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「犬ヶ島」(2018年)

ウェス・アンダーソンのストップモーションアニメ。
映像としてはよくできているが、なにを伝えたくて作ったのか、明確に読み取れない。

おおまかなストーリーは下記となる。
日本のウニ県メガ崎市で犬の伝染病「ドッグ病」と「スナウト病」が蔓延しはじめて、メガ崎市の小林市長はすべての犬を「犬ヶ島」に隔離する法案を通す。かくして、すべての犬が送られたのだった。
6か月後、犬ヶ島にひとりの少年が訪れた。彼は小林アタリ。小林市長の遠縁の親戚で、スポットという自分のボディガード役だった犬を探しに来たのだ。

メガ崎という地名は長崎のことだろう。
飛行機が墜落するシーンで、キノコ雲があがるのは、原爆を意識しているのだろうか。そうだとしたら悪趣味だと思う。

伝染病で犬を隔離する、という設定から、「コロナ」を連想するが、コロナは2019年12月1日に中国の武漢で最初の感染者が出たとされている。だから違う。
では他の角度から「なぜこの映画は作る必要があったのか」ということを考える必要がある。
本作では「犬は人間に服従するものだ」という言動が何度も出てくる。これは「ブラック・ライブズ・マター」を意識しているのだと思う。
記憶に新しい「ジョージ・フロイド事件」を発端とした大規模なデモが行われたのは2020年からだった。ただし、SNSなどで「#BlackLivesMatter」というハッシュタグが使われ始めたのは2013年からとされている。本作の製作は2015年に発表されているので、このムーブメントが意識されている可能性はある。
黒人の人権問題を意識した設定を、アメリカの属国と揶揄される日本を舞台にして作るということは、結局のところ、日本人はそういう扱いなのかと、暗澹たる気持ちになる。

本作の製作費は不明だが、興行収入は世界で98億円。日本では1.8億円。ざっくり日本での売り上げは2パーセント弱といったところ。ハリウッド映画において日本はさほど小さな市場ではないと思うが、このパーセンテージが多いのか少ないのかはわからない。

少し話がそれるが、娯楽が多様化する中で、映画産業の売り上げって、娯楽全体のどのくらいを占めているのだろうか。「大ヒット!」とか「新記録樹立!」といったコピーを目にすると、そんなことを思う。そして、インターネットというテクノロジーによってさまざまな情報にアクセスできるようになったというのは技術的にはそうかもしれないが、パーソナライズ化されて、見たいものしか提案されなくなってきているのも事実なので、容易にエコーチェンバーが起こる。
このような状態なので、結果的には「人は自分が見たいものしか見ない」という結論に落ち着く。
世界は進歩したが、人間は進歩していないのかもしれない。もしくは、進歩できる人は少数派、というべきか。受動的に情報を受け取るだけでなく、能動的に生きることを心がける必要がある。






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