見出し画像

親子の縁は切れないから

マザコンではない、
という前提で言わせてもらいたい。

母が大好きである。

だめだ、これはどう言葉を織り交ぜても
むずがゆさが残ってしまいそうだ。


いきなりだが脱線しよう。しかたない。



「どういう女の子が好き?」




よくある質問だと思う。


異性からも同性からもされるだろう。
しかも、答えなんてどうでもいいと思われていることが大半だ。


しかし、その質問は私達を困らせる。


「優しい人が好き」なんてことは言いたくない。
ただ言いたくない。

つまるとかつまらないの問題ではない。

個人的に好きじゃない。もっと御託を並べると、自分にとって都合の良い人のことを人は「優しい人」とか「良い人」と言うのであって、他の誰かにとってはほぼ必ず「優しくない人」だったり「悪い人」だったりするのだ。


だから、好きな女の子のタイプを聞かれて「優しい人」が好きと言うのは「自分にとって都合が良い人」が好きだと答えてるような感じがするし、だからといって自分の好きな人が「誰にでも優しい人」だったらそんなの嫌じゃない?笑


では、どう答えるべきか。


見た目のタイプを答えてるという方法もある。


でも自分にとってはそれも難しい。
それに関してはなぜか「好きになった人が好きな人」という模範解答のような感覚があるので、見た目の特徴で好きになる人を表すのはあまり考えられない。

好きな女優さんやモデルさんならいるけど、共通点を見つけろと言われてもなかなか思い浮かばないだろう。


余談だけど、
最近ぼくが憧れているのは橋本愛さんだ。

「ぼくは女の子に憧れている」

ぼくが「あまちゃん」大好きということを差し引いても橋本愛さんは素晴らしいと思う。
週刊文春2021年6/24号の「原色美女図鑑」を見て圧倒された。ユイちゃんかっこいいよ。


余談終わり。


「ぼくのこと好きでいてくれる人が好きかな」


いつか、そんなふうに素直に答えてみたくなった。本当のことだし、全く嘘はない。

これは1つのパターンとして完璧かもしれないと思ったのだが、そうでもなかった。

ここからは想像してみてほしい。

相手は自分に好意を寄せている。
その人が「どんな人が好き?」と聞いてきた。

さあここで「ぼくのこと好きでいてくれる人が好きかな」と答えるのだ。悪くないはずだ。

しかしこう返されたらどうだろう。

「じゃあ、私以外の子が好きって言ってきたらその子のこと好きになっちゃうの?」


ぼくは想像する。自分の中に何十枚かある理性の壁を全てぶち破って、心の奥底から「うっざ…」という音が聞こえてきそうだった。

もしかしたら口から出てしまうかもしれない。
もしそうだとしても、少し面白い感じで言って、その後に「ごめんごめん」って言えてたらいいなあ…


いや、想像の話だ。


とりあえずこれは違った。




そこで、ぼくの中で新しい答え方を考えてみたので提案してみたい。


「タバコとお酒をやらない女性が素敵だと思います」だ。


前者は単純に、ぼくがタバコが嫌いだからだ。
ぼく自身タバコは吸わないし、吸ったこともない。

ルールを守ってる人はまだいいと思う。
喫煙場所のルールだ。


許せないのは歩きタバコをしている人だ。

ぼくが神様だったら、歩きタバコをしている人を全員殺していると思う。

もしくは、総理大臣になったらぼくの最寄駅から自宅までの間で歩きタバコした人を全員死刑にする法律を作る。(もちろん、総理大臣になったからといって法律が変えられるわけないのは百も承知なのだが、例えとして言ってみた)


いまだって、自分の前で歩きタバコしてる人がいたらワンピースのキャラクターの「エネル」がエル・トール(雷が落ちてくる必殺技)を使ってくれる
という妄想をする。


そのくらい嫌いだ。



後者の「お酒」は、まあなんとなくだ。

自分がお酒を飲まないことも、もちろんある。

極論を言えば飲まないほうがいいなあ、と今までの経験で思ったのだ。


やばい…

ぼくの恋愛対象が一気に半分くらいになってしまったかもしれない…


話を戻そう。


ぼくの母はタバコを吸わなくなったし、お酒を飲んでいるところを見たことがない。ぼくのことを好きでいてくれるとも思う。

しかし、そのわりに厳しい人だったと思う。
でも甘いところもあった。

というのを感じるようになったのは、ぼくが社会に出てからである。
社会の厳しさについて全然教えてくれなかったな。と思ったからだった。

「あれ、これ社会に出る前に教えといてくれてもよかったんじゃない?」
「あれ、お母さん結構苦労してたから絶対こんなこと知ってたよな?」

と感じることが、多々あった。


母がとても苦労しながら育ててくれたのは間違いないと思うから、きっとそれをぼくに感じさせないようにしてくれてたのだと思う。


だからぼくは教えてもらうことも、知ることもなかったのだろう。この厳しさも、甘さも、どちらも「優しさ」だったのだ。

今のぼくには分かる。



さて、せっかく考察してきたのだから
どんな人が好きか、の逆も考えてみたい。
どんな人が嫌いか。


「育った環境が中途半端に違う人」


これが嫌かもしれない。
かなり真理に近いような気がするのだが。


「全く理解できないくらい違う人」ならいい。
例えばめちゃくちゃお嬢様とかだ。もう理解することを諦めた方がいいという人は楽だと思う。

もしかしたらこれが1番いいかもしれない。

知らない料理ばかり食べてたり、知らない国ばかり行ってたり、家事なんてまるで出来なかったり。そんな人がいたら逆に面白いと思えるかもしれない。
まあ出会う可能性は限りなく0に等しいけど。


やはり
「育ってきた環境が近い人」がいいと思う。


山崎まさよしさんのセロリの歌い出し「育ってきた環境が違うから〜」というフレーズが頭の中でずっと流れるということがたまにある。
そこだけ何故か繰り返し流れる。

たまにその先の歌詞を思い出してみるのだが

「育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ」だ。この一言で全部分かるからすごい。

育ってきた環境が違うと「否めない」のだ。

価値観の違いを感じるのではなく、育ってきた環境の違いを感じる。そんなことが結構ある。

そう、結構あることを知ってしまった。


だから相手のことを理解しようと思ったら、
育ってきた環境は近いほうがいいのだと思う。

そう思った。


ぼくにとって育ってきた環境自体が母なのだと思う。そればかりは否めない。

否めないのだ。

そんなことばかり考えてしまう。
ぼくは大丈夫だろうか。

こんなぼくが素敵だと思える人を、
いつか母に紹介できたらいいな。

と、長くなってしまったが冒頭の1文をこのようにフォローして終わりにしたいと思う。

母を想う。

どうか、ずっと幸せでいてほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?