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湘南ラッキーキャット物語

 長年共に仕事をして来た信頼する陶芸家が、肩の力を抜いて余技で作った作品に、戯れに思いを込めて・・・

「湘南ラッキーキャット物語」

湘南のサザンビーチにほど近い閑静な住宅街・・・
芝生の手入れの行き届いた小さな庭のある一軒の家・・・

 庭に面した窓から、いつも5歳になる小さな男の子が芝生越しに見える路地を行き交う人を見つめていた。男の子は難病を患い外で遊ぶことを許されていなかった。彼の唯一の楽しみはその路地を行き交う人を見ること、特に自転車の脇にサーフボードを乗せ、ウエットスーツのままビーチへ向かう若者たち姿を羨ましく、どこかワクワクしながらいつも見ていた。

「ねえ、ママ・・・僕もいつかサーフィン出来るかな?」
部屋で洗濯物を畳んでいた母親は少し寂し気な顔で
「そうね、病気が治ったらね・・・」と声を掛けた。
「ぼくの病気、直るのかな?」窓の外を見つめている息子の小さな背中にそれ以上の言葉が掛けられなかった。

 そんな男の子の姿をいつも見つめている者がいた・・・いや、一匹がいた。庭の隅の木の陰から、一匹の猫がいつも気づかれないように男の子を見ていた。白い毛は少し汚れ、太った身体、足は短く、猫なのに目は小さく、お世辞にも可愛い猫ではなかった。

 いつしか男の子もその猫に気づいた。
「ねえ、ママ・・・あの猫いつもあそこに居るね」と窓の中から指をさした。
「あら、そうなの」と母親も庭の隅で蹲っている猫を見つけた。
「お腹すいてるんじゃないかな?餌あげてもいい?」
「可哀そうだけど、近づいちゃダメよ」
「大丈夫だよ、あの猫あそこから絶対動かないんだ・・・庭の真ん中に餌を置くだけならいいでしょ」男の子の身体は抵抗力が無く、動物との接触は禁止されていた。
「そうね、離れたところに餌を置くだけならね・・・」
「やったー!」
母親は早速、キャットフードを買ってきて白いお皿に入れて庭の真ん中に置いた。
 でも、その猫は一向に餌に近づいて来ない。
「お腹すいてないのかな?」男の子はがっかりしたが
「きっと恥ずかしがっているだけよ・・・もう夕方だからカーテンを閉めてあげましょ」
「そうだね」

 翌朝、庭の真ん中に置かれたキャットフードはきれいに食べられていた。
餌をねだることもなく、白い猫は素知らぬ顔でいつもの庭の隅で毛づくろいをしていた。
「ママ、やっぱりお腹すいてたんだね」
「そうね・・・夕方また入れて置いてあげましょ、でもお行儀のいい猫ちゃんね」
「そうだね、なんか可愛いね」
 窓の中からの男の子の視線に気づいたのか、猫は太った身体をよじり恥ずかしそうに背を向けた。


 湘南に眩しい初夏の日差しが輝きだした。ビーチへ向かうサーファーの姿も日ごとに増えて来た。
「ねえ、ママぼくも海に行きたいよ・・・お兄ちゃんたちのサーフィンしてるところが見たいんだ」
母親は少し顔をくもらせたが
「そうね・・・こんどお医者さんに相談してみましょうか・・・」
「約束だよ」男の子は目を輝かせた。
 一週間後、穏やかな日に短い時間でマスクをしての外出が許された。車での通院以外の久々の外出に男の子は喜んだ。そして母親と手を繋ぎビーチへ向かった。


 海沿いの国道134号線を江の島へ向けて、一台の乗用車が潮風を受けて走っていた。車内では、若い恋人同士が久々のデートで少しはしゃいでいた。やがて、サザンビーチが見えて来た。
助手席の彼女が
「ねえ、ねえ、見て、見て、サザンビーチ、きれい!」海は初夏の日差しを受けて輝いていた。
その声で運転していた彼は視線を海に向けた。
「おぉ、きれいだな・・・」
その時、前方の信号は赤に変わった。

 横断歩道をあの親子はゆっくり渡り始めた。
車の速度は落ちていない。あと20メートル・・・
 次の瞬間、松林の茂みから一匹の白い太った猫が車の前に飛び出した。
それに気づいた助手席の彼女が
「あぶない!ネコ!」その声で彼は急ブレーキを踏んだ。
猫はまるでバンパーに体当たりしたようだった。そして、その体は数メートル飛ばされた。
 車は横断歩道の直前で止まった。母親は息子の身体を抱き抱えるようにしゃがみ込んだ。
でも男の子の視線は飛ばされた白い猫に向けられていた。
「ママ、あの猫だよ・・・大丈夫かな・・・」
母親は息子を抱きしめたまま
白い猫は足を引きずりながら飛び出した茂みの方に向かった。
「ママ、あの猫死んじゃうよ・・・ぼくの友だちだよ」
その声が聞こえたのか、その猫はゆっくり男の子の方に振り返り
「ニャオ~」とひと声鳴き、茂みの中に姿を消した。
 男の子が聞いたはじめてのその猫の泣き声だった。そして、それが最後になった。


 茅ヶ崎の駅からサザンビーチへ向かう途中に、白い小さな建物の陶芸家の工房がある。
 やきものの産地での厳しい修業を終え、十数年前生まれ育ったこの湘南の地で、その陶芸家は工房を開いた。
 
