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「手を挙げる」ということの意味

授業中、発言したいときは手を挙げるというルールがあります。手を挙げる、ということは先生に自分が話したい思いをアピールする意味合いもあります。だから、すごく話したい子は、真っすぐに手を挙げる、手を前後に振る、立ち上がって手を挙げる…などします。
先生が見てくれると思うから、こうしてアクションをつけて手を挙げるのだと思います。

私が2週間、長期の研修で筑波大学附属小学校に行った時のことです。
大きな講堂で、国語の白坂先生が言葉の面白さについて、スライドを使いながら話していました。全校児童960名。1~6年生が分かる内容で、なおかつ面白いと感じさせる話をしなければなりませんので、ハードルはかなり高いと感じました。それなのに、子どもたちは前のめりで話を聞いているのです。ユーモアもあり、体を使った活動もあり、興味を引く意外な話もありました。子どもをひきつける魅力的な話でした。
私は、講堂の一番後ろに座っていました。白坂先生はステージの上、かなり遠い場所にいます。先生が質問した時のことです。今も忘れられない光景でした。

講堂の最後列のはじに座っている女の子が、手を真っすぐに挙げているのです。
絶対に当たるわけはありません。白坂先生から見えてもいません。それでも、彼女は手を挙げるのです。当然、ステージ前の子が指名されました。女の子は、すっと手を下ろして隣にいる友達に自然な感じでなにか話しかけていました。
私は驚きました。当てられないとわかっていても、手を挙げているのです。先生が見てくれていると思うから手を挙げるのだと思っていたのですが、彼女の場合はそうではなかったのです。
当てられないとわかっているのに手を挙げる、ということはどういうことなのか?
女の子に聞いたわけではないのでわかりませんが、私の印象は「話したいことがある→手を挙げるということが、ごく自然に行われて習慣になっている」ということです。
筑波大学附属小学校という場所で、魅力的な授業を毎日受け、考えて話し合うことが習慣化されると、相手がどうであれ、自分がどうすべきかの方が大切ということになっていった、ということだと思うのです。
私も、こんな子どもを育ててみたいと思ったのでした。

                        三浦健太朗

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