毒母と末っ子の関係③
色々とあるものの、この投稿で私の毒母とのエピソードは最後にしたいと思います。出産レポに近いものがありますが思い出しながら書き起こしてみます。
出産予定日の2.3日前に飛行機に乗って旦那さんが私の実家へ来ました。
よし、後は生まれてくるのを待つばかり…と二人でいつ生まれてもいいように歩いて歩いて歩きまくっていました。
そして予定日を超過していよいよ旦那さんの取得した連休も限界に近づき、明日の飛行機で帰らなきゃいけないという日にもしかしたら今日来るかも?!と予感がした私はあともう一日旦那さんの会社へ休みを延長してもらうようにお願いしてなんとか希望が通りました。
するとその日の昼間におしるしがありましたが、夜になっても陣痛は来ないので21時から遅くまでやっている大型書店へ行ってブラブラ・・・。
するとブラブラして5分ほどでお腹に痛みが・・・!!!
来たか?!いよいよ陣痛が来た!
そこで自宅へ戻り今度は少しでも寝ておこうと床につくことに・・・。でも痛くて寝れない( ノД`)!!時々襲ってくる痛みと、初めての経験にドキドキ緊張して眠れない!そんなこんなで産院へ深夜0時頃連絡をすると「お家から病院までの距離も近いし、5分間隔くらいになったら来てね~」と言われてしまい、寝たのか寝てないのかよくわからないまま3時まで過ごし、間隔は10分くらいになってきたところで再度連絡。
「声がそろそろしんどそうになってきたねぇ、不安でしょ?いいよ~来ても」と要約許可が出て身支度。
そこから母を起こし「病院へ行ってくる、また連絡する」と伝え旦那さんと一緒に病院へ向かいました。
そこから病院で少し落ち着きましたが子宮口も4センチくらい開いているということでLDR室へ直行。
「寝れるなら寝てね~」と言われましたが、小一時間も寝れたかどうか・・・?、朝方5時頃からは痛みの感覚も短くなっているので横の簡易ベッドでグースカ寝ている旦那を恨めしそうに睨みつけながら痛みに耐える私・・・。
そしてそのまま7時頃になった時だったと思います。いよいよ毒母が動き出しました。一通のメールが届きました。苦しみながら携帯へ手を伸ばし見てみたところ、母からのメールでした。
母「どうなの?」
私「まだ産まれてはいないよ」
母「〇〇君(私の旦那)にメールしたのに返信がないから・・・」
私「ごめん、今余裕がなくて・・・、産まれたら連絡するからそしたら来て、どのくらい待たせちゃうかわからないから」
実家から病院へは車で3分ほどの距離だったので産まれたと連絡をしてから顔を見に来てくれればそれでいいと思って陣痛で苦しみながらも頑張って母に反応してあげたのでこれ以上の対応はないだろうと思っていました。
出産はその後、そのまま子宮口が全開になりそうなので旦那さんも起きてテニスボールを強く当ててもらいながらいきみ逃ししつつ、いよいよ陣痛の波に合わせていきみ許可が出ました。
助産師さんから横向きになってみろとか、仰向けになってみろとか言われてどれがいきみやすいかわからず旦那さんの手をものすごい力で握りながらいきみまくりましたが出てこず、いよいよ先生登場、会陰切開とともに吸引分娩も始まりましたが私は体力がなくなってきていた為、酸素マスクをされ助産師さんがお腹まで押して出すような始末・・・・。
朦朧とする中気づいたら朝出勤してきた看護師さんも応援に加わり、私の周りには5、6人のスタッフがいました。
私はその時、ずっと握っていた旦那の手を「手!いらない!!!!」と離し、分娩代に備わっている丈夫なあのグリップを握りました。するとどうでしょう??今までよりいきみ易いのです!!
「旦那の手じゃなかった~~~~~~~!!!!!!!」
と心の中で叫びながら最後の力を振り絞りました。
そして無事に髪の毛ふさふさのかわいい娘と対面することが出来ました。
出産直後はなんの余裕も幸せ感もなく、赤ちゃんをすぐに横へ連れてこられても「かわいい~♡」なんて言葉ではなく、心の中ではもっと早く出てこいこの野郎みたいな気持ちになっていましたw
その後は大量ではないものの、出血もあるためかチクチク縫われている感もまだ痛み続くの・・・?、とにかく寒い、早く脚閉じたい、この部屋冷たい、あったかいもの飲みたい・・・、そんなことが頭をぐるぐる。
そして毒母の状況です。
出産後に個室へ戻るときに母がいました。こちらから生まれたと連絡する前に病院についていたようです。
病室へ入ると母はとても不機嫌でした。
私には「おめでとう」も、「よくがんばったね」も、「お疲れ様」も何も・・・、何も・・・、一言もありませんでした。
今もこの時の気持ちを思い出すと涙が出てきます。
母が不機嫌な原因は病院へ来るにあたっての姉との喧嘩でした。
母はそもそも出産で連絡をできない私に対し「なんの連絡してこない」と怒っていたのです。
姉に連絡があったそうです「あんたはいつ病院行くの?〇〇(私)が連絡すらしてこない、こっちだってどうしていいかわからないのに・・・」と。
そしてそれに対し姉は「お母さんにとっては6番目の孫かもしれないけど〇〇にとっては初めての出産なんだから余裕ないでしょ。そんなうるさく言わないで待ってればいいじゃん」と言ったそうです。
姉の言い方に対して腹を立てた母は「そんな言い方しなくていいでしょ?!一緒に行こうと思ったけどいい!こっちはこっちで病院向かうから!」と結曲喧嘩になったと。
