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ヤマボウシの君へ

「言葉であそぼ」では、五十音を使って物語を描いていきます。今回は「や」から始まる言葉がたくさん入っています。


君を初めて意識したのは、高校2年のときだった。

昼に購買のパンを八つも食べた後の、午後の授業。しかも古文。どんな状態か想像できるだろう?
そのうえ、まだ日に焼ける季節ではないためカーテンは開いていて、日差しはやけに柔らか。

ウトウトが本格的な眠りになりそうだったそのとき、耳に響いてきた声に僕は目を開いた。

「いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり」

少し低めの凛とした声の持ち主は、僕の後ろの席の君だった。
「やむごとなきって、こういう感じなんじゃない?」って思いながら、後ろを振り向くことはできなかった。本当にね、高貴な雰囲気がしたんだ。

先生は「覚えてきただけでなく、意味もよく理解していて、役者さんの朗読みたいでしたね」と誉めたあと、僕の名前を呼んで「次は、方丈記の冒頭をどうぞ」と言った。

宿題はちゃんとやってきて文章はしっかり記憶している。だけど、さっきまで夢とうつつの境目にいた僕の頭の中で、作品名と文章が組み合わさっていない。

立ち上がったまま無言でいると、後ろの席から小さな声で「ゆくかわの」と聞こえてきた。

あ、それだ。
僕は無事に方丈記の冒頭を言うことができ、やりきった気持ちで席に座った。

休み時間になってから、僕は君にお礼を言った。前後の席なのでプリントを渡すことも多く、別に初めて話すわけではなかったけれど、上品な朗読の声を思い出して、僕は少し緊張した。

「この前、英語の授業で訳を教えてくれたじゃない。私もお返しに役に立ててよかったわ」と、君はややゆっくりめに答えてくれた。
ふだんの話し声は朗読の声とは違っていて、だからそれまで気にしたこともなかったんだけど、こうして向き合って聞いてみると君の声はとても気持ちがよかった。

安らぐ感じっていうのかな。なんかいいな。

と、思っていると、僕の席にヤジマがやってきて、「方丈記、よかったじゃん。八重歯に青のりが付いてなければもっとよかったのに」とやかましく言い立てた。

え?
あー、昼に食べた焼きそばパンのせいか。
青のりをつけたまま発表してしまったことは仕方がない。ただ、さっき君にお礼を伝えたときも付いていたんだと思うと、どうにもやりきれない。
「なんでもっと早く教えてくれないんだよ!」と、僕はヤジマに怒った。完全な八つ当たりである。でもさ、よりによって君に話しかけたときに歯に青のりが付いてたなんて、少しぐらいやさぐれてもやむを得ないと思わないか。

おそるおそる後ろを振り返ると、君は席にはいなかった。ヤジマとの会話は聞かれていなかったらしい。
僕はホッと胸をなでおろした。


この日から僕が君を意識していたことに、君は気づいていたかな?

君は、やんちゃなヤンキーグループでも優等生グループでもなく、少し地味目な数人の友人とよく談笑していた。
一度覚えたからだろうか。姿を見ていなくても、声で君がそこにいるのが分かるようになり、僕はますます君を意識するようになっていった。

君の姿を、いや君の声を探すようになってわかったことがある。君は強く主張はしないけれど、周りに無難に合わせるようなことはしない人だってこと。
同調圧力っていうのかな。何歳になっても起こり得ることだけど、特に高校生くらいのグループでは、周りにうまく合わせないと居心地の悪い状態になるものだ。
そんななか君は、少数派でいることに恐れはないようで、いつも自分の意見ははっきりと述べていた。むやみに反抗するわけでもなく、同調するときは自分の意見で同調しているのもわかった。
違う意見とはいえ、やんわりと伝えているので友だちに不快に取られることもないようだ。むしろ独特で素直な感性を面白がられていたようにも思う。

好きな動物の話をしているとき、みんなが「猫が好き」「絶対に犬」「うさぎ飼ってるよ」などと、可愛い動物好きな私イコール可愛い私アピールしているときに、君が「私は山羊かな」と言っているのが聞こえ、飲んでいたヤクルトを吹き出しそうになった。
吹き出したら、会話を聞いていたことがバレるから、必死でこらえたけどね。

盗み聞きなんてヤバい奴がすることだよな。それに、自然と耳に入ってくるんだから、これは盗み聞きではないんだ。と、思ってもいいよね?

