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短歌新聞『うた新聞』感想文

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短歌新聞『うた新聞』を読んで、好きな歌の一首評をしたり、気になった記事の感想を書いたりしています。
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記事一覧

『うた新聞』2024年8月号

①田中拓也「読み方を教える」 〈私も短歌の創作を主にした授業を行ったことは何度もある。だ…

川本千栄
2週間前
5

『うた新聞』2024年7月号

①『私の暮らすまち』小西美根子「仁徳さんの街」 〈仁徳陵は三重の堀に囲まれ、宮内庁が管理…

川本千栄
1か月前
3

『うた新聞』2024年6月号

①高旨清美「表現の求道者・雨宮雅子」 〈雨宮の聖書と向き合う姿には一貫して真摯さがあるこ…

川本千栄
2か月前
3

『うた新聞』2024年5月号

①嶋稟太郎「子規と人麻呂」 玉城徹の歌の読み、評論について。 〈(子規の「瓶にさす〜」の歌…

川本千栄
3か月前
5

『うた新聞』2024年4月号

①前田宏「わが父 前田透」 ジャスミンの花の小枝をささげ来てジュオン稚くわれを慕へり 前…

川本千栄
3か月前
5

『うた新聞』2024年3月号

①今井恵子「結社の意義」 〈一般に近代短歌のはじまりと考えられる「浅香社」結成にあたって…

川本千栄
4か月前
5

『うた新聞』2024年2月号

①大辻隆弘「自己志向的な「の」」 『まひる野』1月号の北山あさひの時評から終助詞の「の」について考察した文。北山が「の」に「困難に立ち向かおうとする女性の意思」を読み取ることに同意し、なぜ「の」にそうした働きがあるかは、自己志向的だからと分析する。  〈三枝令子は「話し言葉における文末『の』の機能」のなかで、文末の「の」の起源を、以下のような格助詞「の」の準体言用法のなかに見出している。〉 〈文末の「の」は、このような準体言の「の」の進化形である。〉  体言化、か。だから状況

『うた新聞』2024年1月号

①田村元「AIはどぶに落ちない」 〈歌人のエッセイや日記などから、興味をそそられたエピソー…

川本千栄
6か月前
9

『うた新聞』2023年12月号

①今井恵子「歌壇史と短歌史」 〈『北海道歌壇史』が地域へ目を向けた空間的な広がりをとらえ…

川本千栄
7か月前
4

『うた新聞』2023年11月号

①今井恵子「作家脳と評論脳」 〈釈迢空のいう批評の要点は(…)③作者本人にさえ意識されて…

川本千栄
8か月前
1

『うた新聞』2023年10月号

①高貝次郎「思慮深かった平福百穂」 〈アララギの著名歌人は悉く百穂忌歌会の講師として招い…

川本千栄
9か月前
1

『うた新聞』2023年9月号

①山本登志枝「木俣修・没後四十年」 起ちても濤(なみ)かがみても濤どうしやうもなくて見て…

川本千栄
10か月前
3

『うた新聞』2023年8月号

①舗装路の隅の小さな水溜まりハコベの花が水中に咲く 嶋稟太郎 雨の後と取った。舗装路と言…

川本千栄
11か月前
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『うた新聞』2023年7月号

①田中拓也「信綱の教育観」  佐佐木信綱の多くの業績の中から「教育者」の側面に的を絞った論。歌人、日本文学研究者としてとはまた違う面で興味深い。知らなかったエピソードばかりだ。 〈(小野寺百合子は)信綱に弟子入りをし、歌の稽古を受けるようになった。その時の指導は毎週土曜日に信綱宅で美濃紙に記した十首の添削を受けるというものであった。〉  ある時代まで普通であった一対一の歌の稽古は、旧弊であるとか宗匠主義であるとか、批判されがちだ。考えてみれば、佐佐木信綱に週一回、一対一で歌を