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密だけど開店(創作)

「言葉であそぼ」では、五十音を使って物語を描いていきます。今回は「み」から始まる言葉がたくさん入っています。

カランと音が鳴った気がして、ミツコはドアのほうを見やったが、空耳だったらしい。

あの感染症のせいで、しばらく休業していたミツコのスナックだったが、今日からまた営業することにしたのだ。

カウンター8席の小さなスナックでは、席を開けて座っても、ドアを開きっぱなしにしても三密の状態は避けられない。うちの店で感染させるわけにはいかないと、ミツコは他の店が次々と営業を再開しても慎重になっていた。

見目麗しいわけでも、水もしたたるようなイイ女でもないけれど、愛嬌ときっぷの良さでミツコのファンは多い。何より情が深く、どの客も身内のように大事にしてくれる。店で出す料理も野菜中心のヘルシーなものが多く、豆腐を使ったミートソースは大人気だ。

「まだ店開けないの? ママの味噌汁が飲みたいよ」と言ってくれる常連客も多く、冥利につきる。そのたびに「うちの店は狭いからね」と答えてきたが、その回答にも飽き飽きしたころ、やっと感染症は5類に移行した。

お客の健康を守れるかの確約は出来ないけれど、どんなに耳をすませても見極められる材料は出てこないため、ようやくミツコも再開を決意した。
休んでいるあいだに宮崎に住む姉のところに遊びに行って、姉に背中を押してもらった影響も大きい。

「そもそも三密って言葉が嫌い」と、ミツコは誰もいない店内でつぷやいた。
密閉、密集、密接の三つの要因を抑えると、感染防止につながるって耳にタコが出来るほど聞かされて、それは確かにそうなのだろうけど、
「ミツミツって、なんか悪いことのように人の名前を呼ばないでよ」とブツブツ言いながら、カウンターを磨く。
先週も昨日も大掃除をして、今日もきっちり掃除をしたので汚れたところは無いのだけれど、働き者のミツコは何もせずにはいられない。

キュッキュッという音とともにどんどん光っていくカウンターに見入っていたら、カランと音が鳴った。
今度は本物だ。

身だしなみをササっと整えて「いらっしゃいませ」と声をかけた先にいたのは、休業前に毎日通ってくれていた青ちゃんだった。

「青ちゃん、おそーい」と、ミツコが少し甘えた声で言ったが、青ちゃんは華麗にスルーして「ウイスキーを」と静かに注文した。

カウンターの奥の席に青ちゃんが座ると、それから立て続けにお客が入ってきて、挨拶を交わしている。
カズさんが「この店でママやみんなに会うと、やっと日常が戻ってきた気がするな」とおしぼりで首を拭きながら言うと、それぞれがウンウンと頷いた。それを合図にしてカズさんの愛猫自慢がはじまった。この店の帰りに拾った三毛猫が元気そうで何よりである。

コバさんの前に瓶ビールを置き、片手でしっかりと押さえる。ゆっくりと栓を抜いたらシュッという音が鳴り、ミツコは店を開けたことをあらためて実感した。
冷やしたビールグラスの横にミックスナッツを出すと、コバさんは昨日も来ていたかのように自然につまんだ。
今日のお通しである水菜の胡麻和えもパクパクと食べ始めている。

以前と変わらない様子にミツコがホッとしていると、水色のワンピースを着たカコが「ただいまー」と言いながら店に入ってきた。空気が一気にみずみずしくなる。
「おかえり」とミツコが声をかけるのとほぼ同時に、お客たちが荷物をどかして真ん中にカコの席を作る。
座るのももどかしげに「ママ、お土産だよ」と差し出した包みを開くと、みたらし団子だ。
「ありがとう。好物を覚えていてくれて嬉しいわ」とミツコは心から感謝した。

「いま食べる? それとも後で出す?」と聞くと、んーーーと唸ってから「後で! とりあえずビール!!」と言うや否やカウンターにパタリと突っ伏した。

酔っ払って耳たぶまで赤くしているカズさんが「カコちゃんも見事なくらい変わんないな」と、半分見惚れ半分呆れながら言うと、「だって仕事で疲れてるんだもーん」と口を尖らせている。口の周りにビールの泡をつけているのも、なんとも魅力的だ。

努力が実を結んで、個人のデザイン事務所を開いたカコは、抜群のセンスと腕をかわれて業績は右肩上がり。先週末は町のお祭りで神輿をかついでいたし、オンオフともに大忙しである。
ミツコの店に来るときは、お酒を飲みにというよりも疲れを癒しに来るといったほうがあたっているかもしれない。

