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我が人生の岐路の話③

いつもお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

本当にこのまま結婚してしまって良いものなのか?
と言う疑問を抱いたまま、流れに逆らえず結婚してからの話です。

年末には念願かなって退職できるという運びになりました。
そして、夫の海外転勤が間近に迫っていました。

後々聞いた話によれば、
夫は、どうしても海外赴任をしたかったそうです。
偉くなりたい、と言う野望がありました。
当時、海外赴任は独身者には認められていなかったので、彼も結婚を急いでしまったのでしょう。
その上、
義母の話によると「◯◯は遠い親戚の△△ちゃんに結婚を迫られて、嫌だったんだよね。」😳
…という事情もあった様です。

お互いに若気の至り、急ぎすぎた結婚でした。

年が変わって、夫が渡航。
家族を受け入れる準備をした後に私も海を渡る事になりました。
当時はまだ海外赴任に同行するという事実を受け止めるのが精一杯で、英会話の授業にも落ちこぼれ、不安と期待と変な高揚感で夫の事など真剣に考えられずにいました。

そして…
家の事や身の回りの事、人間関係など色んな問題が出てきました。
そんなゴタゴタを一緒に乗り越えるのが夫婦なのでしょうが、
あろうことか、しばらくしてギクシャクし始めたと思ったら、
「釣った魚にエサはやらない。」発言をかます夫。
もう、驚きの連続でした。

結婚を果たせば男は変わる!
そんな残念な部類の男でした。

気付くの遅いよね💦
わたしには残念ながら人の資質を見抜く能力がありませんでした。

赴任先で子供が出来れば、
「もう遊べないな…」発言をする夫。

え?
頑張ったね、とか
ありがとう、とかないんだ…

ここで一気にこちらの気持ちもある方向へ向かっていきました。

【離婚】です。

でも、急ぎませんでした。
海外が楽しいのもありました。
実は、海外赴任と言っても、夫はそこからヨーロッパ、南米、日本へと出張で不在の事が多かったので、家庭に無関心な夫が不在の時はパラダイスでした。
それでも、イザと言う時のお金を貯めようと、ブランド品も買わず、ゴルフもせず、ひたすら貯金しようと頑張りました。

渡航してから3年は、何故か、お金がないからと、私と娘は日本に里帰りをさせてもらえませんでした。
他の奥さんやご家族は毎年里帰りしていたのに…

かなりのドケチ野郎!です。
しかも家族を大事にしない奴。

不満はありましたが、何しろ自由な日々。
夫は長男だったので、帰国すれば親と同居しなければならず、
私の母も過干渉、4歳上の姉も昔からイジワルだったので、むしろ万々歳でした。


今でも忘れられないエピソードがあります。

日本に出張していた夫。
「忙し過ぎて会社とホテルの往復だけだよ。美味しいものも食べられないよ。」
と言っていました。

そんな時、
義母から「どうしてるの?」と電話がありました。
色々話しているうちに夫の話。

「仕事が忙し過ぎて、まともな物も食べていないみたいです。」
と、話したら…

「何を言ってるの!
ちゃんと美味しい手料理食べさせてます!
変な事言わないでちょうだい!」
と、ブチ切れられました。

どうやら夫は、実家から会社に通っていた様です。
とんだ、嘘つき野郎!です。
私に気を使って隠していた、なんて事はなかったでしょう。

そんなこんなでも、二人の子供を設けてしまった私達…
夫はまさかの子供嫌いでしたが、そんな夫のDNAを受け継いでいようと私には関係なく、子供は宝物でした。
夫が子供に無関心だったおかげで、子育てで揉める事はなくそれは幸いな事でした。
逆に自分が不在の事が多かったので、子育てに関してはありがたいと思ってくれていた様です。

決定的な瞬間
私に卵巣の腫瘍が出来て、切除手術をする日。
切って調べてみないと悪性か良性かわからない腫瘍でした。

子供達は友人に見てもらい、
一応、夫が会社を遅刻して病院まで付き添ってくれました。
手術が無事に終わり、麻酔から覚めた私…
「悪いものがどうか先生に聞いてくれた?」
と聞いてみました。

夫の返事はというと…

「何も聞いてないよ。後で自分で聞いてみて。
じゃ、俺、会社にいくから。」
でした😳

おい、おい、おい、ここは日本じゃないよ?
子供達のお迎えは?
お前はタクシー運転手か!!
と、思いました。
段々と言葉遣いも荒れていきましたよ💦

その瞬間、離婚が確定しました。

そんな愛のない日々でも、12年程海外にいました。
夫不在の日々が楽しかったから☺️✨

帰国して、しばらくして…
子供達には申し訳無いと思いながらも離婚が成立しました。
アメリカ同時多発テロ9.11の年でした。














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