見出し画像

私の理想のスポーツが根付いた町(部活動外部顧問の話はどこにいった?のつづき)

スポーツ庁の出したガイドラインを全部読むのは面倒なので・・・・Q&Aを読んでみました。

運動部活動については、顧問となる教師の長時間労働につながるとともに、教師に競技経験等がないために、生徒が望む専門的な指導ができない、生徒のスポーツニーズに必ずしも応えられていないこと等の課題があります。また、目先のいわゆる勝利至上主義のもと、大会等で勝つことのみを重視した、過度な練習は、生徒の心身のバランスのとれた発達を妨げるという問題があります。

運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン FAQ 『ガイドライン策定の趣旨」より

つまり、部活動の現状の多くはこういう状況だと思えます。

  • 教師の長時間労働(しかも、時給数百円程度)

  • 教師には競技経験は無い場合もある(専門的指導?論外)

  • 勝利至上主義からくる、過度な練習が心身のバランスのとれた発達はおろか、日常生活すら困難になってくる生徒までいる現状

分かっているじゃないですか。問題点を。

でも、ここで気をつけておきたい部分は、各所で使われる「外部指導員」と「外部委託」だと思うんです。もちろん、落ち着いて考えればその言葉の意味は分かると思いますが、どっちになるかで内容は全く変わってきます。いろいろな面でまだ未熟な子ども達を教えるのですから、教育的・専門的・科学的根拠が無ければならないと個人的には思います。そして、欲を言えば、生涯学習の一環として地域で親しまれなければならないとも思います。

例えば、もし、「外部委託」になった場合、メインとなる運営団体が営利か非営利かによっても違ってきますし、広域でやってくれるとも限りません。県庁所在地まで出て行かなければ出来ないスポーツもでてくるかもしれません・・・・・・。それこそ、お金持ちしかスポーツが出来ない事態となってしまいます。ちなみに、スポーツ庁は令和4年3月25日に、第3期「スポーツ基本計画」なるものを策定したんですって。

第3期計画では、
 東京オリンピック・パラリンピック競技大会(東京大会)のスポーツ・レガシーの発展に向けて、特に重点的に取り組むべき施策をお示しするとともに、 「新たな3つの視点」である、

① スポーツを「つくる/はぐくむ」、
② 「あつまり」、スポーツを「ともに」行い、「つながり」を感じる、
③ スポーツに「誰もがアクセス」できる、
と支える具体的な施策をお示ししています。

https://www.mext.go.jp/sports/b_menu/sports/mcatetop01/list/1372413_00001.htm
第3期
スポーツ基本計画

カナダの田舎町のスポーツ振興を見ても思いますが、スポーツの振興はその大部分を行政(税金)がサポートして上げなければなりたちません。今こそ、産官学の連携プレーなのではないかと思います(産官学!懐かしさすら覚える言葉)。


私の理想のスポーツが根付いた町

  • 市の体育館だけではなく、学校の体育館やグラウンドも開放

  • 市町村教育委員会の管轄エリア単位で、まとめられる部活動はまとめて管理(例えば野球部は2~3校まとめて)

  • 学校間移動はバス(毎日通うことは前提としていない)

  • 市などで行っている生涯スポーツ教室と部活動を統合する

  • 定期的に継続して、オリンピック選手プロの選手の練習などの交流をもつ

  • 管理者は、基本的にスポーツ庁や各地方自治体教育委員会とし、地元の業者と教育関係者の意見を踏まえ、予算配分をし、営利的にならないように運営する。

ここから得られる効果(の予想)

  1. 更なる学校の開放:日本の学校には素晴らしい機能が備わっています。各学校にプールまで!地域に開放された学校を目指すなら、地域の共有財産として、誰でもが安心して訪れやすい仕組みを作ることが大切。

