見出し画像

葉蔭のハンモック(創作)

「言葉であそぼ」では、五十音を使って物語を描いていきます。今回は「は」から始まる言葉がたくさん入っています。

春に生まれたから春子。
そんな安直な付け方でも、春子本人はこの名前を気に入っていた。

長い冬があけて花が次々と咲き始めるこの季節が春子は好きで、春のような人になりたいと思っているのだった。

母方の祖母が春子の名付け親で、春子たち一家は祖母の家の離れに住んでいる。

「春子が生まれた日は、庭の白木蓮が晴れた青空によく映えてね、それはそれは美しい光景だったのよ。甘い香りを春風が運んでくれて、天が春の喜びとともに春子の誕生を祝ってくれているんだと思ったわ」と、祖母は何度も繰り返し話してくれた。

この話を聞くたびに、春子は心の奥深くがあたたかくなるのを感じて、祖母に感謝するのだった。

恥ずかしがり屋でおとなしい春子は、言葉をうまく紡ぐことはできなかったが、祖母とは波長が合うこともあり、気持ちは通じていた。


父の妹である鈴子叔母さんからは「妹の夏実ちゃんはハキハキ発言するのに、春ちゃんは何を聞いてもハッキリした答えが返ってこなくて歯痒いわねぇ」と比べられたりもしたが、
それを聞いた春子も「本当に夏ちゃんはハキハキしていてかっこいいわ」と思っていたので、何も気にならなかった。

そして、鈴子叔母さんは春子を貶めるつもりでそんな風に言っているのではなく、ハッパをかけているのだということもわかっていた。

鈴子叔母さんは、毎年夏休みになるとバカンスと称して、春子と夏実をいろいろな場所に連れていってくれた。いつもは働き者の叔母さんが、このバカンスのときだけは派手に着飾って完全に遊びに徹していた。
春子から見ると、働いていても遊んでいても人よりもパワフルなことに違いなく、それがとても面白かった。

溌剌として華やかな夏実はどこにいっても可愛がられ、それは春子にとっても誇らしかった。が、鈴子叔母さんは夏実だけが注目されるのは違うと、私にはよく歌を歌わせた。

他のことならモジモジとはにかんでしまう春子だが、歌うことだけは違ったのだ。小さいころから歌うことだけは恥ずかしくない。不思議だけれど、そうなのだ。

春子の歌を聞くと癒される。

春子の歌を聞くと懐かしさがこみあげる。

春子の歌は春めいた気持ちになる。

流行りの歌を歌うわけではないのだが、そんな風に誉めてもらうことが多かった。

夏実は「春子ねえちゃの歌が大好き」と、いつも一番大きく拍手をしてくれた。

そんな二人を見て、「いい姉妹だねぇ」とハグしようとする鈴子叔母さん。近づいてくる迫力がすごくて、キャアキャア言いながら逃げる姉妹。最後は周りも巻き込んでの爆笑。

姉妹の学年が一つずつあがっていっても、同じような夏が過ぎていった。


家に帰ってから、父と母にバカンスの話をすると、
父は「気性が激しい鈴子も、子どもたち相手だと楽しいおばさんになるんだな」と笑い、
母は「鈴子さんは、春子も夏実も可愛がってくれてうれしいわ。本当に楽しい人ね」と微笑むのも毎年のこと。


バカンスから帰ってきた翌朝、夏実がのんびり寝ていても、春子は早起きして祖母のところに行く。
これも毎年のこと。

祖母と離れていた寂しさを取り戻すように会いにいく。


春子が受験を控えているからと、今年のバカンス先は近場の箱根だった。
お土産のバスクチーズケーキとハーフサイズの箱根ロールを手渡すと、祖母は目を細めて
「春子は本当に私の好きなものをよく知ってるね。ありがとう。
ハガキも届いたよ。楽しそうで、こちらも嬉しくなったわ」と言う。

花火大会のときに歌を歌ったと話すと、
「歌の発表もすっかり恒例行事になっているね。実力を発揮できる場所があって、練習に励む張りがあるね」と喜ぶ祖母。
春子が毎朝庭で歌っているのが聞こえているらしい。