 陶芸家は迫っていた個展の開催のため、毎晩のように夜遅くまで作品づくりに没頭していた。作品は伝統的な花器や抹茶茶碗が多かった。
 ある晩おそく、菊練りと呼ばれる粘土から空気を抜く作業をしていた。陶芸家が無心になり、そして、次の作品の思索をする時間でもある。
 「ニャオ~」路地に面したガラス戸の外で猫の泣き声がした。
陶芸家は気にせず作業を続けた。
「ニャオ~、ニャオ~」
「うるさい猫だな」と追い払うつもりでガラス戸を開けた。でも猫の姿は無かった。
すると陶芸家の足元を白い小さな影がすり抜けた。
「入ってきやがったな」と振り返り工房の中を見渡したが猫の姿は無い。
「なんだ気のせいか・・・疲れてるのかな」と独り言を言って、気を取り直し作業台の前に座った。そして、粘土に手を触れた瞬間、彼は強い睡魔に襲われ、やがて机に伏せるように深い眠りに就いた。

 ガラス戸から差し込む強い朝の日差しで陶芸家は目を覚ました。
「寝ちまったよ」と目をこすりながら体を起こし作業台の上を見ると、サーフボードに乗った太った猫の置物が・・・
「おい、おい、なんだこれ誰が作ったんだ?」とまわりを思わず見たが「俺しか居ないだろう・・・やばい俺どうかしちまった」と思いその猫を潰そうとした瞬間、その小さな目と目が合った。
「そんな目で見るなよ・・・仕方ねえな、ほかの作品と一緒に焼くか・・・」とため息と共に苦笑いをした。
 数日後、その猫は施釉焼成されてやきものとなり、ほかの作品と共に工房の棚に置かれた。


「お邪魔します。ちょっと見学してもよろしいですか」と60代ぐらいの女性が工房のガラス戸を開け声を掛けて来た。時々近所の人が工房の見学にやって来る。
 陶芸家は作業の手を休めず「どうぞ、ご自由に」と声を返した。
その女性は、熱心に棚の作品を観ていた。
「ご近所ですか・・・」陶芸家はいつもように何気なく声を掛けた。
「いえ、近くに娘と孫が住んでいるので時々来るんです。でも、孫が病気で散歩する機会もなかったので、今日はひとりでちょっと・・・」
「そうですか」
すると女性は少し申し訳なさそうに
「これを買わせて頂けませんか・・・」
その女性は作品棚のあの猫を指さしていた。
「ああ、それ売り物じゃないんです・・・というか自分の作品かどうか?」
「はあ?」
「いやいや、いいんですけど・・・でも、どうしてそんな猫を?」
「実は孫が庭に来ていた猫が死んでしまった、死んでしまったとこの頃塞ぎ込んでいるんです。その猫が太った白い猫だったって言うんです・・・孫はとてもサーフィンも好きなので・・・この子を連れて帰ってあげたら少しは喜ぶような気がして・・・」
「そうですか、分かりました・・・でも、これは売り物ではないので、そのままお持ちください」
「それはいけません」彼女は大きく首を振った。
陶芸家は少し笑みを浮かべながら
「なんかその話を聞いたら、もしかしたらこいつは俺の手を使って自分の身体を作らせ、お孫さんのところへ帰ろうとしてたんじゃないか・・・そんな気がして来ました」そう伝えた。
陶芸家自身もこの猫を作った意味が納得できたような気がした。


「ママ、あの猫にそっくりだよ!」
「あら、ほんと」
「おばあちゃん!ありがとう!」
孫の本当に喜ぶ姿を見ていたら、最初は首を傾げたあの陶芸家の話が本当のような気がして来た。

 翌日、男の子の母親に一本の電話が掛かって来た。男の子の主治医からの電話である。
「お母さん、朗報です。実はお子さんの病気の特効薬がアメリカで承認されました。来年には日本でも承認されるでしょう・・・お子さん治りますよ」
「本当ですか」
「はい」主治医は力強く答えた。

 二年後、小学生になった男の子の姿は湘南のサザンビーチにあった。小さなサーフボードに可愛いウエットスーツ・・・立派な湘南のサーファーなっていた。


 さて、あの陶芸家はあれから、夜中工房で作業をしていると時々同じ睡魔に襲われた。
 そのたび「おいおい、今度はラグビー猫かよ・・・この間はサッカー猫だったな」と不思議な朝を迎えていた。そして、その猫たちはいつの間にか・・・工房から子供たちのもとへ・・・その夢を叶えるためにいつの間にか姿を消した。

 そしていつしか、その猫たちは噂となり誰言うとなく「湘南ラッキーキャット」・・・そんな名前で呼ばれるようになっていた。
                               おわり

あとがき
この物語は全くのフィクションで、すべて作り話です。
 ただ、長年美術品を扱って来た者として、アートの楽しみ方のひとつに観る側、所有する側の想像や創作が有っても良いのではないか・・・それは作者の意図や作品の価値とは別の次元です。
 例えば、有名な絵画などその美術的価値とは別に、もしそこに笑っている人物が描かれていたら・・・どんな良いことがあったんだろう?でも心の底から幸せで笑っているのかしら?もしかしたら、辛さを堪えて笑っているの?そんな絵の中の人物に思いを馳せる・・・妄想?を膨らますのも面白いのではないか。

 アートの存在意義を私は、「人を日常から非日常へ連れて行ってくれるもの」そう思っています。
 作家の受賞歴や作品の値段の多寡ばかり見ていたら、それはもうアートではありません。

 今回の「湘南ラッキーキャット物語」は作家の作品への私の勝手な妄想です。でも、とてもワクワクし、作品への愛着が生まれたことは確かです。
近藤智禅 (作品作者:陶芸家・渡邉賢司) 

 

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