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我が人生の岐路の話④の2

社内結婚だったから?あっさり離婚できました


夫は仕事人間で冷酷、そして子ども嫌い。
結婚してから段々分かった事です。

【離婚要因10選】プラス*
(買って良かった物10選みたいになってる🤣)

①妊娠が分かっても喜ばない
海外赴任中に妊娠が発覚し、告げたところ…
 「もう遊べねぇな。。。」が、第一声。
若かった私はかなりのショックを受け、リベンジを誓いました。

②とにかく子供が嫌い
小さな子供に自転車の乗り方を教えれば、5分で諦め、
「ひとりで乗れるようになるまで家に入って来るな!」 と、鍵を掛ける。
うちの子、女の子だよ?
お前は1日で自転車に乗れるようになったのか?え?
娘よ、このリベンジは母さんがいつかしてやるからね。
と、つぶやきました。

③ありえない提案をしてくる
仕事でフロリダのディズニーワールドへ行き、ミニーちゃんとのツーショット写真を見せびらかす夫。
「私達も行きたい。」と、言ったら、
  「3人で行ってくれば?」
と、丸で他人事の様。
へ? 乳飲み子を抱えて母子3人で??
言い返す言葉も見つかりませんでした。

ここで吹っ切れていたなら、母子3人ディズニーワールド旅に遠慮なく出掛けた事でしょう。
ただ、私の体力と語学力に自信がなかったので実現せず…
後々、嫌嫌連れて行ってもらいましたが、ちっとも楽しくありませんでした。
やはり、
旅行は、どこへ行ったか、ではなく、誰と行ったかが大事なのだと思いました。

④職業差別をする夫
一旦帰国となり義理両親との同居です。
家に居ても時間をもて余すだけなので、私は少しだけ働くことにしました。
それに反対はしないものの、
「スーパーで働くとかやめてくれよ。」と言う夫。
体裁をとても気にする夫は、妻の仕事にまで口を出してきました。
「教育関係の仕事にしてくれ。」と言うのです。
義母にも同じ事を言われ(流石親子です)仕方無しに【先生】と呼ばれる仕事に着きました。
しかも、当分海外赴任がない事を確認し、もしそうなったとしても同行はしない、という約束だったのにもかかわらず、一年もしないうちに再渡航しなければなくなり、仕事先や生徒さんにはとんだご迷惑をおかけしてしまいました。
単身赴任してくれれば良かったのに、身の回りの世話をするタダの家政婦がどうしても欲しかった夫です。

⑤リストラを楽しんだ夫
海外赴任の後半になると会社が傾いてきて、支店の管理者だった夫がリストラを宣告する立場となりました。
  「こいつは嫌な奴だから切ってやる。」と…
ほぼ個人的な主観をいれて数十人にリストラ宣告していました。
それでも海外赴任するような人達は、しっかりと将来を見据えている方々が多く、
永住覚悟で現地の会社にあっさり再就職をしたり、資格を取って独立開業する方、日本に帰りもっと上にいかれる方がいて、退職金もかなりなものだったので、それほど悲壮感はありませんでした。

会社側としては、リストラを告知する立場の社員は当然の事ながらリストラしたい人を選んでいて、
普通の心をもった人間ならば、多くの同志、しかも家族ぐるみの人生を狂わせるという重荷に耐えられず、宣告した本人も会社を去る筈、という目論見です。
しかし、夫は違いました。
同志の人生を狂わせる…などと言うことには少しも負い目を感じていなかったので、しっかり残りました。帰国しても以前のような前線には戻れないというのに…
本当に冷たい人間です。

この頃から、知り合いには、
「離婚しないの? あんな人なのに。」
「離婚した方が良いよ。」
と言われるようになっていました。
社内結婚だったので、日本にも現地にも共通の知り合いが大勢いました。

