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同気質の二人


最近世の中では、繊細な気質を持つ人達が一定の割合で存在する、という事が言われている。

その人達は感覚がとても鋭敏であるという。
感覚を通じて、鋭い刺激を常に受けて暮らしているため、非常に疲れ易くまた、回復に時間がかかるという。


私は其の一人である。
わが子もまたそうである。

子と同じような繊細な気質を持ち、日々を生きる中で身体も心も大きな負荷を感じる私だからこそ、其の面において子のことを今わかってやれるのは今現在私一人なのだ。

特に、家族親族という近しい人間関係にあっては其の理解を得るのは難しいと感じる。
此れまで私自身の、どのライフステージを振り返っても、日常生活を送ることがきついとき、生活に誰かの助けを必要とする時ほど、其れは理解されなかった。
違いを感じて少し理解していた人も、ここぞという時には離れていった。

「甘えてる」と批判され、突き放される。其れが私にとっての現実であった。

ただ一人で耐え忍んで、社会生活の難しさも一人で抱え、結婚生活も非常に困難であったと言わざるを得ない。


子が登校しなくなって直ぐのときには、私も子の自立心に訴え厳しく指導しようとした。
結果的に、精神的に追いつめてしまう事があり、このままでは子の唯一の居場所である我が家でさえも、居場所ではなくなってしまうと危惧してから考えを改めた。

そして月日を送るうちに、子の、少なくとも身体に起きている事を現実的に知る事が出来るのは私であり、子は決して怠けたり、甘えたりしているのではなく、ただ動けなくなっているという事実を冷静に受け止める存在が必要なのだと理解した。

身体的には大変ながらも、此れまでの集団生活、学校生活に頑張って臨んできたのを肌身で感じている。
今も出来るなら「普通」にありたいと思う子の気持ちも知っている。


其のような中で出来る事を探って来た。
私自身もまた、此の気質から逃れたわけではないので、自分自身のペースを探り、ケアしながらの同時進行である。

ただ病気を疑うだけの家族などの無理解は遠ざけて、そっとしておくように伝え、此方のペースでやらせて欲しいと伝えた。

とは言っても、外出しない事で健康を損なうリスクには常に晒されているから其方の注意が必要だし、私自身が必要とする食事のパターンと、育ち盛りの子の必要とする食事は違うので、此処のところをフォローするのは現実的に言って大変だし常に改善を迫られる。

令和二年五月頃から子は登校しなくなったのだけれど、しばらくは食事も少し少な目を望んでいた時期だった。
令和三年十一月現在、此の頃は必要な食事量が増え、健康的な状態に戻って来ている。
私にとっては食事の用意が身体的に大変だ。なので経済的には負担ではあるが、無理せず宅配を利用する機会が自然と多くなる。
頑張れるとき、頑張りたいときには買い物をして、調理など出来るようにしている。
この状況を子と共にユーモアも交えて楽しむように心がけているところだ。


もう一つ大きな課題がある。
実際に学校へ足を運ぶことは出来ないが、幸いオンラインで授業を受けることができる。
しかし此処にもままならぬ事があって…体調がマシになったタイミングで繋げようとするのだけれど、繋がらない事が多い。
学校と繋がる機会があれば、学習意欲も刺激される事が期待されるが、そのチャンスも不意になっているのが現状…
若いうちに覚えられるものが、今出来ない…

私が子の先生に、という解は、詳しくは話したくないところだけれど早々に消えている。
…子に対しては鬼教師になってしまうとだけ言えば十分かと思う。

自主学習ができるよう、働きかけてはいるが…

幸いにも、身体をケアする面で一人、良い先生のサポートを受けることが出来ている。

此のように、繊細な気質を持った者達二人が、落ち着いた気持ちで向き合っているところです。

その昔、私の成長期にはほとんど顧みられる事のなかった、繊細な気質を持つ人の生活の仕方、ひいては仕事の仕方を私達は実体験として歩んでいます。

一方で、繊細な気質を持つ人は…と、一口には言えないと思っています。
様々な生き方をされている人達がいるはずです。
此れまでの身近な見聞においても、幾つかの例を知る事ができました。

私と子は、其の中の一例、二例に過ぎません。
と同時にかけがえの無い一人一人、と感じています。

私は勇猛果敢に、元気いっぱいに活躍したかった。
ずっとは無理があっても、休み休みであれば、其れが可能であるという希望を持っています。
ひょっとしたら、変身するかもしれないとすら思っています。
夢があるから、希望を持てるのかもしれません。


此の話は、なるべくしないようにしています。
其れは幾つかの理由によるものです。

今どうしても、話しておく必要があるような気がして、致しました。

私個人としては、早く此の記事が埋もれて見つからなくなる程に、本来の表現活動を充実させて、仕事としていけるようにと思います。

ただ、今はどなたか此の話を知ることが何かの足しになる人がいるかもしれないということと。
私にとっても無視できないポイントであり、昨今目を向けられている事であり、長い目でも検証なども必要なことであると考えています。

そんなわけで、衆目のもとにお話しする気になったのかもしれません。

単純に言えば…
こういう人もいる、ということを発言しておこう。そんなところかもしれません。

長くなりました。
読んで頂きまして、ありがとうございます。
何か参考になるところがありましたら幸いです。

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