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きみはどうして眠ることをいやがるのか―子どもの寝ぐずりについて考える

うちのマナムスメは、眠りにつくのがとてもへたくそだ。
眠らせようとうながすと、力の限り、泣き、叫び、不機嫌にあばれる。
声をかけてものけぞり、いやだいやだとのたうちまわる。
そのさまたるや、まるで悪霊でも憑依したかのようである。

きみはなぜ、そんなに眠ることをいやがるのか。

言葉が増えて会話ができるようになったムスメの言動から、推察してみた。

さいきんのムスメは、眠らせようとするときまって「おなかがすいた」という。

「おなかがすいた」
「ママちゃんキッチンにいって」
「おにぎりがたべたいの!」
泣き叫ぶムスメ。

しかし実際におなかが減っているのかというと、けっしてそうではないことが多い。
ムスメの大好物であるゆかりのおむすびを用意して出すも、ちっとも食べない。
それどころか今度は「おなかがいっぱいだっていってるでしょ!」とはじまるんだからとても厄介だ。

以前のムスメは、眠らせようとするときまって「おしりがいたい」といっていた。

「おしりいたい」
「オムツかえたい」
「おしりがなんかへん!」
泣き叫ぶムスメ。

しかし実際にオムツが汚れていたり、おしりが荒れていることは一度だってない。
その証拠に、気休めにオムツを替えてみても、また「おしりいたい」がはじまる。
さらに、ほっぺや足がいたい日なんてバージョンも存在する。

「おなかすいた」も「おしりいたい」も不快のサインだ。
きっと何かが不快で、ムスメにはその正体がわからないのだ。
そのなにかとは、間違いなく眠気なのだけれど。

「ひいちゃん、きっと眠いのよ」
そっと伝えてみても、ムスメはかたくなに眠さを認めない。
ムスメにとって、眠ることはきっととても嫌なことなんだろうなぁ。


眠ることはたのしいこと。
からだがとても楽になること。
そう教えるために、いろんなことをやった。

眠るまえに頭を使わせると疲れて良いと聞いたので、眠るまえに数字の勉強をした。
眠らなかった。

眠るまえに絵本を読む習慣をつけると布団に入ってくれると聞いたので、読み聞かせた。
眠らないし、いっそう興奮した。

すんなり眠ってもらうために日中はできるだけいっしょに体を動かした。
わたしがぐったりとするだけだった。

寝ぐずりの正体は「眠気による不快にムスメ自身が気づけていないこと」。
寝ぐずりが解決する日はきっと、ムスメが自分の眠気を認められるようになったときなのだろう。

「おしりがいたい、いたい」
「ママちゃんあっちにいって」
子どもの寝ぐずりは、母にとっては苦行だ。
抱きしめる手もはねのけられ、どんなに諭しても眠りにつくまでひたすら泣き叫ばれる。

いたい、いやだ、やめて、さわらないで!
声だけ聴いたら、おそろしい虐待でもおこなわれているかのような泣き声で、わたしはすっかりまいってしまう。

触れても泣かれ、離れても泣かれる。
いっしょのお布団に入ろうよ、と誘うと怒って泣く。
「こっち見ないでよ!」というので背を向けたら「こっち向いて」と泣くのだ。
どうしようもない。ムスメも、わたしも。

ご近所迷惑になっていないだろうか。
隣近所に住むひとに問いかけると「子どもの声どころか、いるのかどうかもわからないぐらいよ」と笑われる。
やさしい方たちなので、気を使ってくださっているのかもしれない。
夜は声がよくとおる。防音が効いたマンションでも、やはり気がかりだ。

ムスメが眠気を理解し、認めてくれるのは果たしていつになるのだろう。
ムスメの寝かしつけは、面倒で、とてもやっかいだ。

けれどたったひとつだけ、うれしいこともある。
それは、眠くて眠くてイライラしたムスメがわたしに決まっていうせりふ。

「ママちゃんのこと、だいすきじゃなくなった!」

だいすきなぬいぐるみでさえ投げ捨てて、暴れまわっているときでさえ「きらいになった」とだけはけっしていわないムスメ。
きっとそう遠くない日に「ママなんてきらい」なんて言われるのだろうけれど、いまは「だいすきじゃなくなった」のいとおしさで、もう少しがんばろう。

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