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日の丸弁当と飛行船(創作)

「言葉であそぼ」では、五十音を使って物語を描いていきます。今回は「ひ」から始まる言葉がたくさん入っています。


三年前まで、平々凡々と生きてきたと思う。
いや、今でも非凡ではないから、その点は変わらないのかもしれない。

三年前と今の違いといえば、私が自宅の外に出られなくなったことだけだ。

そう。
ある日突然、なんの前触れもなしに、玄関から外へ足が動かなくなったのだ。
兄に背中を押してもらったがびくともしない。母が前から手を引っ張ってもピクリとも動かない。

コンビニにビールとピーナッツを買いに行こうと思っていたのだが諦めて、兄に託すことにした。

財布ごと預けたのを良いことに、兄は自分の分のビールとビーフジャーキーまで買ってきて戦利品を広げながら
「さっきのは何だったんだろうね?」と言う。

母は「ビックリしたね」と言いながらも、のんびりとピーナッツを食べ始めている。
私は私でビールが呑めればOKなので「ねー、なんだったんだろうねー」と口では言ったものの、もうどうでもよくなっていた。

バラエティ番組のひょうきんな出演者を笑いながら見ていたところに父が帰ってきた。
兄がさっきの出来事を話すと、父は少し心配そうに「大丈夫なのか?」と聞いてきたが、「大丈夫だよ」と軽く答えた。


ほろ酔いのままひと眠りした翌朝、「燃えるゴミを出してきて」と母に頼まれて、勝手口でサンダルを履いたけれど、外に出られない。
「お母さん、今日も出られないわ」と言うと、「あらま」と言ってゴミを自分で出しに行ってきて、
勝手口に立ったままの私を見て「あら、まあまあ」と言った。

ひとまず家の中に入りましょ、と促されて、朝食を食べることにした。

私の仕事は基本リモートワークなので、外に出られなくても急に困ることは無いが、不思議な出来事に眉をひそめていると、
「おかしなことがあるものね」と母が言った。

そののんびりとした口調に一安心して、「ね、おかしいね」と答えながら冷奴を口に入れて、今晩もビールが呑みたいなと思った。



それから、私は一度も自宅の外に出られていない。

私は元々あまり外に出ないので、問題は特になく、私が外に出られなくなっても家族四人ともいつも通りに暮らしている。
この、のほほんとしたところは家族の美徳だなと思う。開き直ってるわけではなく、ものごとを自然と引き受けちゃう家族。

ときどき母に頼んで日の丸弁当を作ってもらい、家族で室内ピクニックをしたりもした。
母の日の丸弁当は絶品なのだ。自家製の梅干しのひと工夫が他にはない味で、これを食べるとどんな時でも幸せを感じられる。


半年ほど経ったころ、隣に住む伯父家族が私の姿を見ていないことに気づいたらしい。
伯母が家に訪ねてきたとき、外に出られない以外はいたって健康な私が出迎え、家の中でお茶を飲みながら話をしたら、安心して家に帰って行った。

それからしばらくして、隣と向かい合った窓を開いたら、伯母から「今晩、うちに夕飯を食べにおいで」と誘われて、しぶしぶ現状を話したら、敏感ではない伯母もさすがに表情が曇った。
そして、夜になると伯父と従姉と一緒に我が家へやってきた。

「それは引きこもりってものかい?」とヒソヒソ声で伯父が聞くので、「いや、引きこもる気はないから違うと思う」と答えると、「じゃあ何?」と言われて返答に困る。
品行方正な伯父は、身内に起こっている訳の分からない現象に驚いて、ピカピカの頭から湯気が出そうだ。立派なヒゲを頭に移せればいいのに、と考えて、ちょっと笑いそうになって必死にこらえた。ここで笑ったら顰蹙をかうこと間違いなしだ。

久しぶりに会った従姉が「病院へは行ってみたの?」と聞くので、「ううん。外に出られないから」と当たり前のことを答えると、んーと唸ってから電話をし始め、「家に来てくれるって」と、メモを書いて渡してきた。
精神科の先生の往診を取り付けたらしい。

