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私は私をこれからも褒め続ける。

昨日までの激務のせいか、休日の今日は、心身ともにとてもだるかった。しかも寒くて天気もどんよりしている。

午前中はあまり動けず、ツイッターを久しぶりにゆっくり見てしまって、ますますどんよりしてしまった。

とにかく情報量が多い。
私のワーキングメモリが働きっぱなし。しかも強制終了ができない。

あーーーー!!!あかん!!!

用があり、午後からは外に出たがとにかく寒い。自分は何をしてるんだろうと少し思った。
午前中にツイッターなんか見るんじゃなかった。
いつもは仕事してるから、ぜんぜん見ないんだけどね。

他人のツイートを何十も追わずに、自分の言いたいことだけをつぶやくだけでも充分。

ツイッターはもう10年以上やってるけど、好きなことばかりつぶやいてたらいちいち指摘される、ということが続いて、嫌気がさしてきた。ネガティブなことはつぶやいたらあかん、下品だ、とか。

うるさい。

「私、こんなとこに行ってきましたー」
「こんなの食べましたー」
「私こんなに綺麗なのよー(渾身の修正済み自撮りうp)」

ならいいらしい。インスタもそうだと思うけど。

「いいなー!私も行きたーい」
「おいしそう〜!うらやま〜!」
「綺麗ですね!(訳:ヤラせて)」

て言われて嬉しいんですよね。はいそうですよね。

ツイッターで得られる承認なんて、日常の何分の一なんだろう? それを得ることって何なんかな?
自分の行動や容姿を見てもらいたいってのは、『認めてもらいたい』てことやんな?

うわぁ、こうやって文にすると、とても気持ち悪いですね。

いや、一番気持ち悪いのは、それらに心がザワってなってる私だ!!

調子悪いと、普段はなんとも思わないことに、ザワザワ…てなってしまったりする。
見ず知らずの他者に対しての良くない心の動きは、その他者が与えたものではない。あくまで自分が発生させたものであり、そのときの精神状態の指標だ。

こういうときは、(あー、あかん日やわ) と言って、やり過ごす。いつもは (ま、いいか)(承認欲求乙!) と笑い飛ばせるのに。

しかし、今日はもう大丈夫
もう美味しいご飯を食べたから。
もちろん自分で作ったご飯だ。
そんなに凝ったものをつくったわけではない。食べたいものをつくって食べる。

こういうとき、料理が好きでよかった、ご飯を食べられる体の状態でよかった、と自分で自分を承認してあげるのだ。

承認を他者から得ることを生きる励みにするのはあまり良いことにはならないし、決して期待してはいけない。
どんどん承認クレクレちゃんになってしまうし、行為がエスカレートしてしまう。

また、極端な話だが、いいねの数もフォロワーの数も、格段に多いからといって、苦しまずに死ねるわけじゃないのだ。

どんなに良い評価をもらっていても、もらい続けていたら人間はその状態に慣れるのだ。慣れたらもっともっと、となってしまう。それが本来の自分を失わせる原因にもなるし、危険なのだ。

他者に頼るな。自分で自分を承認してあげよう。たくさんほめよう。
今日もよく頑張りました!

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