女神の仮面/5.新たな使命

ラカンカは一時もしない内に見習いを卒業していた。
前代未聞の早さで昇級し、土産話を持ってくる。
その一方で、街を覆う靄は濃さを増していた。
不安が民を追いつめ、街中が暗く沈んで行く。
「兄貴!」
その日も弟は、何の前触れもなく帰って来た。
よほど歓喜しているのだろう。エントランスに入るなり、見境なく叫んだ。
「ついに師匠だ!」
診察に集中していた僕は、客と共に振り返った。
「こら、仕事中だ…!」
躊躇わず睨みつける僕に、弟は肩を竦めた。
しかし、驚いたのはそれだけではなかった。
ラカンカの後に続いて入って来たのは、マントを纏った大きな男…。
彼は玄関を潜るなり、漆黒のフードを外した。
その下から零れ落ちた、灰色のまだらな髪。
端正で隙のない鋭さを醸した、あの男だった。
僕は暫く呆然と見入っていた。
目立ちすぎるその容姿に、来客達も目を白黒させている。
「それならば、待たせてもらう」
男は端的に言い放ち、無遠慮にホールの奥へと進んだ。
なんだ…。
「バージノイド様だよ。兄貴に大事な用事があるんだって」
小声で耳打ちしたラカンカは、その後を追って行った。
やはり、彼が灰色の剣士…。
バージノイドといえば、ブロジュ様がもっとも信頼している人物という噂だ。
そんな男が、どうして民家などに…。
勿論、ラカンカが師匠になったことは喜びだ。
しかし、それ以上に、男の用事とやらが気になって仕方がなかった。
早々に仕事を終え、エントランスを見回した。
それを待ち望んでいたのか、ラカンカの方から顔を突き出してきた。
「やったな、ラカンカ」
僕の賛辞に、弟は満面の笑顔を向けた。
「悪いが、館を見せて貰った」
館の地下から出て来たのは灰色の男だった。
僕たちの会話を断ち切り、吹き抜けの二階を見つめた。
「館を…?」不審をあらわにした。
館の主である僕に、断りもなく、どうして…。
「なるほど、なかなか立派だ」
彼は淡々と零し、懐から豪華な巻紙を取り出した。
「読め。ブロジュ様、直々の特命だ」
それは、紅い蝋と糸で厳重に封印された物だった。
蝋に刻まれたブロジュ様の印璽。
見るからに重みのある書簡に指先が震えた。
金縁の上質な紙に綴られた形の良い文字。
僕は急いで目を走らせた。
そこには、簡潔に、要点のみが書かれてあった…。
この館の地下に、一族の屋敷と繋がる<抜け道>を作る。
一族の為の秘密の抜け道。ここが、彼らの避難所として使われるのだ。
「どうして、ここなんだ…」
僕は書から目が離せないまま、問いかけた。
「貴殿の才を見込んでのことだ。これで、<同志>と同等の恩恵を与えられる。異存はあるまい」
バージノイドは、僕の震える手から巻紙を取り上げた。
恩恵…冗談じゃない…。
どうして一族の為に、僕たちが巻き込まれなきゃならないんだ。
恩恵など、いるものか…!
「断れないんだろう…?」
僕の声は酷く掠れ、悪夢のような宣告に朦朧とした。
「断る…」
バージノイドは、目を細めて怪訝に見つめた。
しまった…。忠誠を誓った民にとって、一族の力になれるのは本望。
<断る>という選択肢があるはずもなかった…。
「いや、うちには少々癖のある妹がいてね。それが気がかりなだけだ…」
この男は食えない。慎重に発しなければ…。
「もし断るなら」男はすかさず返した。
「私はおまえを捕えねばならない」
「捕える!?」
ラカンカは一瞬にして蒼ざめた。
「これは<真の名を呼ぶ者>に関する極秘任務だ。おまえが他者に漏らさないよう監禁する。私たちはこれを無事に敢行させる為には手段を選ばない」
脂汗が滲んだ。男の灰色の目が鋭く光る。
「厳しいな」僕は軽く流しながら、精一杯の微笑みを浮かべた。
「断るはずがないじゃないか。こんな名誉なこと、買ってでも受けたいくらいだ」
喜びを湛える僕に、ラカンカは胸を撫で下ろした。
男の静かな目は、僕の奥底を見透かしているかに見える。
感情が読めない…。
「この館は先代から受け継いだ物だ。僕の物じゃない。でも、きっと先祖もお喜びになるだろう。そして、これから継いで行く子孫たちも」
僕は覆い隠しているか。この仮面が、上手く僕自身を閉じ込めているか。
品よく微笑し、左の掌を向けた。
「この<癒し手>にかけて、一族に忠誠を誓う。どうかブロジュ様に『身に余る光栄』だとお伝え下さい」
胸にそれを押しつけた。
「ブロジュ様もお喜びになるだろう」
男は踵を返しながら、無造作に言った。
そして再びフードを被り、振り返る事なく去って行った。
「問題はミオだな…」
居残ったラカンカは、大きな溜息をついた。
「ああ…」
やるせなさが咽喉を絞める。
いいだろう…。
この僕が、<真の名を呼ぶ者>を鼻先で見てやる。
どんな顔をしているか、この、僕が…。

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