跳べ! トンキーヌ(創作)
2年前、ボクが裏の山を通り抜けようとしていたときに飛び出てきたのはトンキーヌ。
初めて出会ったんだけど、ボクにはそれがトンキーヌだということが一目でわかったんだ。
動物じゃなくて植物でもない。どんな分類になるのか不明のまま、この土地で語り継がれているトンキーヌは、どうやらとんでもない生き物らしい。
“らしい”と言うのは、めったに会えないうえに、会ったことがある人たちもトンキーヌについては語らないから。
ただ、ボクの体験があまりにもドラマティックだったので、ここにそのときのことを書いておこうと思う。時には読者のいないひとりごとも必要だ。
さて、話を戻そう。
ボクの目の前に飛び出てきたトンキーヌは、小指くらいの大きさでとても小さかったが、着ている服がカラフルだったので自然と目に入った。
トンキーヌもボクの存在に気づき、目の前に止まって、小首をかしげたあと
「ミエルノカ?」と言った。
いや、正確に言うと“言ってはいない”。頭の中に響いたのだ。
ボクが頷くと
「ドウモドウモ」と頭の中で声がする。
後から考えると、童話の世界に迷い込んだような出会いで、この挨拶はないだろうとわかるのだが、このときはボクもつられて
「どうもどうも」と挨拶をしてしまった。
ボクは声に出して、ね。
「ハナシテモダイジョウブ?」と同意を求めてきたので、
「どうぞどうぞ」と答えたら、トンキーヌがニコリとしたのが見えた。視力が良いことがここで役に立つとは。
「ヒサシブリダヨ、ミエルヒトニアッタノハ」と言いながら、トンキーヌはボクの身体にどんどんよじ登ってきた。よじ登るときは同意は取らないんだなと面白く思いながら待っていると、頭のてっぺんに座って
「トウチョウニトウチョウ」と言いながらクフフフフと笑っている。
頭の頂、頭頂に、登る頂、登頂って言ったのかと気づくのに少し時間がかかったら、「どうだ!」と言わんばかりの顔をして、鼻の上にきた。
さすがに近すぎる。
「ダジャレがうまいんだね」と言いながら、ボクはトンキーヌを手のひらに乗せて「ここでもいい?」と問いかけてみたら、「イイゾ」と言ってそこに座った。
「ボクはトシヤって言うんだ。君の名前は?」と聞いたら
「トンキーヌ」と得意げな顔をしてから、「シッテイルノダロウ?」と言ってクフフフフと笑った。
トンキーヌに初めて出会えてドギマギしていたのがバレてしまったようで、少し恥ずかしい。
「こんなふうに会えるなんて思ってなかったんだよ」と言い訳めいたことを言ったら、
「オナジダヨ」と言われてドギマギがドキドキに変わった。
なんだよ、この可愛さは。反則だろ。
ボクは動悸がトンキーヌに伝わっちゃってるかもなぁと思ったが、そこはあえて気にせず、この出会いを楽しむことにした。
トンキーヌを手のひらに乗せたまま、山を散歩してみると、今まで見えなかったものが見え、聞こえなかったものが聞こえてきた。鳥はお天気のことをさえずっているし、木々は光がたくさんあたるようにと枝を自分から動かしていた。光はわざと枝を避けるようにその道筋をくねらせて、まるで鬼ごっこみたいだ。
下草は水滴を投げ合って遊んでいて、キャアキャアとはしゃぐ声までする。
ボクは透明人間になった気分で、自然な森の姿を楽しんだ。森の空気を身体いっぱいに取り込んで、森で過ごす自分を感じた。いつも歩いている場所が、突然桃源郷になったわけだが、それはただ気づかなかっただけなのかもしれない。
世界は慈愛と楽しさで満ちていた。
トンキーヌのおかげだなと思い「ありがとう」と伝えると
