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法螺貝は感謝の音

羽黒山伏の星野文紘先達のお話を聞きました。

羽黒山伏最高位 松聖(まつひじり)、「大聖坊」十三代目
1946年宿坊「大聖坊」の三男として生まれ、1971年に東洋大学文学部を卒業後、13代目を継承。出羽三山のみならず全国の修験の山で山伏修行の先達を務める外、講演会やトークショーなどにも数多く招かれ、修験道の在り方や山伏の知恵や思想を通して、”生きるヒント”を伝えている。

法螺貝は、海に住んでいるけれど、山からの命に養われている。だから山で法螺貝を吹くと貝はそのことがわかっていて感謝の音がする。

そんなお話から始まって、ああ。今日はこの話をするのか、とお話ししてくださいました。

縄文のとき、食べ物は自然から頂いた。
だから自然と自然に対して感謝のいのりを捧げていた。
それが、かんながら
それが、自然信仰

弥生になって、米を作るようになった。
人々は定住し、祭壇を持った。
いのりは、稲魂(いなだま)をひきだす祈りになった。

私たちはずっと自然の中に神を感じ、八百万の神に感謝の祈りを捧げていた。仏教が入ってきてもうまく神道と融合させて手を合わせた。

それが明治になって、神は1つだということになり、神仏分離が行われ、さらに廃仏毀釈、山伏禁止令まで出て、自然への祈りは途絶えていった。

出羽山は神奈備。神々が宿る場所。
”八百万の神”が概念として出てくる前は、人々は自然に手を合わせていた。

山伏は、春の峰、夏の峰、秋の峰、冬の峰と100日間修行する。
そこでやっているのは、禊と祈り。

祈りは、思考ではなく直感でするもの。
考えるのではなく、感じる。

山では直感を使わないと動けないそうだ。
危険は感じるもの。考えている時間はないから。

人と人間。
魂と肉体。
感覚と思考。

人の部分で決断し、人間が実行するとちょうどいい。
私たちは考え過ぎ。だって魂は無意識だから。

ちなみに、うれしい、悲しいという感情も思考。
なぜならそこに「⚪︎⚪︎だから」という思考が入るから。

思考ならAIにもできる。AIにできないことをやる。
自然・祈り・命・魂

野生の力を取り戻せ!
「なんか良さそう」をやってみよう。

幸せは日常にある。
今を認める。

法螺貝の音が、お腹に響きました。
星野先達、どうもありがとうございました!

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