はじらいながら「発揮できたかどうかはわからないけれど、『埴生の宿』の原田さんのギターがよい感じだったわ」と、春子は言った。

原田さんというのは鈴子叔母さんの秘書で、数年前からバカンスに同行するようになっている。

最初の年こそ「秘書が一緒だなんて、遊びにならないじゃない」と憤慨していたが、原田さんが遊び上手なことがわかると、当たり前の出来事になったのだ。
今では、遊び中なのにバッチリこきつかっている。

今風のイケメンというより、昔のハンサムといった感じの原田さん。品があるのに行動は速くて煩雑なこともテキパキこなす。だから馬力のすごい鈴子叔母さんの秘書ができるのだなぁと、春子と夏実は感心しきりだった。
気配りも完璧で、ハリネズミが好きな夏実にその刺繍入りのハンカチをあげたり、春子には『春原さんのリコーダー』という東直子さんの歌集をプレゼントしたりした。『春原さんのリコーダー』の短歌は、バッチリ春子好みだったし、巻末には春子が読み終えたばかりの『ハヅキさんとのこと』を書いた川上弘美さんとの対談が載っていて、少なからず驚いたものだった。

原田さんは、春子が歌を歌うことを知ると、翌年にハーモニカを持ってきて伴奏をしてくれた。そのうち、ハーモニカがギターに変わり伴奏もしっかりしてきた。

「一緒に歌いませんか」と水を向けると、ハーモニーも担当してくれるようになった。
運転中によく鼻歌を歌っているので、歌が好きだと春子は踏んでいたのだ。
その思惑があたったようで、原田さんもとても楽しそうだ。
そして、鈴子叔母さんも嬉しそうだった。



祖母の家を出てぼんやりと庭を歩いていると、ハンモックが目に入った。

久しぶりに裸足になって、ハンモックの上でバランスを取りながら、横になる。

木々が成長して空が小さくなっている。
遥か遠くにポッカリと浮かんだ雲が風にのってゆるやかに流れていく。

真夏のこの時期は、早朝とはいえ気温が上がりとても外にいられるものではないけれど、
葉蔭になるこのハンモックはなぜかいつも涼しい。
日当たりの良い場所に植えられたハイビスカスがぐんぐん伸びていて、ハンモックの高さから赤やピンクの花を眺めることができた。

ずいぶん時間が経ったのだな、と春子は思った。


バカンスの帰り道、春子は鈴子叔母さんから「原田さんとの結婚披露パーティーで、春子に歌を歌ってほしいの」と突然頼まれた。
夏実は「鈴子叔母さんと原田さん、結婚するの? おめでとう」とはしゃいだ声で叫んだ。

原田さんが半分真面目な口調で「春子ちゃんの歌が大好きだから、ぜひ歌ってほしいんだ」と歯を見せて笑いながら言う。
春子は動揺している心を落ち着かせながら
「はい。よろこんで」と答えるのがやっとで、肺の奥がキリキリ痛む音がした。

鈴子叔母さんが嬉しそうに「この歳で花嫁というのも恥ずかしいんだけどね」という声が聞こえた気がしたけど、その後の話はあまり覚えていない。


ハンモックから見えていた雲が、果てしなく遠くにいってしまった。

春子は、ときおり射しこむ日差しを遮るようにそっと目を閉じて、

「バイバイ初恋」と、小さくつぶやいた。


【は】春/花/母方/離れ/白木蓮/晴れた/映えて/春風/運んで/話して/話/恥ずかしり屋/波長が合う/ハキハキ/発言/ハッキリ/歯痒い/ハッパ/バカンス/場所/働き者/派手/働いて/パワフル/溌剌/華やかな/はにかんで/恥ずかしくない/春めいた/流行り/拍手/ハグ/迫力/爆笑/母/激しい/早起き/離れて/箱根/バスクチーズケーキ/ハーフサイズ/箱根ロール/ハガキ/花火大会/発表/発揮/励む/張り/『埴生の宿』/バッチリ/ハンサム/速くて/煩雑/馬力/ハリネズミ/ハンカチ/『春原さんのリコーダー』/バッチリ/『ハヅキさんとのこと』/ハーモニカ/伴奏/ハーモニー/鼻歌/ハンモック/裸足/バランス/遥か/葉蔭/パーティー/はしゃいだ/半分/歯/はい/肺/花嫁/果てしなく/バイバイ/初恋

最後までお読みいただきありがとうございます。