スーパーアイドル・ジュノくんのこと。
実にもう11年も前になるけれど、ジュノくんの23歳の誕生日に私は長い文章を書いた。
もはやネットの海の藻屑となって消えたけれど、何を書いたのかは今もぼんやりと覚えている。
この世界にはたくさんのファンがいて、その一人ひとりが、彼に対して一方的な「理想像」を抱いているということ。
その色は少しずつグラデーションのように異なっている上に、少しでもそのイメージからずれると文句を言われる状況下で、たった一人でその「無数の理想像」と向き合うのは、さぞ大変な作業であろうということ。
今は果てのない野心を胸に、まっすぐに道を進み続けているけれど、いつかきっとその「求められるイメージ」と、生身の自分とのギャップに、苦しむ日が訪れるであろうということ。
それでも、遠い未来、ジュノくんが自分のアイドル人生を振り返った時、胸に蘇るであろう景色の…無数に光るペンライトの一部であれたらいいなということ。
そんなことを祈って、日本の片隅から、異国の男の子の誕生日を祝ったのであった。
さて、2PM基礎用語のひとつとして、「ジュノ時代(シデ)」という言葉がある。
はるか昔、2PMの中でもモブキャラでおなじみだったジュノが、本国のバラエティ番組で「いつか自分の時代が訪れる」と野望を語ったことに由来する(だよね?)この言葉は、当初半笑いでペンたちの間で記憶されていたのだけれど、
私が先述の文章を書いた2013年ごろというのは、まさにその「最初のジュノシデ」が訪れようとしていた時期で、
4月のドーム公演や夏のソロデビューこそまだ発表されていなかったけれど、ビジュアルも一気に垢ぬけて、グループ内での人気も如実に上がっていった頃だった。
2013年~2017年までの2PMのスケジュールというのは、ちょっと異常なものがあった。
毎年春にはアリーナツアーがあり、夏にはジュノのソロツアー、翌年以降Jun. Kやウヨンのソロツアーも行われるようになった。
リリースがあればハイタッチ会などのイベントが複数催され、合間を縫うようにして本国でのカムバがあり、アジアツアーやワールドツアーがあり、JYPNがあり、秋にまでツアーがある年もあった。
(この時期にこなしたステージの場数が今の彼らの土台となっていて、だからこそ、30歳を過ぎての久しぶりの公演だろうとも、3時間全力で歌って踊ってMCをして、観客に退屈する暇を一切与えない、一流のショーを見せることができるのだと思う。)
同時に、ファンもまた次々に発表されるスケジュールを追いかけるのにとにかく必死だった。
初めて彼らを生で観た時は、「本当に実在したんだ」と腰を抜かすくらい驚いたのに、
CDを3枚くらい買えば誰でもペロッとハイタッチ会には行けるし、ソロツアーは手を伸ばせばステージに届くでおなじみのZeppだし、
加えて本国でのイベントにも積極的に参加するようになると、いつの間にか彼らを近くで観ることにすっかり慣れてしまい、親戚のような、近所の高校の部活の男の子たちのような、ある種の戦友のような、不思議な距離感で彼らのことを眺めるようになった。
そんな中で、ジュノくんは変わらずにずーっと「アイドル」だった。
どういう言葉を選べば、新しくファンになった方々にも誤解がないように伝わるか、とても難しいのだけれど、俳優としてブレイクする前の彼はとにかく、
やんちゃで、チヤホヤされるのが大好きで、話題の中心にいないとすぐに拗ねて、見ていて少し恥ずかしくなるくらい貪欲でまっすぐで、「ソロでドームをやってみたい」とか「ハリウッド進出したい」とか「自分の名前を冠したブランドを立ち上げたい」とか、たとえ身の丈に合わないと笑われようとも大きな野望を語って憚らなくて、
