運動会の違和感 「体操の隊形にひらけ」
秋といえば、読書に食欲にレジャー……と盛りだくさんだけれど、子どもがいる人は「運動会シーズン」でもあると思う。
我が家は娘が小学校3年生。コロナの影響で、1年生の頃から運動会と呼ばれるものはなかった。代わりに「体育授業公開日」が用意され、各学年が何らかの演目を披露したあと50m走が行われる、というのがこの2年の流れ。
今年から運動会を再開する学校も多い中、娘の学校はこれまでの公開日を「スポーツフェスティバル」として、ほんの少し拡大するにとどまった。
子どもたちは運動会さながら校庭に出した椅子に座り、全ての学年の演技を見る一方で、親は自分の子どもの学年だけ見学が許されていた。午前中で終わる小規模なもので、月1の土曜授業の範囲内で行われるため代休などもない。
それでも、やはり過去2年より“運動会“的な雰囲気が漂っていた。その一つが開会式。校長先生や子ども代表のあいさつなどを、ちょっと新鮮な気持ちで聞いていたのだが、「次は準備体操です」という司会の声のあと、ゾッとすることが起こった……。
「〇〇さん基準、体操の隊形にひらけ」
その強い語調と突然一斉に走り出す子どもたちの姿に、ざわざわざわ〜と鳥肌が立った。
学校行事に行くと、こうした「えっ、令和の時代にまだやってるの?」「これって必要あるの⁉︎ 」と感じる決まり事に、高確率で出くわしてしまうのだ。
私が小学校、中学校時代も、確かに同じことをやっていた。きっと、体育の授業の度にやっていたのだろう。当時はそれが当たり前で特に疑問も覚えず、「面倒くさいな」くらいは思っていたかもしれないが、日常の一環として受け入れていたはずである。
だが、学校を離れて約30年、久しぶりに再会したら、当時とは比べものにならないほど「違和感しか感じないヤツ」になっていた(笑)
まあ整列したまま準備体操をしたら、腕や足がぶつかってしまうだろうから、少し周りの人と離れたり、全体的に広がったりする必要はあると思う。だけど、わざわざ「ひらけ」って号令(命令)する必要ある? 「ぶつからない程度に広がってください」でいいんじゃないか。しかも、全員が一斉に走らなくたっていいでしょうに……。
そもそも、私はずっと「体操の体系」だと思っていたのだが、このnoteを書くために調べてみて、「体操の隊形」だということを初めて知った。
「隊形」は、元々軍隊などの戦闘集団の並び方を表す言葉。今は単に「集団」を意味することもあるというが、あの号令で「ひらけ!」と言われると、軍隊しか思い出せない。
これまでも、「日本の学校って集団行動が好きすぎじゃない?」と常々感じてきた。体育で出てくる「回れ右」「休め」などはもちろん、毎回の授業でも「気をつけ、礼」と号令をかける(しかも1回の授業につき2回も!)。
「命令指示→行動」のシステムが、学校生活のいろいろなところに組み込まれている。そんな状態で、「主体的・対話的で深い学び」ができるのだろうか。すごく疑問だ。特別なことをしなくても、まずは「号令」をやめるだけで、子どもたちの自主性を回復できるのでは? とも思ってしまう(笑)
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その日、家に帰ってきた娘に「ねえねえ、“体操の隊形にひらけ“っていつもやってるの?」ときいてみた。「うん!体育のときはいつもやってるよ。なんで?」と無邪気な返事が返ってきたので、「いやー、ママたちが小学校の時もやっていたけど、学校以外でやることないんだよね。ママは別に、『体操するので広がってください』と言えばいいと思う。別に、あんなに命令的な感じにしなくてもさ」とすかさず伝える。
娘の反応はと言えば「まあ、確かにね……」とそっけないが、それでいい。
疑問に思ったことをできるだけ子どもに伝えて、そのトピックについて会話することを心がけている。もちろん、こちらの意見をできるだけ押しつけないように、「こう思うんだよね〜」という程度に。
今の学校に対して、疑問に思うことや正直必要ないんじゃないかな……と思うことはたくさんある。できるだけ早く変わって欲しいが、私一人が学校に乗り込んで行って意見したところで、「要注意人物」とレッテルを貼られて終わってしまうだろう。
だから、親の私に今できることは、娘と違和感や疑問を共有することだと思っている。今の環境(主に学校)でやっていることが絶対なわけじゃない。それが、そこはかとなく伝われば十分。いろいろな考え方があって、「これが正解」と決まっていることばかりじゃないのだと、何となく頭の片隅に残ればいいなと思っている。
にしても、「体操の隊形にひらけ」は何とかならないだろうか。「隊形」ってやっぱり、どう考えても軍隊的だよな……。拭い去れない違和感だけが残る。
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