「ドウイタシマシテ」と声が響いた。見ると、手のひらの上にどっしりと座ったトンキーヌはドヤ顔をしている。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。
おひさまの周りがオレンジ色に染まってきたのを見て、トンキーヌは「マタネ」と言いながら地面にピョンと飛び降りた。
大きさと比較するとかなりの高さなわけだから、ものすごい運動神経である。
どこに?と思った瞬間には、もう既に景色に溶け込んでいて、涼やかな風が吹いているだけだった。
「マタネ」と言っていたから、また会えるのだろうと信じて、ボクはとても注意深く歩くようになった。
できるだけ自然なところを通るようにして、草のあいだや花の上、木の洞などものぞきこんだ。道路脇の植え込みも調べた。
でも、トンキーヌはいない。
諦めかけていた土曜日の昼、ボクの部屋のドアをノックする小さな音が聞こえた。
コンコン
コンココン
ココンコンコン
ドアを開けて目線を下におろすと、トンキーヌがボクを見上げて、「ドウモドウモ」と言いながら丁寧にお辞儀をした。
ボクは嬉しさを隠しきれず、「どうもどうも」と言った声が裏返っていた。
「どうぞどうぞ」と部屋の中へ招き入れると、トンキーヌはボクの身体をよじ登りはじめ、胴のあたりへ着くと机に飛び移った。
広げてある本を見て「ベンキョウシテイタノカ。エライナ」と、年上のおじさんみたいな褒め方をしてきた。小さいから若いと思い込んでいたが、妖精や精霊の仲間なら、もしかしたら何百年も生きてきた年寄りかもしれない。
サボテンの鉢に寄りかかるように座ると、まわりを見まわしながら「イゴコチノイイヘヤダ」と言ってくれた。
ボクは舞い上がって、ボクの部屋は離れにあるから家族は入ってこないこと、掃除好きなので清潔にしてること、面白いものがたくさんあることを一気にまくしたてた。
「だから」
「ダカラ?」
トンキーヌはクフフフフと笑っている。
「だから、いつでも遊びにきていいんだよ」
「イインダヨ?」
ポテトチップスの袋をトランポリン代わりにして飛び跳ねながら、トンキーヌが聞き返した。
「遊びにきてほしいな。遊びにきてください」と言うと、
ポテトチップスの袋から弾みをつけてボクの手に飛び乗り、
「ウン」と言ってまたクフフフフと笑った。
それから毎日、トンキーヌは遊びにきてくれた。
ボクが受験生だということを知っていて
「トモダチノジャマハシナイ」ときっかり1時間で帰っていく。
ボクはトンキーヌに「トモダチ」と言ってもらえたことが嬉しくてたまらなくて、かえって勉強がはかどるほどだった。
トンキーヌは、父さんのお土産の灯台の置物が特にお気に入りで、帰る前に必ず触っていった。
そのうちトンキーヌは他のトンキーヌたちも連れてくるようになった。
みんなは身体を鍛えるトレーニングのようなことが好きで、机の上をトラックに見立てて徒競走をしたり、トイレットペーパーの上で走って引き出せた紙の長さを競ったり、時計の針にぶら下がった時間を得点にして比べたりしていた。
トーナメント制で相撲の取り組みをしたときには、感情が昂って取っ組み合いのけんかになってしまい、ボクのトンキーヌに怒られていた。
そう、最初に知り合ったトンキーヌはボクにとっては特別なトンキーヌだ。
それぞれに名前はちゃんとあるのだが、トンキーヌ独自の言語で呼び合っているようで、ボクには発音できない。だから、ボクはこっそり「ボクのトンキーヌ」と心の中で呼んでいた。
トンキーヌたちは、たいていは玄関のドアからやってくるが、蛙やトンボの背中に乗ってくるときは、窓がコンコココンと叩かれる。
トンボは送り届けると、すぐに帰ってしまうが、蛙は一緒に遊んでいくことが多い。