ファンがジュノをアイドル扱いしているというよりは、アイドルとして持ち上げるとジュノ本人が喜ぶから、みんなで共犯のように神輿を担いで、キャーキャー言うことで彼を喜ばせて、喜んでいる彼を見てみんなが幸せを感じているようなところがあった。
だからこそジュノペンは、喉がちぎれるほどの大きさで、全力で「イジュノ」コールをすることに命をかけてきたのだ。
あまり他に類を見ない構造だけれど、ジュノを喜ばせることこそが、私含む多くのジュノペンにとっての生きる喜びだった。
(※もちろん、そうでない方もたくさんいらっしゃると思います)
「いつかこの人気が消えてしまうかもしれないと思うと怖かった」
Last Nightの横アリ公演で、そう言って不安そうに泣くジュノが愛しかった。
私たちが彼を支えなければ。
そんなふうに感じさせるものが、あの頃の彼には強烈にあったのだ。
私はそんなジュノが好きだった。
欲望をまっすぐに見つめて、欲しいものを手に入れるためならどんな努力もする
そこに冷笑や客観性なんて一切不要なのだ
自分の可能性を誰よりも信じて生きて生きて生き抜くということ
その心の強靭さが、眩しかった。
誰よりファンを必要としてくれているのが強く伝わってきたから、私は全世界を駆けずり回ってひたすらジュノを追い続けた。
今だから言えることだけれど、ワールドツアー中に訪れたある海外の街中で、偶然プライベートで買い物をしているジュノと出くわしたことがあった。
彼は道の反対側から歩いてくる私に気づくと同時に、すごい勢いでフードをかぶり手で顎を隠し、こちらが何かを言う前に、「すっぴんでごめんなさい」と日本語で謝った。
正直、こっちは1ミリも気にしないし、
実際、すっぴんなんて写真や映像で死ぬほど見慣れているのに。
彼にとっては、ファンと会う時は、常に完璧なアイドルの自分でないと許せなかったのだ。信じられるか。私はその事実に、泡を吹いて倒れそうになった。さすがすぎる。
その夜、ばっちりヘアメイクを施した彼は、自信満々の笑顔でステージの上から指さしペンサをくれた。
…そんなこんなで、誰よりもずっと「ファンが求める理想のアイドル」であろうとしていたのは、ほかでもない、彼自身だった。
コンサートのバックステージだとかドラマの打ち上げだとか誰かの結婚式だとか、そういうシチュエーションを除いて、彼が誰かと(特に女性と)プライベートで撮った写真が上がってきたのを、未だに一度も見たことがない。
カルティエのラブブレスを一時期していたことがあって(※当時韓国で流行していた)、そのことに対して日本の一部のファンが動揺を見せた時、
「ブレスレットにとくべつないみはないのでしんぱいしないでください」とツイートしたことがあった。
わざわざ積極的にそんな弁明するアイドル、聞いたことあるか。私はイジュノ以外に知らない。
いつまでこんなアイドルでいてくれるんだろうなと思った。
それは、いつまでこんなふうにファンを必要としてくれるんだろうな、というのと同義だった。
冒頭に書いた通り、20代のうちは夢中で走り続けてくれるかもしれないけれど、いつかきっと彼自身にも別の欲望…
たとえば、プライベートを充実させたいだとか。
そんな気持ちが芽生える日が来るのだろうなと思っていた。
とりあえず、兵役までは。
そう思いながら駆け抜けた日々だったけれど、
兄たちの入隊に伴い、グループ活動がなくなると同時にドラマの仕事が増えて、
彼が『キム課長』で俳優として華々しい評価を得ていく様を、私は遠くから眺めていた。
除隊後、待ち受けていたのはコロナにより公演の制限された世界だった。
せっかくの6人での韓国カムバも、日本のシングルリリースも一切現場はなく、なんとなくこちらの気持ちも盛り上がりきらないまま終わり、
その一方で彼は本国でいよいよ俳優として大ブレイクを果たしていた。
ユナと二人で年末歌謡祭の司会をやる未来なんて、10年前、誰が想像した?