ある日、誰かが誕生日に花束をもらったという流れから、好きな花の話になったようだ。
バラやひまわり、桜、すみれなどいろいろな花の名前が挙がっている。そのあたりの花は僕でもわかる。
君は、みんながひとしきり言い終わったあとに、静かに「ヤマボウシの花が好き」と言ったんだ。

ヤマボウシ?

「ヤマボウシってどんな花?」と、僕と同じ疑問を聞いてくれた子がいた。
「白い花よ。名前を知らないだけで見たことはあると思うわ」と君は答えた。

僕は家に帰ってからヤマボウシを検索して、画像をチェックした。
すっきりとして清々しい白い花は、君が好きな花というより君自身を花にしたら、こんな花なんだろうなと感じた。先端が丸くないのもぴったりだ。

優しいといえば聞こえはいいけれど、人に流されやすい僕は、どんなときにも自分という芯を持っている君のことを、いつのまにか憧れ、尊敬していた。

ヤマボウシの花の画像を見ながら、そんな気持ちにようやく気づいたことを今でもはっきりと覚えている。


もしこれが漫画の世界なら、翌年に一緒に生徒会の役員になって仲が一気に深まるとか、おせっかいでやり手の友だちにくっつけられるとか、何かしらの進展があったかもしれない。
だがしかし、ここは漫画の世界ではないので当然そんなことは起こらず、二人のあいだにはなにもないまま時間は過ぎていき、あっという間に卒業となり、君も僕も大学進学で町を離れてしまった。

高3も同じクラスになれたのに、卒業までに君と親しくなれなかったことに僕はやるせない思いを抱えていた。野球部やサッカー部のキャプテンだったら自分に自信がもてたかもしれないけれど、そもそも部活動に入っていないし、なんなら野外での活動が苦手な僕はスタートラインにも立てていないのだから、かっこいいキャプテンたちにヤキモチをやいてもしょうがない。
そうだ。妬みややっかみがないところは僕の良いところなんだから、それを失わないようにしなくては、と自分に言い聞かせていた。


大学を卒業して、社会人になって3年目。やっと仕事にも慣れてきて何らかの役割も任せてもらえるようになり、少しずつやりがいを感じてきたころ、高校のクラス会の知らせが届いた。野郎ばかりの飲み会は何回かあったが、みんなで集まるのは初めてだ。

僕は、君も来るといいなと思いながら、出席の返事を送った。


クラス会の会場は屋形船で、みんな大はしゃぎだった。お店の場合は到着順に席に着いたりするけど、屋形船は全員が待合室に揃ってから動く。
僕は何気なく君の次に乗り込むことに成功し、隣の席をゲットした。

「やったぜ!」と心の中でガッツポーズをとりながら、自分に課した次のミッションに移る。
そう。話しかけるのだ。

「久しぶりだね。元気だった?」と聞いてしまってから、君が少し痩せて、ううん、少しやつれているのに気づいた。しまった。

でも君は何でもない顔をして、「仕事を休んで母の看病をしていて少し疲れてたけど、ようやく元気になりはじめたところよ」と言う。
そうそう。この声が聞きたかったんだよ僕は。

そして、気負いのない安らかな受け答えがあのころと何も変わらなくて安心した。

って。え?

