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難産でうまれた私

私にとって誕生日というものは、一年に一度、私だけが祝ってもらえるという点でお正月ともクリスマスとも違う、格別におめでたい日だった。まぁ多くの人がそうなのだろう。

大人になってからも、誕生日のスペシャルお祝い感はまだ続いていた。それが大きく変わったのは、私が親になって、いや正確には一人目の子どもが1歳になったときだと思う。

子どもに対して「おめでとう、無事に健やかに育ってくれてよかった」と、当たり前に思う。それはそう。でも同時に、1年前たいへんだったな、という感情がわきおこったのも事実。そしてその日を境に、自分の生活が一変してしまったのも、また紛れもない事実で。子どもの誕生日は、自分の苦しかった日の記念日でもあり、親としての自分の記念日でもあるのだな、とすこし悟った風。

子どもの1歳の誕生日が過ぎて、その次にやってきた私の誕生日。母から誕生日おめでとうの電話があった。

母の「もうめでたくないだろうけど、おめでとう」に対して、「うれしくはないけどありがとう」といつものように返す。そして「お母さんも○○年前たいへんだったんだね、おつかれさま」と付け加えた。母は「あら、あなたも親になると変わるのね」みたいなことを言ってたかな。

「産んでくれてありがとう」とまでは思わないから、「おつかれさま」くらいがちょうどよかった。

「産んでくれなんて頼んだ覚えはねぇ」ってよくあるアレ、ほんとだよね~って思います。私も親に対して思ったし、今でも思うし、子どもから言われたし。きっと多くの人がたどる道で、だけど思ったところで何も変わらないし、どうすることもできないし、あぁここにも答えがないんだ。この永遠に続く不毛な繰り返しはいったいなんなんだろうな~と突き詰めていくと「ひとは生かされてる」という境地に到達するのかなぁ。そう解釈するしかないのかもなぁ。


私は難産だったらしい。命の危険があるとかないとかの難産だったらしい。よく聞かされた。

私は産まれたとき、とてつもなく大きな赤ちゃんだった。これも何度も聞かされた。小さく産んで大きく育てるの逆。大きくうまれてしまった。太り過ぎのため、私史上一番残念なビジュアルでこの世に登場してしまった。

難産と赤ちゃんのサイズに関連があるのかないのかわからない。母がもともと難産体質の人だったのかもしれないし、やっぱり巨大児の出産は大変なのかもしれない。

私を産むために大変な思いをしたのは事実だけど、私が頼んだわけじゃないし、私が責めを負うことじゃないから「たいへんだったね」というねぎらいの一言だけ。そこにはお礼でもお詫びでもない、可もなく不可もなく、ただ間に線を引くだけの不思議な感覚。ひとつ脱皮した瞬間だったのかも。


私は妊娠中つわりがひどかった。特に乳製品が一切だめだった。母は私の妊娠中、なにも食べられなくてソフトクリームばかり食べていたそうな。そのせいで体重が15キロ以上増えたとかなんとか。

あるときふと、私が難産だった要因はそこなんじゃね?と思った。ソフトクリームによる母体の体重増えすぎが原因だったのでは?私が巨大ベビーになったのもソフトクリームのせいでは?しかし、それも母のせいなのか?ソフトクリームを求める強烈な欲を発しているのは、お腹に宿っていた私なのか?はたまたホルモンのなせる業なのか?

これだ、という決定的な答えなど、ないことの方が多いのかもしれない。ソフトクリームを食べる子どもを見ながら、私とソフトクリームの浅からぬ関係を思った、ある晴れた日の午後。


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