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毒親と家出をした話


家出、って聞いたら皆がどんなのを想像するかは分からないけど、私は世間一般的な不良の家出をまんまやりました。

誕生日の夜中にリュック1つと肩掛けカバンの中に入る服と財布と携帯と充電器と化粧品の最低いるものだけを詰め込んで飛び出しました。
ちなみに追いかけられたくないって理由だけで関西から沖縄まで飛びました笑


なんで家出したのか、もよく聞かれるからここで。
うちの家は俗に言う「毒親」に分類される人間だったんだと思う。
母親は過干渉・過保護・自分の言うことが絶対・思い通りに行かなかったらすぐキレ出す。
父親はアル中で家庭はあまり顧みないタイプ。

こんな内情でも、正直外から見たらいい家庭だったんだと思う。
親も一流企業と呼ばれる会社で役員をするくらいの人。
母親は関西でも屈指の私大の法学部を出て、就職難の中証券会社に就職。子供を産んでからは独学で勉強をして資格を取ってパートに出てる。
それで子供の勉強にも熱心な教育ママ。
習い事もいっぱいしてた。ほぼ毎日何かしらの習い事で埋まってた。

誰に相談しても表向きがいいから信じて貰えない。これが1番辛かった。

こんなだから母親は「私の言うことは間違ってない」って言う考え方の人で、私が「違うと思う」と一言でも言おうものならもうキレるわご飯出てこんくなるわ、余りにもお腹すいたから冷蔵庫のもの勝手に食べたらまた怒られるみたいな。
あと機嫌損ねてもすぐキレてヒステリックになってたなぁ…(遠い目)

実家でいる私に自由なんてなかった。選択権がほぼなかった。
王道の服装に対しての文句もあったお‪^ .  ̫ . ^‬
遊びに行く時もどこに誰と行って何時の電車に乗って何時に帰ってくるのか1から10まで報告しないといけなかった。
ちなみに門限付きでバイトの時だけ11時まで伸ばしてもらってたけど、遊びに行く時は多分遅くても9時ぐらいが限度。
8時を過ぎたら鬼LINE。怖くて友達と遊びにすら行けねぇ。

とりあえず過干渉がえげつなかった。
お金を出してもらって実家で生活してる身分なので文句は言えない。
ただ、この生活に私は耐え切れる自信がない。
これと関係あるのかは分からないけど、中学生からパニック障害と適応障害と睡眠障害を発症して今でも苦しんでます、はい。

てなわけで私はせっかく受かった大学をやめて、家族も全部捨てて本当に最低限だけの荷物を持って家出しました。

そんで、今までバイトをしてた会社に事情を全部話して正社員登用してもらいました。
ここで例の病気たちが発症して行けなくなっちゃったんやけどね…
急に辞めることになって、この会社には恩を仇で返す形になって今でも少し心残り。

ザクっと家出をした経緯を1年たったからきちんと書きたいと思って残しました。

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