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家族がひとり減り思うこと

上の子が家を出た。
理由はいろいろある。
1番大きな要因は、下の子が上の子と共存することが難しくなったからだ。
攻撃的であったり、敵意や嫌悪感をむき出しにしたり、しかも一方的に。いわゆる家族として尋常ではない状態が続いていた。
上の子には、我慢や不便を強いてしまったし、辛い思いをさせてしまった。
下の子には下の子の抱える生きづらい事情があって、そこを責めることはできないのだけれど、理解できないし、寄り添うこともできなかった。

上の子は今、のびのびと暮らしている。存在を消すように生活していたから、好きな音楽をかけたり、好きな時に好きなものを食べたり、とにかくやりたいように自由にやっているのだと思う。

一緒に暮らしていたときは、手伝いも身の周りのことも何もしないし、できない人だったから、生存できるのかをわたしたちは大マジメに心配していた。
生存確認に、ときどき作った料理の写真が送られてくる。時間がかかったり、味が薄かったりするそうだ。
今までやってこなかったのだからそんなものだ。人の作ったものはかんたんに文句を言ってしまえるけど、自分で作ったものは、自分で平らげるしかないもんな。
近くに住んでいるので、通りかかることもある。建物を見上げて、ベランダに洗濯物が干されている気配を感じ取ると「よし、生活できてるな」と安堵する。不意な雨にやられることもあるようだが、それもそんなものだ。洗いなおすか、なかったことにして干すか、迷って決めたらいい。

それなりに、やっている。
これでよかったのだ、と思う。

上の子とて、ただかわいそうなばかりではない。
一緒に生活しなくなってから、こちらの生活が格段に楽になった。
秩序を乱す存在だったのね、上の子アメは。
親子であっても一緒に生活するのは限界だったのかな。

部屋のゴミとか、いつかの飲みかけのペットボトルとか、いつか着た服とか。
共用スペースに出しっぱなし、置きっぱなし、片付けても片付けても、アメのものがある限り片付かない、とか。
朝いつ起きるの?とか、ごはんできてるんだけど~とか、お風呂早く入ってくれないかな、とか。帰りが遅いとか、帰ってこないとか、夜中に抜け出すとか‥。

アメがいなくなってから、アメのためにやってきていた数々のルーティンをやらなくてよくなった。
朝起こすだけでも、アレをしてコレをして、また時間をおいてアレやコレして…みたいなたくさんの手順があった。それがなくなったら、フッと軽くなったのは事実。
アメのために滞っていたいろんなことがスムーズになった。お風呂も順繰り間髪入れずに入っていくから早い早い。
アメが溜めこんでいた洗濯物を、不意にどっさりこんと洗濯機に投入されて、一回で洗いきれない、みたいなこともない。毎日だいたい一定の洗濯物。
収納を見直して、新たなルールを設けても、乱す存在がいないので、きれいな状態をキープできる。そりゃモチベ上がるわ。

一方で、味噌汁とかカレーとか、ずっと四人分作ってきたので、適当に作ってもビミョーに余るのが不思議で、自分でも笑っちゃう。残った量が絶妙に一人分なのだ。
まだまだ荷物が残っていて、ときどき取りに来るので、ついでがあれば差し上げる。なんでもないいつもの味噌汁でも嬉しそうだ。好きなお菓子や、カットして冷凍していた野菜や、あれいる?これ持って帰る?とバタバタしていると、自分が母に似てきたなーと思って、可笑しくなる。

出て行った子は自立の道を歩みはじめ、家の中の混乱も分断も解消され、いいこと尽くしなんじゃね?と思っていたら、そんなのは束の間の平穏だったのですよね。

一難去ったらまた次の一難が、敵を排除したらまた別の敵があらわれる。
矛先が、再びわたしに向けられることもある。下の子の難癖が尽きることはない。

「こんな家出て行ってやる」と上の子に言われたときは、それなりにショックだったけど、今思うと、追い出すこともできないし、自らの決断で出て行ってくれてよかったのかなーと。

「出て行ってやる!」アゲイン。下の子にそう言われる?せる?着地点を目指して、あと数年。
ハッピーなことばかりではない家族の終焉期を乗り切って行こうと思う。日々粛々と。


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