さすが、美形で有名な従姉。縁談先も引くて数多で、人を惹きつけるチカラが半端なく顔も広い。それをひけらかさないのもかっこよい。
アニメのヒロインを見て、母と「従姉みたいだね」と話しているほど光り輝く存在なのだ。

「評判も良いから安心して」と言われて、はなから心配していない私たち家族は黙って頷いた。

この日の夕飯は、伯父家族も一緒に母の日の丸弁当を食べた。
伯父たちも大好物なので、上機嫌で帰っていった。



早速翌週に訪問診療してくれた精神科の先生は本当に良い先生だった。いろいろと話をし、検査の結果も出て、異常がないことが分かると、「病気ではなくてよかったですね」と微笑んだ。
「秘密にしてることもないですよね?」と念押しされて、「はい!もちろん!!」と明るく言うと、声を出して笑った。

学校や会社にある種のヒエラルキーは存在していても、それに困ったことも悩んだこともなく、昼休みは仲の良い友人と昼ごはんを食べて、のんびりしていた。地味だからといって卑屈になることもなかった。一人でいることも好きで、それは今でも変わらない。


「解決したわけではないので、これからも大変でしょうが、悲観的になるのは良くないので今のように明るく過ごしてください」とのこと。
「僕が紐解ければいいんですけどね。ヒントも見つからなければ、ひらめくものもなくてごめんなさい」と謝る。本当に良い人だ。

従姉に報告すると、次はヒーラーを紹介してくれた。ヒーリングの世界ではピカイチな方だそうだ。さすが従姉。
病気ではないということなので、スピリチュアルな分野に解決策があるのではと考えたらしい。

瞳がキラキラした美声の持ち主で、すごく癒された時間だった。玄関まで見送りに出て、足が外に出ない私を見て「時が解決するわよ」と言ってくれた。「必要になったらまた連絡してね」とも言われた。

ヒプノセラピーという前世療法をされる方にはオンラインで対応してもらった。
外に出られない問題は解決しなかったが、楽しかったので数回お願いした。
ピラミッドの埋葬品のなかにびっくり箱を忍ばせた自分を見つけたり、卑弥呼のお世話をしながら貢ぎ物の美酒をちょろまかす前世も見た。人肌にあたためて呑んでいるところが脳裏に浮かんできて、吹き出しそうになった。
「あなたはいつも許されていて、周囲がひだまりみたいにあたたかいわね」と言われた言葉が心に響いた。


心配してくれていた従姉もやれることはやって一息ついた感じなのだろうか。紹介の頻度も減り、もはや解決は求めていないようで、気持ちにピッタリ合う人がいれば、というニュアンスに変わっていった。



外に出られないことに慣れた私は、運動不足と日照不足を解消するために、一日に一回以上はベランダに出て、ストレッチとひなたぼっこをする習慣ができていた。
おかげで健康状態は悪くない。


ついさっき、兄がやってきて「飛行船が飛んでるぞ」と教えてくれた。

ベランダに出てきたときにはいなかった飛行船を見つけ、私はワクワクした。何の宣伝かわからないが、大きなひまわりが描いてある飛行船。

いつもより濃い青が広がる空が、ゆうゆうと浮かぶ飛行船の白を引き立たせている。
太陽の光があたって、黄色い花びらが眩しい。

小学校の図工の時間に「私の夢」というテーマで飛行船を描いたことを思い出した。あのころの私は、飛行船に憧れて乗ってみたいとひたむきに願っていたのだった。

「外に出られたら飛行船に乗ってみたいな」と独り言を言って、そういえば「外に出られたら」って思ったのは初めてだと気づいた。

突然始まった不思議な日々に、ピリオドを打てるかもしれない。

私は左手で日差しを遮りながら、
「お母さん! 私が飛行船に乗るときは日の丸弁当を作ってね」と叫んだ。

庭にいた母は、空に浮かぶ飛行船に気づくと
「そのときはお母さんも一緒に行くわよ」とのんびり答えた。

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