それで次は姉から連絡があり、「そんなこんなで喧嘩したから一緒に行かないから、後で行くね」と。
出産後30分ほど部屋にいた母からの仕打ちはこれだけではありませんでした。
出産して早々にホルモンバランスのせいか不安定になっていた私は頭の中で母が怒っていておめでとうの一言もないこともそうですが、自分の理想の出産にならなかったことにショックを受けていました。
あんなにたくさんの看護師さんに来てもらう羽目になった。吸引分娩になってしまって、うまくいきめなかったし「もうやだ~」とか「痛い~!」とか「もう無理~」とか叫んでしまったということをポツっと母へ涙をこらえて漏らしました。
すると母から言われた一言は
「みっともないねぇ」
でした・・・。
続けて、「あんたは昔からお腹の病気をしてたり、色々な痛みに付き合ってきた人だから痛みには強いと思ってたのに、お母さんも出産の時はみっともないから静かに産めって言われたのに」と。(私は中学から二十歳頃まで腸の病気があり2か月に一度ほど痛みで吐いて救急病院へ駈け込んだり、頭痛持ちで苦しんでいました)
そして自分が出産した時の苦労話、特におっぱいがどうしても出なくて母乳育児ができなかったこと、おっぱいのマッサージが痛かったこと、そのことで看護師さんになにかキツイ言い方をされたことを、丸一日寝ていなくてしんどい状態の私に延々と話してきました。
そして、帰っていきました。
母が帰り、旦那さんも生まれた我が子を抱いたその1時間後にはその日の飛行機に乗るため急ぎ東京へと帰っていきました。
一人になった私はその後も精神が不安定で母からの言葉を思い出しても悲しくて涙が止まらず、5日間の入院期間はずっとそんな感じでした。
入院中の検診や採血時に目の前にポンと置かれた私のカルテに蛍光ピンクの付箋が貼ってあるのを見つけました。
その付箋には「メンタルケア要!!」と書かれていました。
こうして私は泣きながら助産師に話を聞いてもらい、励ましてもらい、入院期間を終えてなんとか鬼のいる実家へと帰りました。
その後も、夜間の授乳でほぼ眠れていないため、お昼頃まで赤ちゃんと一緒に寝るという今では一般的な、「寝れるときに赤ちゃんと一緒に寝ておく」ということをしていても、途中で起こされ「あんたそんなんで、東京帰ってからどうするの?〇〇君(旦那)のご飯作ったり、家事とか色々あるでしょう?そろそろ普通の生活に戻していかないと」と言われ、私が「産後1か月以内で母乳も安定しないけど、ここでミルクを足さずにがんばろう!」と思っているのに、「泣いてるんだから足りないんでしょ、足したら?可哀そうに・・・」と言ってきたり、終いに「まぁ、お母さんは母乳で育ててないからわかりませんけどね」とコンプレックスがあるんだか知りませんが、イヤミっぽくすねた発言があったりとつらい日々でした。
それでもとにかく食事が出てきて洗濯してもらうだけいい。もうすぐ帰れる、我慢だ、我慢だ・・・、と産後の1か月を過ごし、1か月検診から1週間後の旦那さんが休みの日に一人、赤ちゃんと飛行機に乗って羽田空港で待つ旦那さんのもとへ逃げることができました。
それから東京の自宅では自分のペースで育児ができて、自分でネットで調べたり友達から聞いたりしながらの育児。
母にあれこれ聞くことは一切、本当に一切!!いっっっっっっっっさい!ありませんでした。
早くにお母さんを亡くされて、初めての出産時に母に色々聞きたかった、傍にいてほしかったという方もいらっしゃると思いますが、私の場合は孫の顔を見せただけで任務完了だな、と思いました。
確かに末っ子にとっての初めての出産ではあっても、人数でいえば6番目。
もう孫に出会う感動も大してなかったのかもしれません。
今はコロナのこともあり、高齢の母に私の出産だからとわざわざ東京へ来てもらうのはリスクも高く、旦那さんが夜勤の仕事から日勤の仕事に変わったうこともあるので、第二子を授かったときは、「大変だろうから東京に手伝いに行く」と言われても絶対に断るつもりです。
世の中にはいろんな家族がいていろんな形があります。
今回のエピソードは私にとっては深く傷を負った出来事の一つではありますが、それでも母を嫌いになることはできないんです。
悪いところばかり見てもしゃーない、と思えます。
いいところもたくさんあるし、産後はこのようにクセも強く悪魔のような毒母でしたが、今ではいいおばあちゃんです。
でも何かの折に時々毒が出てきますけどね。
それは愚痴だったり、イヤミだったり、素直にありがとうとかが言えないせいで伝わらなかったり、色々ですが・・・。
なので、私は母を「私の母親」として見ないようにしています。
一人の女性として、血のつながりを考えず、個人として見るように。
客観的に俯瞰的に、こんな人もいるのね・・・、大変な性格の人ね、と。
反面教師で生きていく。
私に孫が出来たときは、娘をよくがんばった!!と抱きしめたいと常々思っています。
以上です。
長文になりましたが、もし最後まで読んでいただいた方がいらっしゃったなら、直接お礼が言いたいくらいです。
文書も下手ですし、見づらかったかと思います。
どうもありがとうございます♡♡
それでは、また・・・。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?