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川端龍子記念館とそのお庭とアトリエ

大田区の大森駅から20分ぐらい歩いたところに「川端龍子記念館」という日本画家の美術館がある。日本画家の川端龍子(カワバタリュウシ)が住んでいた場所で、美術館は独特の形をした建物で、向かいに作家のアトリエとお庭がある。ここ、以前から知ってはいたんだけど、行ってなかった。11月の暇な連休に「前から行こうと思っていたがまだ行ってない場所訪問」ということで思い立って行ってみることにした。これが想像以上によかった。特にお庭とアトリエが。

この設計も画家本人がやっている。独特の多面体構造。昔は窓に格子はなかったという。

龍子記念館  東京都 大田区
https://www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi/about

大森駅から特に何もない住宅地を歩いて20分ぐらい(西馬込からは15分ぐらい)。14時からの「お庭見学 解説付き」に参加した。ボランティアさんが解説してくれる。勝手に入れないお庭なので1日数回の時間に合わせて行くのがいい。
このお庭が、美術館の外観からは地味な鬱蒼としたパッとしない「その辺りにあるフツーの家の壁」にしか見えないため、全く期待していなかったのですが、入ってびっくりのアトリエ建物・建具・庭の作りも凝りに凝ったものだった。これと向かいの美術館、両方を自費で建てた日本画家が川端龍子です。昭和の人気画家の財力すげえ。。。

お庭入口横にあるのが終戦2日前に爆弾を落とされてできた穴からできた池。この時の絵が爆撃で飛び散る菜園の様を描いた絵が展示されていたのだが、飛び散る絵を日本画の中に表して一瞬の様を捉えた一見美しく感じてしまうこの絵、これはいろんな悔しさがあるのだろう。家も吹き飛ばされ、食糧難の中収穫間近の大切に育てた夏野菜を吹き飛ばされ、帰ってこない人があちこちにいるさま(作家も妻を病気で、息子の1人は戦死している)、死が近い時代に生きた人が生き残って感じたこと。美しい絵に仕上がっているだけに。散華の意味など、詳しくはこちらを。

この爆撃で池の脇にあった家は壊れたが、後ろにあったアトリエは壊れずに昔のまま残っている。その後、壊れた家の場所には客間の建物が建てられている。(見学の最後で回る)

入り口を振り返る。右手が池
この建物は客間と仏間。客間の建物の奥にアトリエに続く小道がある。入れるのは選ばれしモノだったのかも?

玄関までの道の敷石はお気に入りの伊豆は修善寺から持ってきたもの、ツクバイには水につけると色が変わる出生地の和歌山の石が浸けられ、美しい水色を底で光らせている。ツクバイの周りには「龍の髭(リュウノヒゲ)」が植えられている。芸術家は細部まで抜かりない。そして敷石の小道はカーブを描き、一軒家の小道とは思えぬ長さ。

まるしかくさんかく。石が青くきらめく。
こんな大きな石、昨今見ないよ。両脇は竹。作家は竹がお好き。
そして引き戸の格子の紋様もそこいらのものと違う。


敷地の奥にあるアトリエは南に面しており60畳ある。広く太陽光が入る作りになっているのは、作家が自然光を好んだためらしい。縁側は大きなガラス戸で、当初の昔のままのガラスが保たれているそう。

軒下も竹
アトリエの天井も凝ってる

龍子さんは竹がお好きだったらしく、竹を編んだものが建物の壁や天井を覆っており、これたまに高級旅館とか日本家屋で見るやつや、、、って思って見学しました。(台風時とかどうしてんのかしら、、、雨戸なさそうに見えた)

アトリエの床の板の組み方もこだわりが見られ、天井も材質は何か聞きそびれたがシンプルな紋様が描かれていた。漆喰?(としたら重いような)。 60畳もあるが柱は四隅だけで、構造も何やら工夫がありそうに見えた。
まあとにかく設計やデザインにおこだわりが感じられ、それでいて華美ではなく簡素で日常の美に溢れた感じです。

杉の木のような三角形モチーフになっていてデザイン的にも優れておられる。

出入り口の杉材の扉も独特の紋様が彫られていて、オシャレ度がすぎる。
この削り跡を残す技法のことを「名栗」というらしく。それは大工さんの道具に由来すると聞いたのだが、知人で内装系大工の仕事している人が自分達のことを「ナグリのしごと」と言っていた。とはいえネットにあまり出てこないのよな、この言葉の使い方… 誰かご存知なら教えて。
名栗 という柄については下記を見ました。

庭には龍子さんが好んだ孟宗竹があちこちに植っている。奥のアトリエから手前の客間に移動。
この客間の西側には仏間がある。なんと「伝・俵屋宗達」とされる屏風絵があり(今あるのはレプリカ)、そしてその奥には現在重要文化財の仏像が3体あったと・・・!? どんだけすごいの龍子さん。。。仏像は大田区蔵で今は国立博物館に寄託されており、ここにはない。
十一面観音菩薩立像は相当大きなものだったらしく、写真で見る限り人並みぐらいの高さがありそう。8世紀ごろのものだったという。


いろいろすごかったんで、理解できたとは言い難いのと、四季によってお庭も見え方違うらしいのでまた行こうと思う。

行った時の展示は川端龍子だけでなく、高橋龍太郎氏のコレクションで濱田樹里さんのダイナミックな力強い屏風絵を初めて見た。広がりのある展示で刺激がありました。


帰りは佐伯山から本門寺までアップダウンのある道を散歩し、本門寺から池上の商店街をぶらぶら、池上線に乗って蒲田の銭湯(黒湯)に浸かって帰りました。よく行く銭湯ですが、上の宴会場がなぜかその日は老いも若きも女性が大半だった。

2023年11月

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