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【ろ】ろうそくとろくでなしとロッテンマイヤーさん

五十音一文字ずつから三つの言葉を選び、自分語りをしています(五十音ブログ)

揺れる炎に癒されて

母一人子一人で育った私はホールケーキに縁がなく、誕生日にろうそくをフーーッと吹き消した記憶がない。

子育て期間中も子どもの数ほどにはフーーーっイベントは行っていない。誕生日が夏の暑い盛りに密集しているからである。私はケーキは好きだが、7、8月に10日置きに食べたいほどではない。サーティーワンのアイスケーキにすることがあっても、それとて10日置きに、、、(以下繰り返し)。

なので、ろうそくとの付き合いは、母が亡くなり家に仏壇を置くようになってからが本格的。線香に火を灯すためとはいえ、ろうそく自身の炎も見つめる。私の気持ちが反映されているわけもないのだが、何となく“見守られている感”が生まれるのだ。よほどの寝坊以外は、毎朝ろうそくと向き合って勝手に癒してもらっている。

年に一度、母が眠る明治寺百観音で『献灯会(けんとうえ)』が行われる。一人ひとりがお灯明を手に境内を回って、気にいった或いは気になった観音さまにお供えするのだ。

不思議なもので、たくさんの人が境内にいても気持ちが散漫になることはない。話し声や笑い声も夜の帳に吸い込まれていくようだ。ポツポツと灯るろうそくは、人の心のようだなぁと思う。

「告別式で流してね」

仏壇で手を合わせる時に思い出すのは母だけではない。もう会えない大切な人たちのことも折々に考えている。60年近く生きてくれば別れは仕方ないことだと分かってはいるが、それでも今だに寂しい。


大好きなコイケちゃんを失って30年以上が経つ。

小さいころから心臓の手術を繰り返しているのに、リスクが高いと言われながらも二人の子どもを産んだ彼女は、人の痛みが分かる芯の強い人だった。PTAがきっかけで知り合ったのだけれど、母親同士というよりも人生の師として尊敬でき、友として心から信頼でき、本当に恵まれた出会いだったなと今でも思っている。

体調はずっと安定していた彼女が「今日は少し変だ」と言ったのは、互いの娘と息子が小学校を卒業してすぐ。担任の先生もお呼びして地域センターでお別れ会をしていた3月のことだった。
顔色がだんだん悪くなり辛そうだったので、救急車を呼んで病院に搬送した。

そのまま検査入院することになり、分かったことは血管がボロボロになってきていることと、もう少し入院が続くということ。

見舞いに行き、数分だけ話して帰る毎日。病院という場所を考えなければ、常に他の人を優先に気遣ういつも通りの彼女だった。
残念なことに中学の入学式までの退院が叶わず、私は一部始終をビデオにおさめて病室に届けた。「うちの息子ばっかりだ」と、私の長女が全然写っていないビデオを彼女は笑いながら見ていた。

5月になって、いつものように病院に向かうと、病院の前に止まっている救急車の後ろが開いていた。中に座っているのが彼女だと気づくのとほぼ同時に、「よかった会えて。急に手術することになって今から昭和女子医大に向かうの」と私への声がした。

ずっと容態は安定していたのに? こんなにはっきり声が出せるのに? 急に手術?

あわてて昭和女子医大に行ってみると、ご主人がいらしていて、手術が急に決まったのだと言う。この日はこのまま失礼した。

翌日、手術は成功したと言われた。ただ、意識が戻らないとも。

末っ子を保育園に預けた後、ICUへ行って彼女の手をさすり声をかける日々がどのくらい続いただろう。ある日、ご主人から「息を引き取った」と連絡があった。

彼女がまだ元気なときに「『ろくでなし』を歌って録音しておくから、告別式ではそれを流してね」と言われたことがある。「それは絶対に嫌」と、その時に私が即答したことを彼女は覚えていただろうか。

中学3年のお姉ちゃんが葬儀屋さんに「お母さんは歌が大好きだったから音楽を流したい」と頼んだ。コイケちゃんが好きだった歌を聞きながら受付をしていた私は、あのとき断って良かったと心底思った。本人の声の歌なんて流れたら、、、ねえ、、、

当時中学1年だった彼女の愛息は、10年後に交通事故でお母さんのところに行ってしまった。若い子の葬式は心底つらい。この日も受付を手伝いながら、私の告別式では音楽は流さないでもらおうと心に決めたのである。

導いてくれるひと

全てを一人っ子育ちのせいにする訳ではないが、私は人との距離の取り方が下手である。
どこまで近寄っていいか分からなくて、グイッといってみては反省する。あるいは考え過ぎて一歩が踏み出せず歯がゆくなる。

いくつになってもそこは変わらないのだが、そんな私を知ってか知らずか周囲の方々にはとても良くしてもらっている。

比較的早く母親になった私にとって、特にいろいろと教えてくださる先輩方の存在が有り難かった。変だと思ったら平気で言い返す生意気な私に、時に優しく時にピシッと導いてくれた。

そういえば、子どものころは『赤毛のアン』のマリラや『アルプスの少女ハイジ』のロッテンマイヤーさんがけっこう好きだった。

ロッテンマイヤーさんはかなりきつかったけれど、そうすることが善だと信じて厳しいことを言っていただけなのだと思う。内容も言葉も彼女が信じるルールに従っていただけで、私欲は無い人だったのではないだろうか。

アニメ化されたハイジでは、ロッテンマイヤーさんはクララと一緒に山に登る。原作には無いシーンだ。上手い、実に上手い。

国立近代美術館で『高畑勲展』でも、ロッテンマイヤーさんやマリラに叱られにいくのがメインのような気がしていた。

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