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星の定義

「亡くなった人は、夜空に輝く星となり、いつでも私たちを見守ってくれているんだよ」――最初にそんな思想を思いついたのは、一体どこの誰だったのだろう?

星にひとつひとつ名前をつけていった人がいる。無造作に散らばった星々を線でつなぎ、「星座」を生み、物語を創った人がいる。流れ星が流れているあいだに願い事を唱え始めた人がいる。流星は誰かが逝くときに流れるものだと言った人がいれば、逆に新たな命の誕生とともに流れるのだと言った人もいる。

遥か昔から、世界中の人々が夜空の煌めきに魅了されてきた。どんなに科学が発展して星の正体がわかっても、人類が宇宙に飛び立てるようになっても、星座の神話がただのファンタジーに成り代わっても、流星群の到来を予測できるようになっても――夜空をロマン的に捉える心は、世界から消えることがない。


私が知っている星座は、昔理科の授業で習ったオリオン座だけだ。でも、マフラーに顔を埋めながら見上げた夜空にその星座を見つけると、毎年のことなのに、なんだか嬉しくなってしまう。

都会でも案外星が見られると気づいたのは、ほんの最近のことだった。

通勤路に背の高い建物があまりなく、空が開けている場所がある。仕事帰りにはいつもそこで夜空を見上げ、ふーっと息を吐く。人工的なライトから目を逃し、星々の自然な煌めきに心を休めている。

疲れがたまっていると、いつも亡くなった母を思い出す。


星空と月明かりと街灯が照らす夜は、涙によって眩しくなる。

角膜を覆った水面にたくさんの煌めきが乱反射して、光の波紋が幾重にも重なり合う。都会の夜空も、まるで学生時代に無人駅から見上げたあの空みたいに、うるさいほど美しくなる。

そう考えたら星空は、涙が止まるまでの間だけあの頃に戻れるタイムマシンかな。それなら私は、ずっと泣いていたいな。

もしも本当に母が星になったのなら、そこから私は見えているのだろうか。私からは全然見えない。というよりも、私にはどの星が母なのか、まったく判別ができない。

だから私は独りつぶやく。「私さ、それなりにがんばれているかな?」返事はいつも聞こえぬまま、タイムマシンは正しく今この瞬間に帰ってくる。

でも、最近はそれで良いのだと思うようになってきた。下手に場所がわかってしまったら、私はきっと夜に閉じこもり、軽率に追いかけてしまうかもしれないから。


「亡くなった人は、夜空に輝く星となり、いつでも私たちを見守ってくれているんだよ」――最初にそんな思想を思いついたのは、一体どこの誰だったのだろう?

星はこの手で掴めない。ただ光が網膜を焼くだけで、実体を肌に感じることも叶わない。わからないからこそ人は夜空に魅了され、逝ってしまった人、もう二度と触れられない人――魂という"わからないもの"へと姿を変えた存在を投影する。

そしてその星の光を、陰る心に差しこむ希望と変え、自らは生きていこうと立ち上がる。

最初に「亡くなった人は星になったんだよ」と言った人は、自らを励ますためにそう言ったのか、それとも誰かを勇気づけるためにそう考えついたのか。いずれにせよ、夜のような闇を超えるために星を定義したその人は、きっと優しい人だったのだと思う。

その誰かの優しさに、自らの祈りを託すことにしよう。オリオン座を見上げて、母の声を何度だって想い出す。そのとき心の中で輝くこの光が、きっと母という名の星なのだと考えながら。


04 写ルンです (18)


 

良いんですか?ではありがたく頂戴いたします。