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見逃したくないもの

世界は、見逃したくないものばかりだなあ、と最近思う。

行こうと思っていた展示に行けなかった!限定メニュー食べ損ねちゃった!あの新刊まだ読んでないや。今年も花火大会、行けなそう。

まだまだある。たとえば、好きな商品の廃番。好きなお店の閉店。好きなバンドの解散。好きな俳優さんの訃報。「ああ、あのとき○○しておけばよかった〜!」と思うことってたくさんある。

それは、日常レベルでもたくさん起こる。


#見逃したくないウサちゃん

ヘッダの写真は、わたしが最寄駅から自宅に帰るまでのとある建物の窓枠。ちんまりと並べられているこの子たちのことが大好きだった。特に右端のウサちゃんは最高。くたっと加減といい、この色味といい。雨の日にビショビショだったこともあるし、台風のあと下に落ちていたこともあった。

でも、またこの道を通ると、いつも通りの並び順で「ちょこん」と並んでいて。その風景をとても、愛していた。

先日、ふとこの道を通ると、この子たちはひとり残らずいなくなっていた。ああ、もう会えないんだなあ。

[余談]  こういう、街にひょっこりあらわれるうさぎモチーフを収集して「#見逃したくないウサちゃん」というハッシュタグをつけて、愛でています。


日常レベルの #見逃したくない感情  を掴む

実家の庭の木々を短く切りそろえることになったとき、夜中によく住宅街で挨拶してた猫に会えなくなったことに気づいたとき。大好きな店員さんが店を辞めてしまったとき。リピートしていたトマトパスタの味が変わってしまったとき。

そういう瞬間に、自分の感情を自覚する。さみしいな、とか。好きだったんだな、とか。そしてなるべく、その感情を掴んでおきたい、と思う。ちゃんと何がさみしいのか覚えておこう。好きだって、ちゃんと言ってたっけ、って思い出して見るとか。ひとつひとつ、ちゃんと丁寧に取っておこうと思う。

そしてだからこそ、「今、これは逃したくない」。そう思う瞬間を、なるべく掴んでいたい。


#エンタメも帰り道も同じ

そんなふうに思うようになったのは数年前。「今」「この時代に」「今のわたしが観る(体験する)意味」を、考えるようになった。ポケモンGOもやったしシン・ゴジラもララランドも観に行った。前のわたしなら、多分バカにして観に行かなかったと思う。「今」の力に圧倒されてる。

エンタメも帰り道の風景も、きっと一緒。わたしは今、見逃したくないものばかり。

「カメラを止めるな」の2回目を明日観に行くのもそのひとつだし、劇場の雰囲気とか、その帰り道の空気とか、何気ない風景をちゃんと掴んでいたいと思う。

うれちい