⑥家事に無関心
赴任先で、雪が降ると100%私が雪掻きをしていました。
隣人からはシングルマザーと思われていた様で、
「夫は、今日は家に居て寝てますよ。」と、言うと。
「?? 別れなさい!」と、言われていました。

燕が軒下に巣を作るので、私の方が体重が軽いから「屋根に上って巣を落とせ。」と言われ、掃除をしていた時には、通りすがりの人にさえ、
「どうしてあなたが屋根に上っているの?
別れた方が良いわよ〜!」と、下で見ている夫に声を掛けられる始末でした。
  そりゃ、そうなりますよね。

⑦悲しいディズニーランド
朝早かったので、子供達はパーキングに着いてもまだ眠っていました。
少しくらい余韻があってもよいのに、着くとすぐに
「とっとと降りろよ!俺はずっと運転してきて起きてんだよ!」
「とっとと歩けよ!」
と、まだ寝ぼけ気味の子供達をまくし立てます。
もちろん、あのディズニーランドさえ、楽しくありませんでした。
リベンジを改めて誓うきっかけになりました。

⑧薄目を開けて運転しろ事件
上の子がかろうじて私立中学に入る事ができた頃。(成績が悪すぎて公立中学にいけば高校入学は果たせないといわれていました。転勤族の最悪のケースです)
二世帯住宅の実家から駅は遠いので、娘と夫の送り迎えをしていました。
しかも夫が自分の出勤時間に固執するあまり、下の小学生の娘は自分で施錠してひとりで登校しなければなりませんでした。
義理両親も非強力的でした。

夫が15分出勤を早めて上の子と一緒に出れば良いだけなのに、断固としてそれをしませんでした。
「俺の朝の時間は貴重なんだよ。」と…
  バッカじゃないの!何様だよ! と心の中で叫びました。
そんなある朝、運転中に抜けたまつ毛が目に入り涙が止まらなくなりました。前が見えません。
「路肩に停めるから運転を交替してよ。」
と言うと、な、な、なんと!
「いいよ、薄目を開けて駅まで運転しろよ。」
という言葉が返ってきました。
  駄目だこりゃ〜。ばか!馬鹿!バカ!!(心の声)
夫は後部座席で新聞を広げたままです。
重役かよ! なら運転手を雇えよ!(心の声 もう言葉が悪くもなりますって💦)

この時期になると離婚に備えて、わたしは言われるがままにしていました。
自分には非の打ち所がないようにしたかったのです。

⑨親にも非情
海外にいた時、義父が癌を患い死期が近づいていた頃、私達母娘3人は帰国し病院に通ったりしていました。
実の息子はといえば、仕事が大好きで偉くなりたいが為に自分のスケジュールを崩すことはありませんでした。
「いつ戻って来るの?」の、母の問いかけに
  「死んでから帰るよ。」
と、言い放ちました。
はぁ?死んだら帰るって… 
本当に冷酷無比な息子です。

私が思うに、彼なりの父親像というものがあり、弱った父親の姿を見たくない、という気持ちがあったと思います。
自己顕示欲が強く見栄っ張りなのに、気が弱いところがありました。弱者には強気なクセに。。。
夫は仕事を優先しました。

