高齢母との二人暮らし(最終章)
いつもお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
1月27日の短期予定の入院から1度も退院することなく、45日目の
3月10日、享年92歳で母は永眠いたしました。
母を気にかけてくださり、ここにお越しいただいた皆様に感謝申し上げます。
最期の数日は…
全国的に感染数が減少しているはずの新型コロナウイルスが、ピンポイントでここの地域だけ患者さんが増え病院が面会禁止になってしまった為、
なんと、母には会えず仕舞いでした。
前の週の日曜日に近くの海浜公園で開催されたイベントの影響だと個人的に考えています。
10日の夕方に連絡があり、15分で駆けつけた時には、強制的に心臓が動かされている状態で、ほとんど亡くなっているも同然の状態でした。
母はひとりきりで逝ってしまいました。
眠ったつもりだったかもしれません。
3年前、大腸癌が原因の腸閉塞で都内の病院をたらい回しになり死にかけたのもコロナのせいでしたが、最期もやはりコロナのおかげで、母は寂しい最後を迎えることになってしまい、とても残念でなりません。
あまり苦しまなかった事、痛みがあまりなかった事がせめてもの救いでした。
良い事も悪い事も、色んな事が思い出されました。
母がいなければ、わたしも子供達も孫たちも存在しませんから、
想像も及ばない厳しい時代を生き抜いて頑張ってくれた事に感謝しかありません。
やっと楽になれたのだと思っています。
病院、お医者様にはとても恵まれたと思っています。
主治医の院長先生は、患者さんに寄り添う先生とは感じていましたが、
死亡宣告の時に、先生が言葉に詰まり泣いてしまわれたのが驚きでした。
お医者様にはクールな印象しかありませんでしたから。
わたしはといえば…
悲しい事に涙がひと雫も流れませんでした。
お母さん、ごめんなさい。。。
日曜日の夕方、病院に呼ばれ、救急入口から入って気づきましたが、院長先生のご自宅は病院のすぐ横でした。
横というよりも… 中でした。
発熱外来入口から救急入口に行こうと思うと、ご自宅の門前を通らないと行く事ができません。
ご自宅の右隣りが患者さん用の駐車場になっています。
そしてご自宅の左隣りは、リハビリテーションセンターの建物と在宅患者さん用の訪問専用車が何台か停められていました。
そして、ご自宅の後ろが救急車用の道路となっていて、救急入口に続いています。
救急病院なので、頻繁に救急車が出入りしますから、ご家族の方々も毎日大変な思いをされていらっしゃるのではないかと思います。
ご家族全員で命を救う事に全てを捧げていらっしゃって、神様のように思えます。
母が亡くなった日は、院長先生の偉大さを知らされた日でもありました。
色んな事情があり、人生の最後間近に、東京〜埼玉〜茨城と転々としましたが最後の地がここで良かったなぁ。。。と思っています。
ドラマの様に母からもこちらからも、感謝の気持ちを言葉にする事はありませんでした。
まさか、最期が近いのに面会出来なくなるとは思いもよりませんでしたから。。。
母が亡くなり、残された携帯電話を開くと、
何故か笑顔の顔文字が2つ入力されたままの画面になっていました。
なぜ?
せん妄で激怒して電話してきた母ですが、電話する事しかできませんから、たぶん看護師さんのお気持ちなのかもしれません。
それとも母の魂の仕業なのでしょうか…
おかあさん、ありがとう! (^_^)(^_^)
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