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【シンママ日記-1-】〜わたしがシンママになるまで〜

わたしの20代後半はものすごく忙しいものでした。

25歳→結婚
26歳→長女誕生
27歳→次女誕生
28歳→離婚

毎年なにかが起きていますね…。
今振り返るだけで目眩がしそう…笑

28歳で離婚を決意するまでになにがあったのか、
全て書くと論文くらいの分量になってしまうので(笑)簡単に振り返ってみます。


小さな違和感

女の勘ってやっぱりありますよね…。
長女が産まれてから少したったころ、あれ、なんかこの人あるぞ。と何か違和感を感じるようになりました。
女の気配はないし、、ギャンブルでもないし、、でもきっとなにかをやっているような気がしていました。

少しずつ崩れていく

次女出産の1ヶ月前、久々に通帳記入をしてみたら残高が減っていることに気がつきました。
感じていた違和感はこのことだったのかと…。
遡って計算していくと数十万円程使い込まれていました。
出産を目前に控えていたこともあり、このときは離婚なんて全く頭に浮かばず。
何度も話し合って、もう絶対にやらない。と元夫が誓ったので、最構築することになりました。

点と点が線になる

次女出産後は数ヶ月で保育園に預け、フルタイムで仕事に復職し、時間に追われる日々をおくっていました。
バタバタと生活していても、まだモヤモヤと違和感が…。

きっとなにかもっと大きい爆弾がある…けど、これを明らかにしたらきっと全てが終わるな。

と、直感で感じていました。

そして、次女がお座りをし始めた生後半年になるころ、ある日突然我慢できなくなり、子どもたちが寝てから問いただしてみたのです。

するとでるわでるわ。数十万円なんて規模じゃない。数百万円の使い込み。借金まで作ってました。
感じていた違和感のとおり。
『あーもう、これは無理だな。』と悟りました。

その日は話し合い終了し、翌朝いつも通り保育園に子どもたちを預けて仕事に向かいましたが、電車の中でポロポロ涙がでてしまい途中下車。その日は仕事を休んで街を彷徨っていました。

夕方子どもを迎えにいって家にかえると、テーブルの上には離婚届がおいてありました。

完全ワンオンオペシングルマザーになる決意

もう再構築が不可能なことは分かっていましたが、
離婚届をもらってから2か月もの間、
1歳0歳の年子を抱えてひとりでやっていけるのだろうか。
助けてくれる家族は近くにいないから、自分にどんなことがあっても全てをひとりでやらなければいけないし…
と、ずっとぐるぐる悩み続けていました。

ひとりでやっていけるかもしれない→いや無理だ
→やっぱりできるかも→いやむりだ

を何度も何十回も何百回も頭の中で繰り返し、ようやくシングルマザーになる決意ができました。

決意ができたその日に公証役場にいき、公正証書が完成した日に離婚届を提出しました。
(2か月も悩み続けていたのに、決意をしてからのスピードが凄まじい…)

結婚と離婚は間違えだったのか

シングルマザーになってから、周りのひとによくこのようなことを言われました。

結婚しなければよかったんじゃないの?
離婚以外の選択はなかったの?

答えはノー。
結婚も離婚も絶対に間違っていないと胸を張っていえます。
なぜならば、結婚しなければ長女次女は産まれなかったし、離婚しなければ三女にもあえませんでした。
もし、この結末を知っていて、タイムマシーンで過去にもどったとしても、間違えなく同じ道を辿っています。
今まで起こったことのひとつひとつ全てに、なにも後悔していません。
なぜならば、もしなにかひとつ違っていたら、三姉妹のお母さんにはなれていなかったからです。
長女次女三女がいない人生なんて考えたくありません。

つづく


🍫チョコ🍫


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