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「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」(2018年)

テリー・ギリアムが執念で完成させたような映画で、さすがに完成度が高い。
本作はセルバンテスの「ドン・キホーテ」を映像化したのではなく、ドン・キホーテに憑りつかれた人々の物語だ。

主人公のトビーはCMディレクターで、「ドン・キホーテ」に執着している。現在もスペインの田舎で「ドン・キホーテ」を題材にしたCMを撮っている。大学の卒業制作でもドン・キホーテの映画を撮ったほどのマニアだ。
撮影はうまくいかず、息抜きに近所の村を訪れた。そこは卒業制作で映画を撮ったときの村だった。映画に出演してくれた人々の消息を確かめると、一様に不幸になっていた。
中でも、ドン・キホーテを演じた靴職人の老人は、自分がドン・キホーテだと信じていた。なし崩し的に、トビーはサンチョの役割を振られて、老人とともに冒険の旅に巻き込まれていく。

トビーを演じるのがアダム・ドライバー。最初に観たのが「スター・ウォーズ」だったのでイマイチ印象が悪かったのだが、その後に観た「ブラック・クランズマン」などの演技で、今ではすっかりファンになった。どんな役でも過不足なく演じることができるすばらしい俳優だと思う。

この映画は、アメリカ人であるトビーがスペインの片田舎の人々の人生を壊してしまうという点で、アメリカの侵略映画として観ることができる。

もしくは「ドン・キホーテ」という虚構が人々に憑りついてしまうという意味では、ギリアム自身もそうかもしれないが、虚構に憑りつかれた人々が現実に戻れなくなってしまう映画ともとれる。
つまり、本作のオリジナリティは、フィクションは人を楽しませるが、あまりにも強大なフィクションは人を狂わせる、というテーマにある。

映画産業は金がかかる。スポンサーが必要だ。スポンサーを獲得するために、人は自分を欺いて、演じなければならない。そんな世界に身を置いていると、人は破滅してしまう。

本作は、虚構と現実が絶妙に混ざっている。ギリアム映画の学芸会的なノリもあって、そういうところは個人的にはあまり好きではないが、本作を観ると、ギリアムはずいぶんとおとなになったな、と感じた。自分のファンタジーを映画化することにすべてを注いでいた印象だったが、現実を反映するようになってきたと思う。

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