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恥ずかしいだけのガチポエム

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素敵な写真とセンチなポエム。現実の厳しさに疲れた心を癒やされたいあなたに贈る、こつこつと積み上げていく世界。 心のどこかがほんのりとあたたかくなれば幸いです。 がんばって、だいた…
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2021年5月の記事一覧

光と闇

光と闇

昔ながらの街路灯が光と影に覆われている。光を放つ存在が、闇に包まれているわけだ。そんな光景を見て、ぼくはなんだか不思議な気分になる。

外食

外食

たまに外食する。外食はある種の体験、冒険。あたらしい自分になるための投資。そんなに大袈裟なものじゃない。自分への投資はいつもやるものだ。時間の使い方ひとつとってもそうなのだ。だから、外食も。

心に決める

心に決める

きみとかわべりを歩く。身近な土地ではないけれど、旅行というほど遠くもない土地。きみの実家の近く、行ったことのない場所。きみの実家にはよく顔を出すけれど、ほとんど日帰りで、必要があれば泊まるくらい。だからほとんど知らない土地。だから楽しい。すべてが発見だ。ぼんやりしている隙がない。いつもこんな感覚でいきていこうと、心に決めた。

黄河でいいのかな

黄河でいいのかな

巨大な川を見ると中国を思い出す。そう、黄河だ。行ったこともないのに。ガンジス川やアマゾン川ではなくて、黄河。
アマゾン川はジャングルの中を曲がりくねって流れていく。だから、日本の川とは見た目が違う。ガンジス川は、たくさんの人で賑わっているイメージ。だから黄河なのか。消去法で選んでしまっていいのかな。

懐かしい

懐かしい

都電はいつ消えて無くなるか気になる存在だ。つまり、それだけ古いということ。そして、かぼそい。だから応援したくなる。独特の存在感。そこにいるだけで、タイムスリップできる。子ども時代に。だけど、まだ子どものころは、都電を知らなかったんだけど。

看板の味

看板の味

看板をつくるのはセンスが必要だ。かならずしも洗練されている必要はない。もしかすると当時は洗練されていたのか。もしくは、本人は洗練された看板をつくっているつもりだったのか。とにかく、時代を経て看板は味が出る。渋くもなるし、おもしろくもなる。

青空のラーメン

青空のラーメン

夏は暑いからラーメンは食べたくないんだけど、からっと晴れた夏みたいな日なら話は別だ。
気になっていたラーメン屋に吸い込まれていく。しぶしぶ付き合ってくれた彼女もいつしか楽しげに、生ビールを飲んでいる。そんなとある休日の話。

センチメンタルの味

センチメンタルの味

センチメンタルな風景はだいたい孤独だ。華やかってことはあまりない。静かで、さびれていて、ひと気が少ない。その逆もあるかもしれないけれど、見たことがない。だから、センチメンタルはひとりで噛み締めるのが美味しい。

出自というやつ

出自というやつ

牧歌的な風景を眺めていて、なごむ。ただ、こころのなかが全部牧歌的になるわけじゃなくて、どこか都会にいる気分が抜けない。自分の出自はどこへいってもついてまわるのかもしれない。

世界は今日も

世界は今日も

遠くに街が見える。ぼくらはたたずんで、ビル群を眺める。
「この世界には人が多すぎる」と彼女が言った。すごいことを言うのかと思って待っていたが、なにも言わない。
「世界の人口を半分にしなくてはいけない、とか言わないの?」
ぼくが言うと、彼女は呆れて答える。
「アニメの見過ぎだよ」

なつかしいくうき

なつかしいくうき

田舎の道路は都会のそれとはどこか違う。そこには無機質さと有機質が混在した、硬くて柔らかい、冷たくて懐かしい空気がある。ぼくはその空気を撮影した。

クサイキレ

クサイキレ

クサイキレというものを言葉では聞いたことがあるが、実際に体験したかどうかはわからない。
植物の匂い。この場合は臭いに近いのかもしれない。とにかく、植物のにおいなんだろう。その言葉はある種の憧憬をまとっている。ぼくはクサイキレという言葉を味わい、子ども時代を思い出す。具体的なあの日、あの時、ではなくて、子ども時代のイメージを思い出す。思い出すのではなくて、想像する、というべきかもしれない。夏の草むら

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謎は謎のまま

謎は謎のまま

ながく続くなにかの道。道、ではないのか。ぼくらは謎の物体を見上げて、見惚れる。
なんのために作られたのかすらわからない。その、わからないというのがいい。謎は謎のままが美しいのだから。

あの日の階段を

あの日の階段を

古い階段は、魅力的だ。それはどこに続いているのか。確かめたくなる。その階段のある風景を記憶に留めたくなる。記憶の中で風化して、いい味わいになるだろう。