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MIU404 第3話

 MIU404 第3話。今回はニセ通報の話。変質者に襲われている…!と女の子から通報があり、駆け付けると男が走って逃げる。ゲームを模倣した遊び感覚の犯罪に警察が振り回されている。
「西武蔵野署管内で多発してるんだと。」の言葉の後に、コインの転がる音が…!あれ、と思ったところで、大倉孝二と相棒(名前分からない…)の顔が目に飛び込んでくる。「アンナチュラル」を見た人ならおなじみの警察コンビの顔だ。どうやらキャラもそのまんま。(西武蔵野署だったっけ…?)

 「ルーブ・ゴールドバーグ・マシンって知ってる?」九重と二人きりになった仮眠時間に、志摩が問いかける。要はピタゴラスイッチのことらしい。「たどる道はまっすぐじゃない。うまく避けたと思ったら、横から押されて違う道に入ったり…そうこうするうちに、罪を犯してしまう。何かのスイッチで、道を間違える。」身の回りの道具を使って、人生のなかで人が犯罪に走ってしまう、転落してしまうほんのちょっとのきっかけの話を熱弁する志摩。根っからエリートの九重には今一つぴんと来ないらしい。「自己責任」と切り捨てる。
 「だけど人によって障害物の数は違う」と諭す志摩。その時に、誰と出会うか、出会わないか。それが人生を左右する「分岐点」になるのだという話を、眠そうに聞く九重。志摩は話しながらカウンターの上でパチンコ玉を転がす。皿を飛び出し、CDを転がり落ち、定規を伝い、コップにぶつかるパチンコ玉。とうとうテーブルから零れ落ちそうになったそれをキャッチしたのは、眠っているように見えた伊吹だった。ボールを九重に投げ返す伊吹。相変わらず興味のなさそうな九重。今日のタイトルは「分岐点」だ。そのときに、誰と出会うか、出会わないか。

 自販機の防犯カメラから判明した犯人の正体は、私立高校の元陸上部の4人組。(ちなみに「みまもり自販機」っていうらしい。勉強になった。)彼らの部活は、先輩の不祥事のせいで廃部になっている。自分のせいじゃないのに、不可抗力で機会を奪われ、これまでの努力を無駄にされてしまうやるせなさが、彼らを犯行に走らせる。なんとなく、コロナ禍で甲子園が中止になった高校球児を思わせる。この1年で、たった一度のチャンスを失ってしまった人がどれくらいいるのだろう。
 さて、問題の4人組。訪ねてきた警察に学校側は否定するが、すでに身元の特定もできている。そして再びの虚偽通報。出動する第4機捜。もうイタズラだとわかっているから、チーム戦で捕まえにかかる。ちょうどそのとき、ほんものの通報が鳴るのである。
 オオカミ少年だと切り捨てかけて、途中できちんと本物だと気づく警察。一方のオオカミ少年たちは、九重と伊吹が二手に分かれて追いかける展開に。まさに「分岐点」である。伊吹が追いかけた少年は、伊吹の呼びかけに応じて戻り、罪を懺悔した。一方の成川は、九重を振り切って走り去ってしまう。ピタゴラ装置の例えがわからない、犯人の考えを理解できない九重と、「バカ」の考えがわかる伊吹の違いが、ここで出てしまったということだろう。

 さて、本物の通報。追われていたのは、廃部になった陸上部の元マネージャーの女子だった。逃げきれずに捕まってしまう。(犯人役はまさかの岡崎体育!)台車で被害者が連れ込まれた先は、人気のない工場のなか。最初にたどり着いたのは、走って追いかけた伊吹だった。続いて自転車を駆る志摩。最後に自動車の九重&陣馬。足を使った分だけ早く辿りつく、ということかな。逮捕しようとして揉み合い、水のタンクに犯人を突き落としてしまう伊吹。そのままバランスを崩してしまう。まさに落ちようとしている伊吹の手を掴む志摩。結局二人とも水に落ちてしまうのだけれど。二人の入ったタンクにスタンガンを投げ入れようとする犯人。その腕を掴んで止める陣馬。まさにピタゴラスイッチである。そう、彼らにはスイッチが、正しいスイッチが幾重にもちゃんと用意されているのだ。

 途中で隊長が刑事部長を諭すシーンがある。「いたずらって言い方、やめませんか。例えばいじめは暴行障害、強要、侮辱罪。児童への性的いたずらと呼ばれる行為は、いたずらなんて軽いもんじゃない。性的な加害。性暴力です。」同じ野木亜希子脚本の「アンナチュラル」、「逃げ恥」でも、同じようなシーンがある。世間に未だに残る女性への無自覚な差別意識やレッテル貼りを、バシッと突き付けてくる。小気味いいなと思う反面、登場人物を押し退けて野木亜希子が顔を出す感じがして、若干居心地が悪い。(だって後半関係なくない?桔梗隊長の人物像を描くためならまだ分かるけど…)
 桔梗隊長はまた、こうも語っている。少年自身が、未成年をかさに着て好き放題しても、それは彼らが教育を受ける機会を損失した結果だと。「社会全体でそういった子供たちをどれだけすくい上げられるか、5年後10年後の治安は、そこにかかっている。」被害者救済でも犯人の更生でもなく、治安を語るあたり、視座の高さというか、警察の上層部っぽい感じが妙にリアルだった。
 それでも彼女は、犯罪に走る少年達の背景に目を向け、寄り添うような視点も併せ持っている。少なくとも「自己責任」という言葉で切り捨てたりはしない。
 生存者バイアスという言葉もあるが、多かれ少なかれ「自己責任」論は勝者の論理だと思う。九重の今のポジションは間違いなく本人の努力の結果だし、親の七光りではない。とは思うけれど、同時に親がエリートであったからこそ、きちんと教育を受けられたし、努力しようと思える環境、努力が評価される環境に居られたのだと思う。九重自身はまだそれに気づいていない。だからこそ少年たちの暴走を「自己責任」と切り捨て、最終的に逃がしてしまったのだ。

 環境はとても大事だと思う。障害物の数は人によって違うし、出会える人もスイッチの数も、場所によって全然違う。僕がなんとなく、子どもの育つ環境について、どこかの段階で都会に暮らした方が良いと思っているのは、こういうことなんだろうな、と思った。もちろん悪いスイッチもたくさんひそんでいるけれど、スイッチの絶対数が違う。出会う人の数とバリエーションに、歴然とした差があるはずだ。
 そしてなんとなく考えてしまった。自分は誰かのスイッチになれているのだろうか。この先、誰かのスイッチになれるのだろうか。できれば良いスイッチになりたいな。心の底から思った。

気になったこと。 
・「雰囲気」を「ふいんき」と呼ぶ伊吹に九重が「ふんいき!」と正し続けるシーンが地味にツボだった。気持ちはよく分かるけど、ある意味かたくなな感じがよく出ていて、あーいるいる、こういう人なのね、と思えた。ネタのチョイスがうまいのかな。

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