少女時代と2PMがコラボしたカリビアンベイ(※韓国のウォーターパーク)のCMでのジュノの扱いを覚えている人なら、豊臣秀吉以来の大出世っぷりに目を見張るだろうよ。
あんなに近くで観ることが当たり前になっていたジュノくんは、いつの間にかスマホの画面の中の住人になっていた。
驚きと誇らしさと、少しの寂しさがあった。
グループで東京ドームを埋めても、ソロで武道館を埋めても、韓国では「Hands up」が最後のヒット曲で、ずっと「Heartbeat」が代表曲で、ソウルコンに集う客の8割は外国人だった。
「1人で暮らす」というバラエティで自分の部屋を公開した時、(日本で人気があることが知られておらず)なんでこんなにいい部屋に暮らしているんだ、と驚かれた彼が、
ついに、自分の母国での栄光と名声を手に入れた。
それも、国民的な俳優として。
よかったね、ジュノくん。
すごいね、さすがだね、本当に君は欲しいものを絶対に手に入れるんだね。
見上げるような気持ちでそう思いながら、
ああ、これで新しい居場所ができたから、もうアイドルを頑張る理由もなくなって、
日本のファンの歓声も必要なくなったかもしれないな。
なんとか喜ばせようと、人気を失ってしまうかもしれないという不安を払拭させようと、喉を枯らしながら必死に名前を呼ばなくても、あなたを包む拍手と歓声が自然と湧き上がる世界を、自らの努力で掴み取ったんだね。
そんなことを思いながら私が生のジュノを久しぶりに観たのは、2022年の夏の武道館『Before Midnight』だった。
以下、当時Twitterに書いた感想をそのまま転載する。
凄い、偉いとひたすら繰り返しながら、
私は、同時に奥底で泣きたくなるほど安堵していた。
懐かしくて嬉しくて、心がふわふわと温かかった。
私がよく知っているジュノくんが、変わらずそこにいた。
…たぶん、ジュノは誰よりも欲が深いのだ。
俳優として評価を得たからといって、アイドルとして自分を愛してくれる既存のファンを失うことなんて、絶対にしたくないのだ。
今の彼はかつてと違い、自信と余裕に満ち溢れているけれど、
ペンライトで必死に照らさなくても、内側から輝きを放っているけれど、
その貪欲さは衰えることを知らない。
2023年、2PMの6年ぶりのソウルコンは、韓国人のジュノペンで溢れかえっていた。
かつてでは絶対に考えられない光景に、パラレルワールドに入り込んだみたいな不思議な感覚がしたけれど、それは間違いなく現実だった。
彼が掴み取った現実。
有明でのコンサートでも彼は、待っていてくれた昔からのファンにお礼を言うと同時に、最近新しくファンになった人たちへのフォローも忘れなかった。
先日のソロでのソウルコン、会場中をパンパンにした韓国人のファンの前で、嬉しそうに恥ずかしそうに何度も(せがまれるよりも前に!)「ウォンジョムロ」の愛嬌おかわりを繰り返す。
それは去年の日本のツアーでも何度も観た光景で、
「ああ、どんなに売れてもどこにいてもジュノって何も変わらないなあ」と嬉しくて笑いがこみあげてくる。
彼は韓国人も日本人ももちろんそれ以外のあらゆる国の人も、
古くからのファンも新しいファンも全員等しく必要とし、大切にしている。
11年前に書いた文章が、
俳優として成功する姿を遠くから眺めて感じた寂しさが、
どちらもすべて杞憂に終わったことに、私は笑ってしまう。
彼にとって「アイドル」であることは、もはや「頑張ること」ではないのだ。
生き方そのもの。
こちらの余計なお世話なんて吹き飛ばしてくれる、規格外のスーパーアイドルだよ。
彼のキャリアの中で、明らかに一つの到達点であるはずの先日のソロソウルコン。
黄色い光の海、割れんばかりの「イジュノ」コール、
紙吹雪の中で笑い歌う横顔を観ながら、ここすらも、彼にとっては通過点なのだなと感じていた。
何も捨てず、切り離さず、その両腕に全部抱えたまま、彼はまだまだ進む。
その野望は果てることを知らない。
…けれどいつか、もし別の生き方をしたくなった時にも、
あなたがアイドルとして全力で生きた十数年間は絶対に幻にはならないから。
その並大抵ではない努力の軌跡は、みんなが覚えているから。
どうか、自分の思うように、好きなように生きてほしいなと思う。
(できれば、私のわがままとしては、ずっと2PMでいつづけてくれると嬉しいなとは思うけれど。)
ジュノくん、34歳のお誕生日おめでとう!
これからもあなたの最高の人生を、客席からずっと応援しています。
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