1時間以上遊びたがることが多く、そのたびに「トットトカエル」と怒られていた。
毎日が楽しかった。
見た目も可愛らしいが、ダジャレが好きでとんちが効いているトンキーヌたちのやり取りに、ボクはよく大笑いした。
夕飯のメニューを知るのが好きで、気にいると即興で歌を作って踊り出す。豚汁の歌、とんかつの歌、トーストの歌、、、とうもろこしやトマトのときは、部屋の外にある草花も陶酔して一緒に歌い始めて大賑わいだった。
通り雨が大雨に変わり帰れなくなってしまって、一度だけ泊まっていったことがあった。母屋から豆腐が入っていた空のパックをいくつかもらってきてミニタオルを使ってベッドをこしらえたら、何人ものトンキーヌがギュウギュウに詰まってそこで眠った。とても幸せな気分だった。
目をつぶるように言われ、
「モウイイヨ」という合図で目をあけたら、5人のトンキーヌが縦に肩車をして
「トーテムポール」と怒鳴りながら踊り出したこともあった。
ボクは吹き出しそうになり慌てて口を押さえた。トンキーヌたちを遠くへ吹き飛ばしたら大変だからだ。
楽しい毎日はずっと続くように思えた。
ある日トンキーヌが「ミッカカンコラレナイ」と言って帰っていった。
3日後、重苦しい雲が広がる日にトンキーヌはあらわれて、
「トナリノセカイヘイクコトニナッタ」と話し始めた。
トンキーヌたちは今この地球だけでなく、いろいろな世界で暮らしていること、隣の世界でトラブルがあり殿様が困っていること、散らばっているトンキーヌたちが共に助けに行くことにしたこと、などなど。
「チカラヲトキハナッテ、セカイヲトトノエルノガ、カミカラノトクメイ」と話すトンキーヌ。
「尊い任務があるんだね。気をつけてね」と言うのが精一杯のボク。目の前に堂々と立つトンキーヌに寂しいなんて言えるもんか。
そうだ! と思いたち、ボクは戸棚の扉を開けてドライバーを取り出した。
トンキーヌが気に入っている飾り物の灯台を分解し、光る部分だけを抜いて少し加工してトンキーヌに渡した。手先が器用なのはボクの特技なのだ。
「トーチダ」
トンキーヌは吐息のように呟くと、小さな部品を小さな手で持って高くかかげた。
ボクは自分のアイディアがドンピシャだったことに満足し、「いっておかえり」と言った。これは当時の担任が教えてくれた言葉。
トンキーヌは深く頷いて窓から空を見上げるとピーヒョロヒョロと口笛を吹いた。
すると雲の隙間からトンビがあらわれた。
トンキーヌは跳び箱を飛ぶように軽く助走をすると、トンビに向かってジャンプした。
トンビは、トーチを持ったトンキーヌをつかむと一段と大きく羽を広げて空へ戻っていく。
雲が途切れて一筋の光が差し込み、ボクはしばらくのあいだ、トンビとトンキーヌの姿を見守ることができた。
が、やがて透明になって空気に溶けていった。
そのとき頭のなかで
「マタ、コンドネ」と声が響いた。
ボクは志望校を、当初考えていた東京の大学から、森林科学を学べる大学に変更した。
トンキーヌと出会った森、命の源である森を守るために勉強したくなったからだ。
家族や先生には「どうしたんだ」と戸惑われたけれど、森を守りたいと熱弁したら納得してもらえた。もちろんトンキーヌのことは話してはいない。
あれから2年の時が経ち、
少し背伸びしたトライも無事成功して、ボクは志望校に受かってときめきながら森林科学を学んでいる。
自宅から離れた場所に下宿しているけれど、週に一度ほど蛙が窓からのぞきにくるので、ボクのことは伝わっているんだろう。
蛙はのぞくだけで中には入ってこない。
「またみんなで遊ぼうな」と声をかけると、同志である蛙はニヤリと笑った。
最後までお読みいただきありがとうございます。