『うた新聞』2023年9月号
①山本登志枝「木俣修・没後四十年」
起ちても濤(なみ)かがみても濤どうしやうもなくて見てゐる高志(こし)の冬濤 木俣修
〈現実の冬波のうねりを感じさせる調べが(…)人生を生きる人間の心のうねりのようなもの、叫びのようなものとなり迫ってくる。〉
この歌、何だか現代的な感じがする。『呼べば谺』(1954)の歌だから、今から70年近く前の歌だが、初句六音、三句六音、三句から四句への句跨り、句跨り部分の口語体、三回繰り返される「濤」の語、などから今っぽい感じを受けるのだろう。この