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ゴンドラ

シンプルなストーリーだが、非常に奥行きのある映画だった。

こういう映画を観ると、自分は本当にきちんと生きているのだろうか、と疑問を抱かざるをえない。そういう疑問を抱くということは、自分で思っているほど真剣には生きていないのだろう。

映画に話を戻すと
過去の積み重ねによって今の自分が形成される。その過去はけっして恵まれたものではなかったにしても、人はそれに執着してしまう。
作品のテーマではないかもしれないが、小生はそのような思いに駆られた。それはこの映画を観ていて、いろいろと自分の過去を思い出したりしたからよけいにそう感じたのかもしれない。

なぜ映画を観ながら自分の過去を思い出したりしているかというと、本作がそういう構成になっているからだ。

幻想と現実がいりまじっているシーンと、現実を幻想的に映し出すシーンが入り組んでいる。ここで思い出すのは、「無」という本で読んだ「人は自分でつくりあげたフィクションの中で生きている」というくだりだ。「無」では、幻想と現実の境界線があいまいである、という話を書いていたわけではなくて、「友達に声をかけたけど無視されたのは、自分が嫌われているからではないか」といったような、思い込みの話だったが。

しかし、我々がマインドフルネスに現実を生きているかというと、そんなことはなくて、いろいろなことを思い出したり、想像したりしながら生きている。

この映画は、そういう断片が有機的につながっている。つまり、それぞれの登場人物の人生が、背景を含めて、全部丁寧に描かれているのだ。

だから、どう考えても自分はこの映画を理解できていないという気になるのは当然かと思う。他人の人生を完全に理解することなどできないのだから。

過去はつねにそばにあり、消し去ることはできない。しかし、それでも人は生きていかねばならないのだ。という想いが伝わってきたように思う。もちろんこれは小生が勝手に解釈しただけかもしれないが。

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