見出し画像

長者の万灯

 夕方になると、どこからともなく笛の音が聞こえてくる。8月に入り祭も近くなると聞こえてくる例年の風情である。良平の住んでいる所は江戸時代から開けた場所であり、鬼の平蔵、すなわち、火付盗賊改の長谷川平蔵の役宅跡などもある下町だ。
 近頃は、近隣住民も高齢者が増え、祭で神輿も出るものの昔ほどの勢いは無い。

 良平は、今年4月に大学を卒業し機械メーカーの営業として日々忙しく働いていた。実家の近くのアパートに1人住まいではあるが、事ある毎に実家を訪れ両親と夕食を共にする。

 父は、実家の近辺にアパートを数棟経営する不労所得者である。かなり 前からヒマを持て余して、骨董収集を趣味としていた。つい先日も馴染みの骨董屋が円空の木彫りの仏像を持ちこんで品定めをしていた。そんな趣味のために仏像の勉強やら歴史の勉強の為の書籍なんかも増えて、夕食時に蘊蓄を聞かされる事も度々だ。

 祭神輿が出る三日ほど前、良平は実家で母と夕食を食べていた。父は町内会の寄り合いで食卓には姿がなかった。
 良平達が夕食を終えた頃、父が赤い顔をして帰ってきた。祭も近いので酒も振る舞われたのであろう。
 上機嫌の父は寄り合いでの出来事や今年の神輿に関して話をしていたが、神社へ30万円の寄進をしたことを誇らしげに話し始めた。

 よく祭になると木の板に「金一万円 ○○太郎」などと書かれて晒されるヤツだ。
30万円ともなると板のサイズも大きくなり、前の方に掲示されるわけで、ある意味、町内の力関係を現すバロメーターとしても機能している。そんな理由で、赤ら顔の父は上機嫌であり饒舌だった。
  
 「おい良平、俺は今日神社に30万円を寄進してきたぞ。お前にはそんなマネは出来ねえだろう」と酒臭い息で自慢をし始めた。

 「この前、円空仏を品定めしていたよね。その前は、興福寺の千体仏なんかもあの骨董屋は持ってきたけど、親父は、かなり勉強してるよね。」と良平。

  父、「そうさ、仏教史や古代史にも精通しなきゃおいそれと仏像なんぞに手が出ないだろう。こちとら昨日今日に勉学を始めたわけでもあるめいし、そりゃいろいろと勉強するわ」

  良平「じゃ、仏教についても詳しいよね」

  父「そりゃ、あたりまえだ」

  良平「お釈迦様の教えで『長者の万灯、貧者の一灯』という言葉も知っているよね?」

  父は、虚を突かれた様な顔をしながら「・・・もちろん、知っている・・」
と苦しそうに答えた。

良平は、もう何も言わなかった。夕食もとっくに済んだのでさっさと自分のアパートに帰った。

 ここ数日、仕事が忙しく実家にもよれなかったが、久しぶりに両親と食卓を囲んだ。父を見たら一瞬目を伏せた。

  良平は、追求はしなかった。自身で調べて少しでもお釈迦様の志を理解できればそれで良かったのだ。

 


※「長者の万灯、貧者の一灯」は、金持ちの見栄っ張りな寄進よりも、貧しい人が真心で行う寄進の方が尊いという教え。大切なのは量や金額ではなく、誠意の有無。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?