「お母さんの看病って、どうしたの? どこか悪かったの? 今日はクラス会に出席して大丈夫だったの?」と、一瞬ボーッとしてしまったことを隠すかのように、矢継ぎ早に質問してしまう。

「心配してくれてありがとう。病は長引いたけどもうすっかり良くなったの。仕事も復帰したわ」と微笑まれて、僕はまたまたボーッとしてしまい、「それはよかったね」と言うのが精一杯だった。

せっかく隣に座って話しかけたのは良いけれど、自然に会話を続けるのは易しいことじゃない。無理に話題を探すよりも僕は正直になることにした。

「卒業までにもっと仲良くなりたかったんだけど出来なかったから、今日会えたら話しかけようと思っていたんだ」と勇気を出して伝えると、君は驚いた顔をして「わたしと?」と言った。

「そうだよ。いろいろ話してみたかったんだ」と言うと、「へぇー」と君は楽しそうに笑った。

周りから話しかけられて二人での会話はここで終了。みんなの近況を聞いたり、余興を楽しんだり、夜景を眺めたり、揚げたての天ぷらを味わったりしていたら、あっという間にお開きの時間が来てしまった。

船を降りたあとで、君がツツツーと僕の近くに来て「今度ゆっくり話さない?」と話しかけてくれた。
「よろこんで!!」と、どこかの居酒屋さんみたいに大声で答えた僕を見て君はまた笑って連絡先を教えてくれた。あんなに大声で答えたのに野次馬が寄ってこなくてよかったと後から思った。だって僕の顔は真っ赤になっていたはずだから。

二人で会う約束をするようになってから、僕の生活に彩りが生まれた。
君が勧めてくれた本を読んだり、音楽を聴いたりするのは楽しかったし、山登りに誘ってもらうようになってからは街中でも季節の移ろいを感じられるようになっていった。

君と一緒に行ってみたい場所が少し遠かったので、夜行バスでの旅を提案してみた。やましい気持ちがないという証で、ゼロ泊三日を計画したわけだ。
君が少しあきれた顔をしたので、僕はあわてて「宿に泊まるんじゃないから、、、どうかな?」と付け加えたところ、君が

「私たち、付き合いませんか?」とサラリと言った。

僕は一瞬言葉の意味が理解できず固まってしまったけど、そのあと嬉しさが込み上げてきた。
そう。僕は君に対して憧れや尊敬だけでなく、だいぶ前から恋心を抱いていたのだと気づいていたから。

君と僕は、ときどきデートをし、ときどきメールをし、たまに電話もした。
美味しいものを食べたときに「君にも食べさせたい」と思って連絡をする。心に矢印が出来たことがうれしかったし、君への気持ちが深くなっていくのはもちろん、そう思える自分自身のことも好きになっていった。


2年ほど付き合ってから、僕が君にプロポーズすると、君は快く受けてくれた。

君のご家族にご挨拶するときにはとても緊張した。手のひらの汗の感触を今でも思い出せるほどだ。
重々しい外観の屋敷のイメージとは違って、出迎えてくれたのは温厚そうなお義父さんと、ザ・大和撫子といった風情のお義母さんだった。

君が僕のことを紹介するときに「高校のころの彼のことはあまり覚えていなかったのだけど、何回も会っているうちにいろいろ思い出してきたのよ。
文化祭でクラスが焼き鳥の屋台をしたときに、ゴミ収集の人を気遣って串が飛び出ないようにゴミをまとめていたのも、卒業前にお世話になったからって教室をきれいに掃除していたのもこの人だったなぁって」って言ってくれた。
僕は初めて聞く話だったからやや面食らったけれど、心の奥がジンとするのが分かった。


結婚まではやることが多くそれなりに忙しかったが、君とのやり取りが増えるなかで相性の良さもつくづく痛感していた。

役所に婚姻届を出しに行くときも感動したが、今日の結婚式の感動は言葉に出来ないほど。

いま高砂で隣に座るウエディングドレス姿の君は本当に上品で美しい。僕はさぞ、やにさがった顔つきだろう。

「ヤマボウシってどんな花だっけ?」と検索した高校時代の僕を「そのあと自分の殻を破って行動してよかったな」と誉めてやりたい。

式場の大きなガラス窓から、周辺の屋根屋根に陽射しが反射してキラキラしているのが見える。

ああ、きっと、あの中に自然と溶け込んでいくのだろう。
君と僕から始まる真っ白な家族も。

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