し、喜びや悲しみを経験していくその様子は、人生そのもの。

『さよなら銀河鉄道999』と『1000年女王』を観て、松本零時作品のすべてが繋がっていることに、衝撃を受けた。自覚のあるなしに関わらず、誰かが誰かに影響を及ぼしていること、世界は繋がっていて、宇宙の如く無限なこと。小学生だった私が、その世界観をどれだけ理解したかは定かではないけれど、松本零時が示した宇宙は、私自身の人生哲学にかなり大きな影響を及ぼしていると思われる。

・銀河鉄道999(1979年)
・銀河鉄道999 ガラスのクレア
・さよなら銀河鉄道999 -アンドロメダ終着駅-(1981年)
・1000年女王(1982年)


自営業だった両親は、朝早くから夜遅くまで自宅で仕事をしていました。まだ小さい私が、かまってアピールをしても、全く相手にしてもらえなかった。家族とレジャーに出かけた記憶もほぼない。でも、両親共に映画が好きだったから、テレビで気になる映画の放送があるときだけ、テレビの前に家族が集合した。

水曜日は水野晴朗 水曜ロードショー
土曜日は高島忠雄 ゴールデン洋画劇場
日曜日は淀川長治 日曜洋画劇場

父は特に西部劇が好き。母はチャンバラやアニメが好きだった。わたしはヒッチコックやミュージカルが好きで、弟は夜更かしできず寝ていた。

無口な父と無口な私。時々父の膝の中に座ったり、父の膝を枕にして寝転がり、ただ同じ映画を観るだけ。特に何ということでもないけれど、思い出すと温かい気持ちになる。


大人になってもまだ映画を観ている。最近は劇場で1本観たら、1週間くらい作品の内容を反芻するようになった。だから映画館に行くのは、月に2~3回だろうか。noteに映画感想文を投稿するようになって、自分が観た映画の物語と、監督や脚本家が描きたかった物語が調和しているか、シーンごとにぼんやり考える。誰かの映画レヴューを読んだり、聞いたりすると、自分の見たいものしか見てないことに気づいたり、新たな映画の着眼点に出会えて、以前より深く映画を楽しんでいる。

テレビで放送される映画のチェックも地味にしている。気になる映画は日々録画して、その日の気持ちに合わせて映画を観る。コンテンツそのものを楽しむというよりも、日々の感情をフラットに切り替えるアイテムとして映画を観ているような気がする。

人間関係でへこめば、ハートウォーミングな映画
ブチ切れたときはサメやゾンビ映画
泣きたいときは泣ける映画などなど

例えば現実世界で悲劇的な事件が起こって、感情のざわつきが大きくなると、とても気持ちが悪くなってしまう。そんな時、もっと気持ちの悪いホラー映画を観に映画館に行く。これは映画館がいい。悪趣味だとは自分でも思うけれど、あまりに非現実的な世界に没入すると、鑑賞後、現実の世界がやたらと美しく見える。だからといって問題が解決するわけではないけれど。

私の場合は、気持ちのざわつきを凪の状態に自力で戻すことに時間がかかるので、2時間で気持ちが切り替わるホラー映画には救われている。人にオススメする切り替え方法ではないけれど。マイナス×マイナス=プラス?ということだろうか?

最後に浅草六区は映画館発祥の地だったんですね。今現在浅草に映画館がないのはなんだか少しさびいです。


いつも読んで下さりありがとうございます。

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