少し痩せ気味のカコには、野菜をたっぷり入れたミートローフを出す。この子はミンチ肉の料理が好きなのだ。玉ねぎをみじん切りしながら、今日カコが来てくれたら出そうと決めていた。

小料理屋ほどではないが、料理自慢のミツコのスナックには食事目当てで来る客も多い。その日の気分で自分が食べたいものを注文したいお客と、ミツコが選ぶものを喜ぶお客がいて、カコは後者だ。「カコちゃんにはコレ」と出すのが、見守られている感じがして嬉しいらしい。ノートを付けたりしなくても、みんなの好みは頭の中に入っている。

カコの言葉を借りると「この店に来ると満ち足りる」んだそうだ。
それはミツコも同じである。この、スナックという場に集う人たちによって、人生がいかに満ち足りているのかが分かる。

意見がぶつかることや喧嘩もあるけれど、すぐに水に流せる。自分が思ってることを伝えれば、きちんと耳を傾けてくれる。お互いに認め合える良い場になっているのだと思う。
生きるうえでの味方がいる感じ。ありがたいことだ。

「ママの人柄だよ」と言ってもらえるのも嬉しい。
実は昔スナックをやめてスーパーで働いていたことがあるのだが、生死に関わる病気をしたときに、やっぱりスナックをやりたいという自分の気持ちに気づいたのだ。
「一度やめたのにみっともないかな」と小さな見栄が邪魔をしそうになったが、ミツコは自分に正直になることに決めた。
お医者様から「生存できたのはミラクル」と言われたほどの大病だったのだから、何も怖いものはない。

水商売という言葉通り収入は安定はしていないし、今回のようなことがあると金銭的には大打撃だが、得ているもののほうが多いと思うのだ。お客の一人ひとりが道しるべになってくれて、そしてミツコ自身も誰かの道しるべになっている実感がある。

一人娘もとっくに独立しているし、年金をもらえる年になって、道草しながらでも贅沢をしなければ何とかやっていける。
「あの病気は人生のみそぎのようなものだったのかも」とミツコは思っていた。
みそぎの元になる出来事については誰にも語ったことはないが、いま未来を見つめていられることが大切なのではないだろうか。


久しぶりだからか、入れ替わり立ち替わりお客がきてくれて、今日はずっと満席のままだ。ミッチリと密度が濃い。ときどきドアを開け放して換気をする。
ちょうど混んでいるときに来たトモちゃんは「また明日来るね」と、立派な花束だけ置いて帰っていった。お祝いの水引きまで結んである。しばらくカウンターの上に飾っていたが、足元のバケツに水を張って、そこに入れることにした。
何しろミツコの店は見ての通り狭いのだ。


お客同士が最近観た映画の『ミステリと言う勿れ』の話で盛り上がっているのを放っておいて、ミツコはお茶を入れてカコとみたらし団子を食べた。

若いころはお茶を淹れるのが下手だった。お茶が美味しいと言われるようになったのは、経験を積んだというよりせっかちじゃなくなったからだと思う。
店を30年以上続けてきて、いろんな人を見習っているうちに、未熟ながらも少しのんびりできるようになっていったのだ。

カコがミツコの手をじっと見つめて「ママの手は成熟した手だね」と言ってから、「私はまだまだ未完成」と自分の手を見せてきた。

店を閉めていた3年のあいだに、みんなに起こったことを聞くのも楽しみだな。

ほっこりしていると、青ちゃんが「そろそろ」と声をかけてくれた。
青ちゃんが帰るのではなく、お店を閉める時間だってこと。

有り難いなぁと、今日何十回目かの感謝が浮かんできた。

身勝手な私のこだわりに付き合ってくれて、店を開けるのを待っていてくれた人たち。

「明日も健康的で美味しいものを作ろう」と自分で自分にこっそり約束をして、
ミツコは見落としがないよう真剣に伝票を計算しはじめた。

「ママ、あのさ」と話しかけたお客に、「黙ってて!」とミサイル並みの強い口調で制するミツコ。
ママが計算しているときは口をミュートにして話しかけてはダメなのは、このスナックの暗黙の了解。客同士の密約である。

ミスが多いのを自覚しているミツコは眉間に皺を寄せて、電卓を叩いている。

一度店を出て戻ってきたコバさんが「ミスが多いミス・ミツコだもんね」と小声で言ったら、カウンター席のみんなが一糸乱れずに「シッ!」と右手の人差し指を唇にあてた。

何も聞こえていなかったミツコが、会計を済ませて「ありがとう。またきてね」と見送ると、「はーい」とみんなが答えた。

青ちゃんが三日月みたいな目をして静かに笑った。

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