  2. 資財の集約:どの地域においても少子化の影響は避けられない中、既存の大会(甲子園、インターハイ、花園)などの仕組みを残したいのであれば、まとめられる資財はまとめるべき。また、大きな都市は別にしても、田舎では路線バスの運行もままならない状況。そのバスや、学校スペシャルバスを定期的に運行すればバス・タクシー会社も多少の利益?雇用?確保となるのではないだろうか。

  3. 「生涯スポーツ」をもっと身近に:市の体育館を見ると、熱心に技を磨く大人が様々いる。そうした大人との交流は双方に良い影響を与えることが期待される。もっと子ども世代が参加してこそ「生涯スポーツ」が完成すると思われる。

  4. 根性論を排除し、科学的理論と根拠の定着:根性論でしごけば何とかなったのは過去の話。北米では、季節に応じたあらゆるスポーツを楽しみながら、自分のすすみたい道を選んでいく。要は科学的な根拠を基に指導を受けられるかどうか。プロのファン感謝イベントは無くもないし、オリンピック選手との交流イベントも無くはない。でも、握手とサインが欲しいわけでもない。そして選手もいずれは「指導者として育成に当たる人間」であるならば、もっと初心者に慣れるべきである。選手(先輩・大人)をもっと継続的に身近に感じることが出来れば、基礎をきちんと理解した後進が育ち、国際的イベントでの活躍する選手の地盤が出来るのではないだろうか。また、彼らが日々触れている科学的な根拠を目の当たりにすることで学習の不足を知ることにつながり、自ら考えて行動する方向へ促す事が可能となるのではないだろうか。

  5. お金の心配が多少減る:部活動の維持費って結構かかりますお金(過去に体験した例:陸上部のトラック整備に7~800万、吹奏楽部に800万。どちらも数年間学校にお願いし続けてようやく順番が回ってくる)。そしてオリンピック選手も活動資金には苦慮していると聞きます。要はマネジメント次第だとは思うのですが、分散した部活動をまとめて、共有できる物は共有する。一流の現・未来の指導者としてオリンピック選手が部活動のゲストとして子ども達を段階的に指導し、指導の実態に応じた報酬(謝礼?)を支払う。

 <余談1>
昔、勤務した通信制高校。何かとやんちゃで有名だった男の子だったけれど、心境の変化もあり、なんとか無事単位も全部取得して卒業の日を迎えた。「この生徒さんも替わったなぁ~。昔は校門の前で座ってたのに・・・」と感慨に浸りながら見ていたら、後ろから74歳の同じく卒業を迎える生徒さん。『お前、スーツの後ろに仕付けがついとるぞ!ポケットの上蓋?(名前忘れました)は、中にいれるんじゃが』と。元やんちゃ生徒も「えー!?そうなん!?」と言いながら、慌てて直して2人で一緒に体育館に向かっていった様子が忘れられません。
 年齢で分ける必要がある場面はあるでしょうが、そこにこだわりすぎる必要が無い場合もあるのです。

文部科学省からスポーツ専門の庁を作った時点で「そんな無駄なお金の使い方をして」と思ったものですが、文科省を学業専門管理者とするならば、運動部はスポーツ庁、文化部は文化庁で担当し権限を分けるのも・・・アリと言えば・・・アリなのか?と思ったりもします。


まとめ

日本社会って、あらゆる分野で技術の継承が大きな課題だと思う。知ってる事、出来る事があればそれはプロ。でも、教える事は別のスキル。その教えるスキル(教え方マニュアルでも何でも)を知らない人が多いから、効果的に技術の継承が出来ないのではないだろうか。
オリンピック選手やプロ選手もいずれは、指導者として活躍する人も多いだろうが、彼らが指導者としての手法を学んだことはほとんど無いため、彼らが必ず素晴らしい指導者になると言う事ではない(「すぐれた選手がよい指導者になるとは限らない」は指導者としての経験不足が原因)。あらゆる世代の「人」の交流を通じて技術を継承し、お互いに学びあい、指導や練習方法を日々進化させ、あるべき理想・理念に沿った社会をスポーツを通じて目指す事が・・・・・

うん、きっと誰のためにいいんだろうw


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?