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かけがえのない人

地域のご縁を頂いた。

その人はまさに「お母さんはお日様」というような人で、翳りのあるところにも光を当てるだけしてサッと去り、また日が昇るようにして現れる。

悩み多き私の様子を気にかけて…そして地域の仕事に用立ててくださった。

大変に情に厚い人なのだ。
それを初めて知ったのは、初めてお会いしたときだった。それは山笠の炊き出しのための話し合いに参加したときのこと。

私は博多のお祭り博多祇園山笠の文化的な価値、子供や、人を育て世代間で循環して行く様に惚れてここに来たのだと自己紹介したのだった。
彼女は真正面からしっかりと受け止めてくれた。心から歓迎する旨を伝えて貰うた。

ここに来た経緯を話した際の反応は、人それぞれだったが、やはり山笠を心から大切に思い、支えておらっしゃるごりょんさんの想いというものはあるようで。
その中でも、彼女は目線が高い人なのであろうことが、言葉と行動の端々から感じることがあった。
様々な人がいて、それぞれに家庭の事情など抱えていることや、それぞれの人生の今や行く末を見ながら、地域の近い関係として楽しく助け合うことを信条としている人なのだということが、お付き合いしてきた中でわかってきた。
地域の美化のためにも大変なご尽力をお仲間とされて来た。
昨日はその具体的なエピソードを聞き、唸らされてしまった。

二年ほど前のこと。
私が大変な状況にあると知り、考え抜いてお節介にしかならないかも知れぬとわかって、その上で言葉をかけてくださった。

私自身は、辛いことなどあっても、人に細かく話したりすることがあまり無い。
だからこの度も感謝しつつも、こちらから相談したりすることはなかった。
ただ、大丈夫、心配しなくていい、と確信を持って言ってくれた短い言葉が、私の心の支えになっていた。

昨秋のこと。
大切なお母様を亡くされていた。
介護をして、最期は人の手を借りることを学ばれながら、見送られたとの話だった。

昨夜は、直接お会いして話す機会があったので、詳しいお話の一部を聞くことができた。

嫌になるほど厳しかったお母様のこと。
早くにお父様を亡くされた際には、一人娘として難局を母子で乗り切られたこと。

厳しくきちんとされていたはずの人が、赤ん坊のように戻っていったことを、お二人で一つ一つ受け止められたこと。おそらくは受け止めきれぬこともあっただろうと…

お母様の最期の暮らしぶりと、互いに心寄せ合った様。

思いやりの心が、母から娘へとしっかり受け継がれたことが伺い知れるお話だった。

遺品となるものの整理をすっかり済まされていたことへの驚きと、最後まで学びを授けて行かれた様子。

今も、まるでお母様が生きているかのように毎日を過ごされていること。

泣き上戸で、笑い上戸の私を心から泣かせ、笑わせてくんしゃった。

彼女は人生の先輩だけれど、私のことも友達と言うて、その友達が辛そうにしているのは黙って放っておけないと…

彼女の言葉が、本当にありがたかった。
苦労を経験をしてサバイバルして来て、常に周りの人を元気づけて来られたからこそ、通じる心だった。

今は亡き、かけがえのない人を想いながら生きている彼女のことを、私はわかる気がして涙が止まらなかった。

私も、今生きていてもそばにはいられない、かけがえのない人のことを、時には亡霊のように感じつつ…その人を想いながら日々を生きてきた。

その気持ちを、私の心の底で共感して、そしてやはり私にとってかけがえのない人なのだと温かくじわりと感じることのできる、よい時間だった。

そばにいても、お互いに亡霊のようになってしまったりもする、我が子との関係を滑稽に思い、相変わらず笑ったりもして。

そして改めて思うことがある。

我が子に対しても、自分にも、誰に対しても、厳しすぎた私の一面を、ある程度は捨てざるを得なかったことは、多分これからの人生にはよい風となるだろうと思う。

地域に関わるひとつの役を、先輩から引き継ぐことになった。
私にどれだけの目配りができるか、また的確な連絡や相談ができるかわからないけれど…頼りになる先輩がいるからなんとかなるだろう。

先輩のようにはできなくとも、信頼し任せてくださったことは心から嬉しかった。感謝している。


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