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自分を苦笑いできる自分で有りたい・・・

 我がことを振り返るほど余裕のある日々を過ごしている訳ではないのですが、齢五十後半にもなれば、否応なしに我が身を振り返えざるを得ないのです。

 この頃つらつらと、我が思考はどうしてこうなったのか?と考えています。時にはその思考が人との軋轢を生み、時には人から面白いと褒められる。さてさて、どこから来たものなのか?

 年を取って唯一面白いと思うことは、人に嫌われたとき、どうして嫌われるんだ?人に好かれたとき、どうして好かれているんだ?と時に俯瞰できる瞬間があること。(若い時は感情が先に立つものです。まあ、これも人によるのですが・・・)

 普段の何気ない生活の中でする価値判断・・・それは当たり前のことですが自分の思考によって下されます。若い時はこの価値判断が次の瞬間180度変わることもしばしば・・・それはまだ自分の思考が定まっていない証。まあ、年を取って思考が定まるという事を俗に「年寄りは頭が固くなる」といわれるのですが・・・全くその通り。でも、その固まった思考がどこから来ているのかを多くの大人はあまり考えようとしません。確かに一人の人間の思考が固まるまでには色々な経験や要因が重なっていて、一口には言えるものでは無いですが・・・。

 勿論、人生において一人の人物との出会いがその方向を決定づけることがあり、私自身もその経験はあります。でも、今考えているのは大きな人生の舵取りということではなく、日々の中での何気ない自分の思考の組み立てのことなのです。

 このごろ、仕事で文章を書いたり、ネットで調べごとはするのですが、めっきり本を読まなくなったと思い、先日書店に行って見たのですが、ページをめくってもどの本も読む気がしない。嗚呼、俺もしっかり活字離れか・・・と思い家に帰り自分の本棚を見ると、ある評論家の本がづらり、それも500ページを超える分厚い本ばかり・・・内容は歴史、政治、戦争、宗教と多岐にわたり、それも題名は小難しいものばかり、二十代の頃に夢中で読んだものなのですが、改めてよくもまあ、こんな本をばかり・・・久々に読む気もなく、ページをめくったのですが・・・いやいや、実に心地いいのです・・・それは内容ではなく、作家の思考の組み立てが・・・ハタと気付かされました。確かに好きな作家ではあったのですが、知らず知らずにこの作家の理詰めの思考パターンに影響を受けていたんだ・・・と。勿論、個人の思考そのものは色々な影響によって出来上がるものですが、組み立てパターンという意味ではこの作家に影響を受けていたんだなと思い知らされました。

 時に分析好きで理屈っぽいと人に揶揄される自分・・・我ながら納得の瞬間。

 頭の固い年寄りの仲間入りをした今・・・今さら直せるものでもないのですが・・・若いうちに夢中になった書物などに人は知らず知らずにその思考パターンに良くも悪くも影響を受けるのは確かなようです。
 自分が何に影響を受け、どのような思考の持ち主になったかを、ときに俯瞰し自覚することは生きて行くうえで、そう悪くないことだと思います。

 私はこの先、もっと理屈っぽい偏屈なジジイになって行くことでしょう・・・でも、そんな自分を「まったく、はた迷惑なジジイ」だと苦笑い出来る自分で有りたいと、今はそう思っています。


 さて、もの好きにも、もしここまで読んでくれた若者がいるならばこう思うでしょう。
「そんな評論本なんて読んだことないし、興味もないし、俺には関係ないよ」と・・・いやいや違いますよ、もしあなたが引越しをする度に、どーうしても捨てられない漫画本が有りやしませんか・・・ドラえもん、ちびまる子ちゃん、ドラゴンボール・ワンピース、スラムダンク・・・10年後、20年後、30年後もしそれをあなたが持っていたら、知らず知らずにそれはあなたの思考に影響を与えているかも・・・そして、のび太のようなジジイ、まるちゃんのようなババアになっているかも・・・知れませんよ!

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