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僕とインテルと長友佑都

僕が長友佑都とインテルを知った日

今日からちょうど9年が経つあの日、僕がインテリスタになった日と言っても良いだろう、今日は僕がインテリスタになったきっかけと長友佑都という選手について話したいと思う

2011.3.11、僕は仙台で東日本大震災を経験した、あの日のことはあまりに激動の日々で鮮明に思い出せる。僕は仙台の内陸で被災したため、テレビで見るような津波などは経験せず、電気、水、ガスのライフラインが全て消え、家具がいくつか破損くらいの被害で住んだ、津波の被害はその後テレビで見て知った。

当時の僕というのはまだ中学生くらいなものでネットも全く知らずスマホも持っていなかった(そのためかデマに踊らされることも全くなかった)ため情報はテレビかラジオに頼るしか無かった、電気は早めに復旧したのは運が良かったものの、ガスや水道は2週間以上復旧しない状態が続くような日々で、情報を仕入れるテレビも同じような報道、CMばかりで今では想像出来ないくらい異常な状況だったと思う。

水もしばらくは配給の水、食料はスーパーの前などで売られていたサバの缶詰などを毎日買ったり、パン屋に毎日行ってその日の食料を確保した、ガスもつかなかったので水は配給と川の水をろ過してそれをガスコンロやオーブンで温めるなどして温水を作り、それで風呂代わりとしていた、今考えればどうやって当時生活してたのか見当も付かないくらいにはサバイバルな生活だったと今振り返って思う。

そんな生活の中である日、CMで長友佑都を始めとした日本代表の選手たちが励ましているCMを見た、それが僕が長友佑都という選手とインテルというチームを知ったきっかけである。当時の僕はサッカー部に所属していたが、サッカーにはまるで興味がなく、先輩のいじめによりサッカーを嫌いになりかけていた。そんな僕が1人のサッカー選手とチームに惹かれる事になったあの瞬間を今でも忘れない

被災からしばらく経ち、全てのライフラインが復旧し、またいつもの生活が戻った後、僕はあの時CMで見た長友佑都という選手とインテルというチームについてちょくちょく気になるようになっていた、当時はまだ熱狂的なインテリスタというわけでもなく、テレビでインテルのハイライトがあるとそれに噛み付くように見るようなファンだった

長友が綺麗なクロスでアシストする度に喜んでいたことを覚えている、当時の僕はとにかく長友だけをピッチで探し、長友だけを見て、長友の活躍を期待するような長友ファンだったという方が正しいかもしれない

高校生になってからはサッカー部は辞めたもののそれでも現役以上にサッカーに熱狂していた、さらにスマホを手に入れてそこから色々な情報を集めた、その時に長友佑都のプレーをYouTubeで見たり、インテルの歴史、当時のチームについて調べた、その時になって初めて長友佑都という選手がどれだけ偉大な選手であるかという事も合わせて知った。モウリーニョ政権でスクデット、コッパ・イタリア、チャンピオンズリーグの三冠をセリエAのチームで唯一成し遂げた伝説のイレブン、そんな当時世界一のチームであったインテルに長友が加入し、そのレジェンド達と一緒にプレーしていた事を知った。その凄みはインテリスタになった今でも日に日に増していくものだった

僕はとにかくインテルの情報を集めたかった、Twitterのアカウントも作ってとにかく調べた、長友の活躍をより詳しく知りたかったから、Twitterとは凄いもので僕の期待通りにインテルの情報が入ってきて長友もインテルもより詳しく知ることが出来た、長友について調べていく度にインテルについての情報も合わせて入ってくるものだから長友以外のインテルの選手も好きになった(長友と特に仲の良かったスナイデル、シャキリ、カッサーノとか)長友を追っていくうちにいつしか僕は長友だけでなく、インテル・ミラノにも魅了されるようになった。長友佑都が僕とインテルを繋げてくれたのである

僕が応援していた頃のインテルは所謂暗黒期と言われ、戦力も順位も高いとは言えないチームだった、それこそ長友が加入した頃の戦力とは見る影もないチームだったのだろう、僕はその頃、長友がピッチに立ち、青黒のユニフォームを身にまとい、ただプレーしているだけで嬉しかったので、暗黒期の苦しみみたいなものをあまり感じなかった。確かに弱かったが、弱いなりにもみんな魅力的で才能のある選手達が多くいたからかもしれない、長友以外にも魅力的な選手がたくさんいたからこそ僕は今でもインテリスタをやっているのだと今となっては思う。

僕はあの日から長友の活躍を食い入るように見ていた、長友佑都がCMを通じて被災地を励ましてくれた事、インテルで度々スタメンを外されてもひたむきに努力し、シーズン終盤にはスタメンを取り返していた事、ブラジルW杯で屈辱的な敗退をした後、ロシアW杯で成長し、日本をベスト16に導いた事、イタリアに長く居すぎたおかげで「合意」という日本語が出てこず、イタリア語で会見していたこと。それら全て引っ括めて僕は長友佑都という選手を心から尊敬し、今でも大好きな選手であることに揺らぎはない、後にも先にも、彼のように愛される選手は現れないと確信している。家に飾ってある長友のユニフォームは僕の一生の宝物だろう

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こんな日にこんな事を言うのは不謹慎かもしれないが、僕はあの時被災したからこそ長友佑都を知り、インテルを知り、ここまでサッカーに熱中することになったのである、それは僕にとっては幸運だったと思う。もしあの時全く関係の無い地域にいたら僕はインテリスタにはなっていなかっただろう、本当に人生何が起こるか分からないなぁとまだまだ青二才ながら感じているこの2020年である

現在長友はガラタサライに所属している、どうやら現状は芳しくないようであまり試合にも出れていないようだ、でも僕は知っている、長友佑都という選手は簡単に腐らない選手であること、誰よりも強い選手であること、まだまだ成長する選手であることを、彼がこれからどんなキャリアを歩んでいくのか、僕はその行く末をこれからも見守っていくだろう、僕とインテルを繋げてくれた偉大な選手に向けて

FORZA NAGATOMO!!!!



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