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「デジタル触って春うらら」

2020年初旬 
一つの区切りをつけて旅にでる。そして、コロナになって死にかける。
2021年
目的が見つからなくてうずくまる。
2022年
上京のワクワクと挫折。
2023年
時代の波が指からすり抜ける。
2024年
デジタルな振る舞いに出会う。


パソコンを触るのは好き。
でもやれることの限界と、やりたいことの可能性がうまく噛み合わなくて
ずっとイライラしていた時に、友達の紹介で参加。



最初の講義で感じたこと。
「あ〜、手取り足取り教えてくれるわけではなくて、自分との戦いだ」と
確信、同時に焦る。いつも自分で自分を裏切って諦めてきたから。
2回目の講義で課題達成で可能性を見つけなければならないことに気づく。
3回目の講義でシステム的な流れを理解し始めた。
4回目の講義で、やっとビデオに続きがあったのかと気づく。
じっくり見ればその課題がわかりやすくクリアできたことに。。。。
いつもそうだ。
テストの終わりがけに問題の意図がわかるとか、人より理解するのに時間がかかる、情けない。結局4週間が過ぎ、あ、あ、あ、あとちょっとでもう第2タームなのか?という焦りと絶望感。

しかし、課題のプレッシャーはあるものの、いつもの「この辺でまーいっか」という諦めの気持ちは湧き上がらない。眠たくもならない。むしろ、もうちょっと、もうちょっとと沼に落ちる。
新しいアプリを触るのが楽しい。
壁にぶつかると「なんでっ」と疑問と答えを求める。

そして、少しずつ
やれることの限界と、やりたいことの可能性見えてきた。
むしろ、『私でもできる?』と思えるようになってきた。


3月に入ると自分の仕事が忙しくなってきた。
あれも、これも、これも、あれも。余裕がなくなる。
課題に取り掛かれる時間ある?週末にやれる?


いよいよ最終課題のピッチ提出に向けての説明を聞く。
先輩たちの動画を見て、こんな課題やった?これ、できるの?
仕事も追い込まれる。
無駄な時間は命取り。
ピッチは出来るだけ効率的にできるもの。
課題は寅一本!


Adaloのビデオを見て思う。
これで「寅」が作れる。
勘違いから始まった地獄。
「効率的に」を念頭に、サンプル動画を真似しよう。

取りかかってむかえた最後の講義。
火曜日はなんとなくわからないことを聞いて
日曜日までに完成させる。やれるのか?
サンプルを触り続けても、結局自分のやりたいところに辿り着けない。


土曜日の深夜。
どこで判断する?
一旦全部やめて、1から作り直す?
作業に使える日程はあと2日。
発表用のビデオに仕上げるのは1日でできる?
やる?諦める?どうする家康ならぬ、どうする知寿子!


やる!
今日なら徹夜可能。1から作り直す!


4月6日
素敵なご褒美が頂けました。
諦めることに慣れてた自分から
達成感と幸福感に触れることができた。
本当に嬉しかった。


翌日花見に誘われ桜に触れた。
80代、人生の先輩方と話をした。
「あなたはまだ若い。だから夢を掴みなさい。掴みとりなさい」
桜が揺れた。
春うらら。








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