これには似た者同士の義母も驚きと悲しみをかくせず、息子を見る目が少しずつ変化していったようです。

⑩重大事故発生時も冷酷無比
子供達がスクールバスで学校に通っていた時の事です。
朝、バス乗り場で子供達が乗ったバスを見送り、しばらくしてから買い物に出かけました。
すると、フリーウェイの中央分離帯に斜めに頭を突っ込んだ空のスクールバスがありました。周囲にはバックパックも残されていて、大変な事故だったと予想されました。
なんと、それは我が子が乗っていたスクールバスだったのです😱
連絡がないので、ザワザワした気持ちのまま買い物し、急いでニュースを見ると事故の様子が流れていました。
もう、心ここにあらずでした。一生で1番寿命が縮んだ時間でした。
少しすると学校から電話が入り、怪我をした子供達はいるものの死者は出ていないとのこと。
それぞれ色々な病院に搬送されたので、病院からの
連絡待ちとなりました。
たまたま長女は生まれた病院に担ぎ込まれたので早くに身元が分かり、迎えにいけましたが、
次女の病院からはかなり時間が経過してから連絡が入りました。
2回目の渡航をしたばかりだったので、次女はあまり英語が分からない上に、バックパックもバスに残されてしまったのでした。
かなり心細かったと思いますが、次女はぬいぐるみを抱えて看護師さんと楽しそうにしていて、胸を撫で下ろしました。
そんな事故に見舞われ自宅に帰ったのは夕方近く。子供達は頭を打っているので翌日までの経過観察が必要でした。
わたしは気持ちもドキドキが収まらず、平静は保てませんでした。
それなのに…
その日は日本から2名の出張者を自宅に招いて夕食会をしなければならない日でした。

こちらからご辞退いただく事もせず、何も知らない出張者はやってきました。
仕方無しに落ち着かないながら料理を作り…
夫はというと、ニュースに流れるバス事故を肴に楽しそうに宴会をしていました。
そりゃあね、大怪我もしなくて済んだからニコニコも出来るけど、骨折や打撲で入院した子供さんもいる大事故です。
よくもまあ、そんなに楽しそうにしていられるものだなと、腸が煮えくり返る思いでした。
毒の1滴でも盛ってやりたくなりました。 

*まさかの賛同者があらわれる
色々な出来事があり、第三者の目から見ても私達夫婦は破綻している様に見えていたのでしょう。
気付かないのは、裸の王様の夫だけだったと思います。
そんな時、
「◯◯ちゃん、先に家を出た方が負よ。何があっても家に居なきゃ駄目よ。」
と、まさかの義母から有り難い言葉を投げかけられました。
娘がいなかった義母には、ちゃん付けで名前を呼ばれていて、まぁまぁ仲良くしていましたから心配でもあったのでしょう。
時には「あんな息子で、ごめんね。」とも…
難アリの義母でしたが、実母ではないので許せていたというところです。
現在も存命していて、会いたいと言われたりもしますが、かたくなに拒絶している私です。ごめんなさい🙏

私から離婚のお願いをすること3回。
2回の申し出は冗談だと思っていた様です。
3回目でようやく気づいてくれました。
それからが早かったです。
「俺、嫌われているんだね。嫌われている人と同じ屋根の下には暮らせないな。」
と、
「では、さようなら。」とばかりに、
こちらから何も言わないうちに慰謝料の支払い明細を作って渡してきました。
月々子どもひとりにつき5万円の生活費、教育費は全額、大学卒業まで。
家は義母の生前贈与を元に中古住宅を買ってもらいました。
俺、できる奴だろう?という感じ。
下手な対処をすればたちまち知り合いに広まり、出世にも響くと考えたのでしょう。
少しは離婚に抵抗感があったようですが、
「小泉さんだってバツ一だよ。」と言うと妙に納得していました。
本当に社内結婚で良かったと思いました。

でも…
子供達が二十歳になるまでは再婚しない約束をしたのに、離婚から一年もしないうちに再婚していた事が、下の子が取り寄せた戸籍抄本で発覚。
親権は私でしたが、子供と会う事は自由だったのに一度も会おうとせず。
大学卒業まで教育費は出すといったのに、お金が無くなったと20歳で仕送りを取りやめました。
妻に何か言われたのでしょう。

子供達にとっては、とても可哀相な仕打ちをしてくれた父親です。
それでも次女は父親を良く理解していた様で、危機管理もすばらしく大学には特待生入学をしていたので助かりました。
もちろん父親には内緒で。

義母は、長男には一銭も渡さない!と終末準備をしています。

とても長くなってしまいました。最後までお読み下さり、本当に有難うございましたm(_ _)m























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