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〇〇と推しとYシャツと私と


どこまで応援をしていれば「推し」と名乗って良いのか曖昧なところだが、私が中学生のころから推している二宮和也が、カバーアルバムを発売した。


アルバムのタイトルは、「〇〇と二宮と」。

そのタイトルの通り、二宮和也が他のアーティストの楽曲をカバーし、収録したアルバムとなっている。

カバーしたアーティストは、さかいゆう、Novelbright、Official髭男dism、秦基博、Mrs. GREEN APPLE、日食なつこ、V6。

うわーーー二宮和也っぽいーーーーーー!!!

ちゃんと最後にV6入れる辺りも二宮和也じゃーーーーん!!!!


うるさいである。


そして私はこのアルバムを聴いて思い出した。そうだ、二宮和也という人は、めちゃくちゃ音楽を愛している人だった。

"音"と"言葉"と"世界観"をとても愛している人なのだ。


「この前ドラクエのBGM担当している人に会ってさ!」

「(KinKi Kidsの)剛くんにギターの使い方褒められてさ!」

「現場で芝居がよく分かんなくなったとき、ギター触ると安心するんですよねえ」


とにかく音楽の話をしているときの彼は、少年のように声が弾んでいる。普段は、全てにおいて低空飛行なのだが。


思い返せば「まごまご嵐」という番組で、お世話になったおじいちゃんおばあちゃんに別れ際、ギターで弾き語りをして曲をプレゼントしていたし、

嵐のアルバムに収録されるソロ曲は二宮和也節満載だったし(「日本」がテーマのアルバムで英詞ぶっこんできたり、「ポップ」がテーマのアルバムで彼女が死んだ歌を歌ったり、無茶苦茶です。)、

同じくソロ曲には、世間的にはマイナーだけど彼自身が好きなプロデューサーや演奏家を起用していたし、

自身のラジオでは「お宝音源」と称し、いろんなアーティストの楽曲をカバーしていたし、

とにかくグループが関与しない領域では、自身の"好き"や"価値観"をこれでもかというほどぶっ込んでいた。


もしかすると、当時グループ活動をしていた彼の、自分自身を表現できる唯一の場所だったのかもしれないな、とも思う。

そしてグループ活動を休止した今、それらを爆発させたアルバム「〇〇と二宮と」を発売。


聴いてみた結果、二宮和也、めちゃくちゃ生き生きしていた。


おそらく自身の好きな曲を選んで、好きな音を好きなだけ入れて、好きなアレンジをぶっ込んで作ったのだろう(もちろん権利などの制限はあったかもしれないが)。


まるで一人の少年が作った、オモチャ箱みたいなアルバムだった。

語弊があるかもしれないが、「趣味で音楽作りを続けていたら、すんげえクオリティー上がっちゃったので、アルバム発売してみました☆」のノリ。(怒られろ)


そして二宮和也が作る"音"と"言葉"と"世界観"が大好きだった私にとっては、宝物のようなアルバムになった。


もちろん私は、嵐というグループが好きだし、メディアを通して見えるメンバーの関係性が好きだった。

でもそれ以上に、二宮和也という人間に興味があって、10年間追いかけていたように思う。「推しのこんな楽曲が聴きたい!」ではなく、「推しが作った曲ならなんでも好き!」というチョロいオタクが、ここに誕生したのだ。

そんな私にとっては、グループ活動から離れ、このアルバム内で自分自身を楽しそうに音で表現する推しの姿が、ドンピシャだったのだろう。


そしてこの状況は、まさに今のBTSに通じるなあと思い、noteを書くに至ったのだ。


以前ミンユンギが誕生日だった際、私はこんなセンイルnoteを書いた。


この記事を超簡単にまとめると、「ユンギさんの商業的な音楽に重きを置いて考えられる思考がすげえ!」という内容なのだが、2022年6月14日に配信された「バンタン会食」を見た私は、こう思った。


いや、嘘やんけ。


僕はBTSのSUGAでもあり、「Agust D」でもあって、プロデュースする時に使う「by SUGA」でもあるんですけど、「by SUGA」の時ばかりは徹底して商業的な音楽を作ります。
(中略)
その曲によってアーティストやその事務所が獲得するスコアや記録を見せることが、僕にとって一番大きな収穫ですね。


嘘やんけ。

いや、嘘ではないけど、限界きてますやん。

自分に言い聞かせて葛藤してますやん。

「2013年から音楽を作っていて、楽しいと思ったことは一度もなかった」と放った彼の言葉は、半分勢いで、半分本音だったのだろう。


少なくとも「Dynamite」以降、商業音楽に全振りしてからの楽曲制作は、楽しくなかったのだと思う。



話は少し逸れるが、先日「マツコ会議」という番組を偶然見かけた。マツコデラックスと堂本剛が対談をしていたのだが、その内容が結構興味深かった。


堂本剛「ジャニーさんから『音楽をやりなさい』と言われたんです。求められてる自分を生きることが、大事なことだと思ってやったんですけど、本当の自分がいなくなってしまう不安も出てきて。その時に、誰かが作り上げる自分ではなくて、自分をプロデュースして自己表現するのを、音楽を通してやりなさいという道を与えてくれたんです。」

マツコ「望まれていることだけをやり続けてしまうと、もうすっからかんになってしまう……アタシ好き勝手な事言ってるように見えるけど、TVショーなことをやっているだけ」


改めて「バンタン会食」を見ると、確かにみんな”すっからかん”だった。

「昔はスキルがなくて言いたいことが書けなかったけど、今はスキルがあるのに言いたいことが何もない」と言ったユンギさんは、とくに”すっからかん”だ。

あんなにレッスンで予定埋めちゃって。すっからかんだ。


こうして見てみると、我が推し二宮和也や堂本剛は、アイドルとして求められている像をこなすことと、自分のやりたいことのバランスを、とんでもなく上手く取っていたんだな、と思う。

そしてそれが許される環境が、若い頃からしっかりと整っていたんだな、とも思う。

それこそが長くクリエイティブな活動を続けるコツであり、楽しく仕事をするコツでもあるのだろう。


商業的な音楽も、もちろん良い。グラミー賞にノミネートされ、米ビルボードで1位を取れば、ファンは嬉しいに決まっている。

音楽の売り上げを上げることも、HYBEの株価を上げることも、めちゃくちゃ大事だ。

ただ一番大切なのは、”バランス”なんだなと、つくづく感じる。


そして、「推しが作った曲ならなんでも好き!」というチョロいオタクがここにいることを、忘れないで欲しい、デス。

いや、忘れても良いけど、とにかくここにいるんで。カネ、落とすからよ。


この記事にも書いたが、


とにかく私は、"人間"としての7人に、とても興味があるのだ。

そもそも"アイドル"としてBTSを応援していた時期があったのかどうかも、定かではない。(おい)


私はいつか、BTSの7人が「趣味で音楽作りを続けていたら、すんげえクオリティー上がっちゃったので、アルバム発売してみました☆」のノリで作った楽曲たちを、めちゃくちゃ聴いてみたい。

グループの立ち位置や世間に求められるものなど考えず、自分のやりたい音楽を、作れるタイミングで、期限を決めず、自由に。

7人が各々に作る、「〇〇と二宮と」みたいなアルバムを、いつか聴いてみたい。


そんな日が来れば良いと思うし、そんな日が、なんだか近くに来ているような気がするのだ。


最後に。

我が推し、キムソクジンへ。

えーと、キムソクジンに関しましては最悪、「さだまさし ステージトーク大全」みたいなやつでも、全然大丈夫です。むしろ、そっち方がちょっと聴きたいです。


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